TTCで学んだ中で、ナタラージ(シヴァナンダの人しかわからないと思いますが笑)の講義は抑揚がないので眠くなってしまうし、ヴァガバットギーターの講義もカリヤーニ(これもシヴァナンダの人にしかわかりませんm(..)m)の声が催眠術以外の何物でもなくて、キールタンはまるで子守唄でしかなくて。。。
記憶に残るものはかなり乏しかった私ですが、解剖生理に関しては基礎知識があるので得意げになって理解しました。
とにかく「I am Brahman!」「Brahman is absolute in the universe」「Brahman is Ultimate Reality」などなど、とにかくこの世はたった一つのブランマンからできていて、私もあなたも、あれもこれもそこら中にあるもの全てがブラフマン。そして私自身がブラフマン。私はあなたで、私はあれで、私はそれで、私は机で、私は車で、私は…。
と言った感じで、その意味を日常的に理解してみようとしながら日々を送っていたのです。
(ちなみに、全然英語ができないのに英語で受けたことに問題があります)
仏教も好きな私は、どこからかいつからか、仏教的なものの見方を自分の中に取り入れていて、相手に見るものは自分自身、相手は自分を映し出す鏡なのだという考え方を持つようになっていました。
相手のこういうところも私なんだ、これも私なんだ…。
その意味を理解しようとしながら、自分を見出すことをしていたのですね。
もちろん、常には難しいので、身勝手だったり都合よく受け止めたりすることだってあったと思います。
でもそういう見方をしていくと、だんだんと人を責めることもなくなり、その人のことを理解する方が優先していたのです。
だから怒ることもなくなる。
例えば、新人さんでも中途採用の方でも、最初は場所やルールが変われば、同じことでもやり方が違ったり言い方が違うもの。それに馴染むのに時間がかかる。最初から前職と全く同じようには働けない。
また、向き不向きがあるので、簡単に理解して行動できない人も居る。
でも、それをわかってあげられない人がとても多くて、新人さんを責めたり見張って監視したり攻撃的になったり、バカにしたりで、それによって恐れや不安になり集中力が欠けて、本来できることもできなくなってしまう様子をみて、自分自身を発揮できない場所にいるよりも違う場所の方が合っているのかな、とか色々考えてみました。
こういう体験、私も同じことがよくあります。今でもありますよ。
例えば、健診センターで採血業務の単発の仕事に行ったら、ずっと見張られて監視下で(笑)、採血管を降ってないとか、患者さんに声かけてないとか色々攻撃してくる人もいます。こちらとしては、他の健診センターでも1日100人以上採血してますし、採血に慣れすぎて、採血管振るのも瞬時に即座にやっているし、声かけもその人が見ていないときにしてるんですけど、人を攻撃したくて仕方ない人って、自分の見ていないところは知らないので、自分の見ている間だけが全てになるのでそこを指摘してくるのですね。
そういう人って、そこでの経験しかないから、その人がどんな仕事でどういうことをやってきたのかを知ることもなければ、知ろうともしないから、自分が今やっている仕事が全てで、それができるかできないかを自分の物差しで判断するのだと思います。
人のアラを探して責めたくて仕方がない。自分はすごく仕事ができるんだと思っているのでしょうね。
裏を返せば、自分を信用できなくて信じられなくて、安心できなくて認められなくて、許せないってことです。
そういうことの中で、できないことを許せない人、できない人にさせてしまう人たちがとても多くて、でも実はその人たちがそういうことを許せないこと、受け入れられないこと、バカにしてしまうこと、攻撃してしまうことに問題があるのではないかと思うようになったのです。
どんな問題があるのかを、私は観察するタイプなのですが、多くの場合その人の言動に全てが隠されています。
悪口や文句や噂話と言ったことを言っている人は、全部自分自身を言っていることが多いのですね。
全くその人に当てはまることが多いので、結局自分を受け入れられなくて許せなくて、バカにしてしまって攻撃する。
自分を認められない人が多い、自己肯定感が持てない人が世の中多いんだ!ってことに気づき始めたのです。
ご高齢者になっても、暴言を吐いたり暴力を振るったり、暴れたり攻撃したりする人もたくさんいます。そういう人たちを見るたびに、自分自身が苦しいだろうに…と思ってしまうのです。
懐かしい写真がいっぱい♡
本当、懐かしいなぁ。。。
また明日に続きます。