KAMALA YOGA BLOG

全ては平等

Shama  シャマ = サンスクリット語で平等、同じという意味です。

実は英語の same インドネシア語の sama は、このサンスクリット語が語源になっています。

この世界は全ての人に平等に与えられた世界です。

そして偏見というものは自分のフィルターを通して相手を見ているだけのこと。

そのフィルターを取り払うことが、全ての人に愛を持って接することにつながります。

ヨガは「心の波を死滅させること」というのが代表的ですが、

これじゃ無感情、無関心で面白くないんじゃないの?

と言われる方もいますが、ヨガはその域にはありません。

無関心でも無感情でもなく、とても情緒的で全ての人のあらゆる事情を考慮します。

どんなことがあってもその人を他人のフィルターや自分のフィルターで見ることはありません。

むしろ全ての人を同じように見るので、どんな人の気持ちもその人の裏側にある背景を考えたら

色々なことが影響してそうなっているのだと知っているのです。

極悪人でも鋼鉄の心を持つ人でも、自己中心的な人でも、

優しくて思いやりの強い人も、明るくて楽しく振る舞う人も、

面白くて人を笑わせる人も、仕事がサクサクこなせる人も、要領悪くて思うようにできない人も、

社会的な地位や名誉がある人も、ない人も。

そしてその人の立場に立ってものを見ることができるので、

共感することができるのです。

辛いこと、頑張っていること、苦しいこと、どうしたらいいかわからないこと…

どんなことがあっても受け入れて共感することができるのです。

そこに同情はありません。

頑張っていることや悩んでいることを知って受け入れるだけです。

それが最も大切な無償の愛。

そして全ての人に平等に接することができるようになるには、

ニャーナヨガという学びのヨガによってヨガの真実を見始めると、

その無知 avidiya アヴィディヤが取り払われていくのです。

実は、究極のヨガの目的はここにあります。

それができるようになるために、カルマヨガ、ラージャヨガがあるのですね。

つまり、運動をするヨガ、瞑想をするヨガ、食べるヨガ、日頃の行い、

アシュタンガのヤマ ニヤマ=

傷つけてはいけません、嘘をついてはいけません、盗んではいけません、

欲を抑える、貪らない。

清潔にし、足りていることを知り、苦難を受け入れ、聖典を学び、

大いなる自己を明け渡し身を委ねること。

そうしていくうちに自分の持っていた偏ったものの見方が少しずつ取り払われるviraga バイラーギャ

いわゆる手放すことが起こるのです。

そして真実だけを見ようとすると、全ては自然といらないものを手放していくようになるのです。

だからわからない時に一生懸命何かを手放そうとすることではなく、

勝手に要らないものを手放していくということができるということです。

欲しいもの、欲求、願望は無理に手放そうとすると、そこには執着が付きまといます。

せっかく手放してもまた新しく何かを手に入れようとする。

そういう時は思う存分、全て欲しいものを手に入れてみようと努力するのも一つです。

とにかく無理にすることではありませんからね。

人に対する偏った見方も、気づかないうちは散々な見方をしてみたほうがいいのかもしれません。

無理にしようとする時には無駄な圧力が生まれますからね。

自分の内側から満たされることを知ったら勝手にできますので。

この世は全てが一つ。

私たちが要らないと思っているもの、排泄物ですらこの大地や海などの自然界にとっては大切な微生物の栄養源に変わります。

そしてその微生物たちの力で育った野菜などを食べて生き物は生命を維持しています。

この世の全ては循環しているということ。

だから何一つ、実は不必要なものというのはないのです。

要らないように見えるものでも。

要らないものを探すよりも、何が一番大切なのかを見極めることが、viraga バイラーギャなのですね。

あなたの身近にある大切なものを見極めて見ませんか?

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