本質的なことを言ったり書いたりしているのを、上から目線に感じたり、不快感を覚えたり、怒りを持つ人は、自分が怒られている、注意されている、責められているという感覚になるのでしょうね。
自己否定の話をすることが多いですが、誰にでもその部分はあります。
私も年がら年中、被害妄想が出たりしますよ。
そういう時は、あ、また出た。その人のせいではないよ、私の過去の体験からそう思うんだよ、って眺めてます。
たくさんの私が、私の中にいますよ。
ヨーガは、そういう自己を客観的に見つめる練習をしていくものです。
あって当たり前の、自分自身の一部に気付くことができるようになる。
そうやって、日々小さなことでも、自分自身を知ることができる。
でも、自己否定が強く、それをしようとしない人にとっては、バカにされているような気持ちになり、さらに自分を小さく感じてしまうので、こういう話をされるのが不快なのでしょうね。
自己を冷静に見ていれば、あぁ確かに私もそうだな、小さな頃の親の態度に傷付いたな、とか、ただ客観的に見ることができるようになります。
深掘りして過去を癒そうとか、前世を呼び起こして確認しようとか、原因を追求しようとする必要はありません。
過去に戻っても、何も解決しません。
客観的に見つめる練習を繰り返して、今この瞬間から過去の自分に対して、辛かったね、寂しかったね、頑張ったね、と、共感してあげるだけです。
今この瞬間が癒されていれば、過去も未来も癒されています。
大切なのは、ただただ、今、この瞬間の自分自身なのです。
そして、ヨーガでは分析はしません。
が、私は物心ついた時から、人の行動や言動を観察する習慣があり、なんでそうなるのだろうという疑問が常にあったので、心理学や人間行動科学などが大好きで、ついつい分析してしまうのが習慣になっています。
臨床心理士も取得したいなと思い、大学院受験したこともありました。大学で取った心理学の単位は、教育免許に必要な最小限のものだけだったので、残念ながら進学できませんでしたが。(言い訳すると受験者倍率64倍でした)
余談でした。
なので、あらゆる分析結果は、個人的な趣味ですので、これを読まれた方は、ただ自分の中にある自分を観ること、気付くこと、ただそれだけをしていれば大丈夫です。
否定も肯定もなく、ただありのままに、あるがままに観るだけですよ。
どんな自分が出てきても、ただ観るだけです。
人間らしさだなぁと見守るように。
どんな自分がいたっていいじゃないですか。
それも全てあなたであり、私であり、全てなのだから。
私がこうして書いているのは、書きたいことが溢れてくるから書き留めているだけで、それが誰かのお役に立つかもしれないと思っているだけです。
どんな自分も、感情を揺さぶられることなく眺められるようになったら、他の人にも同じように、良いも悪いもなく評価もなく見守ることができるようになりますよ。
そうすると自然と穏やかな時間が流れて、いつでも幸せが溢れてきますからね。