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大人の反抗期と依存

大人の反抗期と依存

子供の反抗期に十分に絶対的な安心を得られなかった結果、大人になっても子供と同じように、甘えられる存在を見つけては理想の母親像を抱き、その理想が崩れ去ると、満たしてもらえないこと、思い通りにならないこと、認めてもらえないことを許せず、自分に対する怒りを持ち、相手のせいにして傷つける言動や行動に出ては、また満たされなかった自分に悲しみます。

人に満たしてもらえないことで自分の不完全さを相手に見て、まるで5歳児の反抗期のように、完全だと信頼していた母親が不完全だと言うことを知ったときの葛藤と同じで、自分の理想通りではなかったことを相手のせいにして、怒りの感情のままに言うべきでないことを言ってしまったりします。

怒りの感情のままにそれを言ったりすることは、自分の理想を相手に求めていたことをよく考えて自分の言動や行動を反省しない限り、いつまでも満たされない自分と満たしてくれない世界は続きます。

人のせいにしたまま自分の言動や態度、言葉をすぐに忘れてしまっていては、何も成長しません。

そしてまた次の自分を満たしてくれる、100%信頼をおけるお母さんを求め続けるのです。

しかし、本当の意味で完全に満たしてくれる人は、自分自身以外誰もいません。

相手の未熟さを受け入れて許していくことで、自分の未熟さも受け入れて許すことができ、相手の不完全さを見たのなら、相手を責めるよりも自分のできることを相手に手を差し伸べて支えることで、少しずつ成長していけるのが人間の素晴らしさです。

その人間の可能性と与えられている恩恵にいつでも喜びと感謝を持てると、心も豊かになり幸せに生きることができるのです。

保健室オンラインでは、精神心理療法・コーチングを行なっております。

子供の反抗期の記事はこちら

http://scentofbliss.com/子育ては自己愛と自尊心を育み自立した社会貢献/

子供の頃から自己愛を適切に育み自尊心を持っている人は、人のために自分の力を社会で発揮し、パートナーも社会での人間関係もお互いに尊重し合い受け入れ許し合い、ある程度満足に充実した生活を送ることができます。

しかし、子供の頃の様々な事情で満たされないまま抑圧された幼児性は、心の深い部分に潜んでいます。

子供の頃に十分に満たされなかった不満は大人になっても続き、自分を完全に満たしてくれる100%信頼をおける理想のお母さんを探し求め続けます。

恋愛や結婚でパートナーに対して理想のお母さんのように、何でも受け入れて許してくれて甘えさせてくれて、思い通りに自分だけを見ていてくれる相手を求め、パートナーに理想を重ねて、それが思い通りにいけば良いですが、違う環境で違う親のもとで違う生活を送ってきた相手と、全てが理想通りにいくとは限りません。

その時に、自分を満たしてくれないことへの寂しさと、幼い時に抱いた不安や緊張、恐れなどが怒りとなって、思い通りにならないこと、満たしてくれない相手にその怒りをぶつけてしまいがちです。

それも自分の行動や言動を振り返って未熟さを認めて反省できれば成長につながりますが、理想通りにいかないことを自分自身に観ず、その未熟な感情を自分で受け入れて許すことができず、相手ばかりを悪く見て責めてしまいます。

自尊心が持てないと、どうしても自分で自分を認められないがゆえに、誰かに認めてもらわないといけない人になり、誰にどう思われるかが行動の判断基準になり、誰かに認めてもらうために頑張り功績を残し、誰かに認めてもらうために理想の結婚・子育てをし、誰かに認めてもらうために幸せを演じ、誰かに認めてもらうために私は素晴らしいと自画自賛します。

最初の動機はそれでも良いので、その人間関係の中で様々な人との違いを経験し、相手の話を聞き入れ視野を広げて、共感性や理解力という知性を養っていくように成長していけるのです。

人間の成長発達段階では、社会に承認欲求を持つ時期がありますので、自分の体や思考などの能力を存分に使って活躍し貢献していれば、誰かや何かの役に立っていることで自分に対する存在価値を高めて自尊心を持つことができるので、それも正常な発達過程ですが、幼児性がうまく満たされないと、いつまでも誰かに認めてもらおうとして、また理想のお母さんを求め続け、理想通りのお母さんでなかったと落胆した時に、その相手を傷つけるような態度に出てしまいます。

また、幼い頃の満たされなかった心の葛藤が抑圧され、甘えられる存在を見つけた途端関を切るように、満たされたかった幼児性が現れてきます。それが一旦認めてくれないと思うと、自分の思い通りにいかないことが相手のせいになり、その視野の狭い小さなエリアから物事を見ている自分と、外の世界の大きさとのギャップに不安や恐れを抱き怒りを覚え、世の中や人や状況が悪いと言って、なんとかしようとまた行動します。

しかし、結婚や仕事などの社会生活は、お互いに不完全さを許して受け入れて、自分の許容範囲を広げて客観的に物事を受け止められるよう、精神的に成長し合うために存在してくれている人であり場所です。

わがままばかりを押し通して、子供の反抗期のように相手の不完全さばかりを責めていては、受け入れて甘えさせてくれるものさえも許してもらえなくなってしまいます。

パートナーがダメなら、今度は上司や先輩、同僚、後輩、先生、友人や知人に100%信頼がおける完璧な理想のお母さんを求め続けます。

そうやって自分の満たされない感覚、虚無感を持ち続け外側に解決を求め続けると、またその寂しさは埋まることなく一時的に寂しさを埋めるために、パートナー依存やアルコール依存、タバコ依存、薬物依存、性依存、甘いものやスナック菓子依存など、自分を寂しくしてしまう思考の癖から一時的に解放されるために何かに依存してしまうのです。

また、主観的な小さなエリアからのものの見方で、好き嫌い、合う合わない、心地よい心地よくないを基準に物事を選択していき、また好きな方や心地よいものばかりが選択基準になり、嫌なことから逃れよう避けようとして仕事を休んだり、約束通りに行動できなかったり、自分の思い込みで相手の意図することと違う解釈をして怒りで人を傷つけたり、言って良いことと悪いことの分別がつかずに感情のままに行動してしまい、社会性が保てなくなってしまうのです。

主観的な趣味嗜好のベクトルが同じであれば、好き、合う、心地よいとなり、その時のベクトルが違えば、嫌い、合わない、心地悪いとなるのです。

その違いで嫌ったり非難したり悪口を言ったりすることは、とても狭い視野からしか物事を見れず、相手を下げて自分を持ち上げて虚勢を張り、強く見せようとするのです。

結局、小さなエリアから物事を見ているだけなのです。

その小さなエリアの自分と本質の自分を分けてしまい、自分で自分を認められていないがために、相手に認められていないと受け止めた時に相手に対する不満を抱き、怒りがわき相手を責めてしまうのです。

その結果で傷つくのも辛いのも、最終的にはその人自身でしかありません。

歪んだ捉え方をして自分を小さく見下げてしまい、外側の世界が大きく見えて、小さなエリアの自分を圧倒してしまうように思え、馬鹿にしている、見下していると捉えてしまいます。

そして、怒りになり攻撃的になり人を傷つけたり、逃げたり避けたり無視したりするのです。

まるで臆病な仔犬がひたすら吠え続けるように、優しさや愛で声をかけ手を差し伸べていても、また噛み付いてくるように、間違ったものの見え方をしている人にとっては、愛も優しさも恐怖と不安に思えるのです。

誰も見下したりしませんし、馬鹿にしたりもしません。

その人の持つ自分観が自分を小さく見下げてしまっているのです。

それが良い悪いではなく、その人の生い立ちや前世までの記憶してきた思考の癖によるものです。

その歪みをその人自身が認識して間違いを修正していけば、自分観と外側の世界との隔たりはなくなっていきます。

そして正しく物事を観て理解すれば、あらゆる人も物も状況も出来事も、自分自身の認識によって起こっていることに気が付いていきます。

気がついた瞬間から人生は変えられます。

どれだけ人を傷つけてきたとしても、変わろうと意を決して努力すれば自分も世界も変わるのです。

誰にでも大なり小なりあることですので、それ自体が問題なのではなく、それで傷つけ合ってしまう行為を生み出す間違ったものの見方や捉え方を修正していくことが大切なのです。

客観的なものの見方を養い、視野を広げて相手も自分も理性的に関わり合う社会性を持つことが大切です。

 

医療現場で、いくら優秀な医師が手術をしたところで、本人のコンプライアンスが悪ければ、治るものも治りません。

出産も、助産師や病院が産ませてくれると思う人も多いですが、自分で産むのだという意思がなければ、陣痛の痛みから逃れようとしてパニックになり、痛みの感覚はさらに強まり、その結果で胎児にストレスがかかり、仮死状態になり帝王切開になることもあります。

内科的な治療も、患者さん本人が治そうとする意思がなければ、自暴自棄になり、免疫機能がうまく働かずに症状は悪化することもあります。

精神的な治療も、施術者が治してくれるものではありません。薬物療法で症状は軽減したとしても、根本的には自分自身のものの捉え方や解釈を見直して、正しい方向に修正していくことが必要なのです。

時々、依存性の強い人が施術者に対して恋愛感情を抱き、受け入れられない時に憎しみや恨みに変わることもあります。

施術者は、方法を案内しながら道標としてどこに向かっていくのかを導くことはできても、自分を自分で見ない限り、いつまでも不満足や虚無感を他の誰かや出来事、状況やものに重ねて、どうにかしてくれない外側のせいにし続けて、自分の考えの歪みから起こっているものの見え方を観る努力をせずに、また好き嫌い、合う合わない、心地よい心地よくないで選択を続け、何かに依存しては救われず、自分の小さな考えに苦しむことを繰り返すのです。

きちんとあるがままのことを観ることができれば、歪んだものの見方から解放され、すでに幸せであることに気がついていくことができます。

病気や死に直面した時に、それを受け入れるまでのプロセスを理論化したものがいくつかありますが、危機受容のプロセスでは、衝撃→怒り→否認→落胆→抑うつ→受容と言った経過を辿ることが多いですが、自己受容のプロセスも同じように、自分の未熟さを認めて、小さなエリアの間違ったものの見方を自分でよく見て、思考の癖に気づいていかない限り、自分を小さく見下げてしまう捉え方、自分で自分を認められない劣等感や自尊心の低さからは解放されないのです。

その過程で、自分に対する怒りが湧き認めたくない気持ちで否定し、そんな自分に落胆し抑うつ状態になった結果、結局は自分で自分を認めて、心の成長をしていき、最終的に人間の本質を理解することで完全なる自己受容に変わっていくのです。

一度自分で自分を成長させて、その小さな主観的な考えから自由になるという決意をして、もっと広い視野で客観的に自分で自分を見る努力をすれば、理解はスムーズです。

その思考を見ながら、思考を眺めている視点に気づいていき、次第に広いスペースにその思考が消えていくことを理解していくことができれば、幼い小さなインナーチャイルドたちは、自然と消え去っていくのです。

時間はかかりますが、自分の決意で意思を使っていかない限り、苦しさから解放されることはありません。

外側の世界は、決してあなたを見下したり馬鹿にしたり、攻撃したりはしません。

そう見えるのは自分が自分に対する自己イメージからそう見えるのです。

感情のままに行動していては、人を傷つけ自分も傷つけていきます。

感情を扱える知性を使っていくことが、人間にしか与えられていない機能であり、優しさと思いやりで人に手を差し伸べ、社会の役に立ち、自分を愛し尊ぶことが人間の成長であり精神的に大人になっていくことです。

自分を愛し尊ぶ人が、人を愛し尊ぶことができるのです。人を愛し尊ぶことができる人が、自分を愛し尊ぶことができるのです。

自分が満たされていることを知り喜べる人が、人を満たし喜びを与えることができるのです。人を満たし喜びを与える人が、自分を満たし喜ぶことができるのです。

物事をきちんと考えることで、感情的に行動に出てしまうのではなく、一旦それを引き戻して、どうしてそうなるのかを考えて行動できるようになると良いですよね。

他者に分かってほしい、理解してほしい、満たしてほしいという執着があるために、それが叶わない時に怒りがわき苦しくなり悲しくなり辛くなるのです。

その状況と向き合って自分の感情を観て、知性を使って扱う練習をして行かない限り、その苦しさからは逃れることはできません。

嫌いだと怒りが湧くことも、その人に対する愛の歪んだ形です。

欲求を満たしてくれるお母さんだと理想を抱いていたことが崩れることによって怒りが湧くのです。

憎しみも恨みも嫉妬も、結局はその人に執着しているということになり、愛の裏返しであり、外側に自分の足りない感覚、不満足を満たしてもらいたくて満たしてもらえない愛が、形を変え歪んだ現れ方をしているのです。

あるがままに物事を正しく観ることができれば、小さくしていた自分観と外の世界の隔たりは何もありません。

何を取って見ても全てが様々な愛の表現の違いであり、どのような人であっても皆愛そのものなのです。

考える力をどんどん養っていけば、言葉を正しく理解し、間違った解釈をせずに冷静に受け止めることができ、考える力がつけば文章の文脈も正しく読み取ることができ、さらに正しく物事の本質を理解できるようになります。

感情的に行動する人の中には、文章の構成が読み取れず、言葉の上積みだけを受け取って自分の都合の良い部分だけを採用して解釈してしまいがちで、本質が掴めないままになってしまう人もいます。

自分を苦しく悲しい人にさせているのは、自分なのです。

主観的なものの見方捉え方を自分で観ていけば、いつしか消え去り、主観と客観、自分と世界の隔たりは何もないことに気がつきます。

その隔たりを作っていたのは、自分の思考の癖だと理解できます。

あるがままに物事を捉えていけば、人の本質は誰一人何も変わらず、それぞれの主観が間違った捉え方をしている自分観と世界観に感情的になっている人が多いことに気がついていきます。

そうすると、自分にはそう見えていて、その人にはそう見えるのだと言うことが分かりますし、相手の感情もそれはそれですし、自分の感情も客観的に扱うことができるようになります。

そしてその成長が、小さな個人の力だけではないことに感謝をいつでもできるようになれば、自分の成長も楽しく観ることができ、さらに人のために何ができるかを考えて物事を選択していけば、自分の存在価値は高まり、生き方も充実していきます。

誰もが最初から大人で成長しているわけではありません。

傷つけてしまうこともたくさんあると思います。

今気が付けば、今から変わることができるのです。

 

保健室オンラインでは、精神心理療法を行っております。

辛さや苦しさをどうにかしたい、今の状況をなんとかしたい、うつ状態が続いている、など、今の自分の見え方を解決したいけど方法がわからない方は、ご相談ください。

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