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バガヴァッド ギーター第2章がもうすぐ終わり第3章に入ります

バガヴァッド ギーター第2章がもうすぐ終わります。

半年かけてその詩の意味を、シャンカラーチャーリヤの解説に沿って学んできました。

本当に聖典が言っていることは、そのままでその通りですね。

ご一緒に学ばれている皆様も、耳が痛くなることもたくさんありながら、自分を律する気持ちで向き合って、どんどん穏やかで満ち足りている幸せな自分自身に落ち着き始めています。

来月からは第3章に入っていきます。

10月9日(土)から毎週土日早朝5時〜ガネーシャプージャー後クラス7時まで。

途中からのご参加も大丈夫です。

しっかりとコミュニケーションを取りながら、言葉に上乗せした違う意味で捉えるのではなく、間違いを識別して正しく捉える努力をしながら、本当に理解して自分に落ち着きたいと願う方のお越しをお待ちしております。

お申し込みはメールにてお願いいたします。

kamala0yoga@gmail.com

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人は、私と言う意味を体や考えに置いているが故に、間違った自分観を持ち、それを世界に見て、誰かと比べては自分を見下げたり大きく見せようと誇示したり、周りから認められよう、賞賛されよう、取るに足らないちっぽけな足りない自分を足りよう、安心でない自分を安心させようと外側の人や物、地位や名誉、お金や物質的なものに喜びや満足を追い求めます。

その欲求が満たされない時に、怒りとなり、苦しみや悲しみが起こります。

しかし、人間の本質は穏やかさであり、優しさや思いやりとして現れる愛そのものの人です。

そして、ありとあらゆるものがたった一つで運ばれている、その秩序であるイーシュヴァラを常に心にとどめながら、知識を学び、そのイーシュヴァラが自分自身であるという理解になり、考えや肉体を意識的なものとして扱える人となり、完全な自由、人生のゴールであるモークシャを得ていきます。

それに気づいていくためには、間違った上乗せした自分観と世界観を識別して、穏やかな自分自身にとどまる練習と、自分を満たそう、安心させようと追い求めては喜びや悲しみを生み出す対極への反動にばかり目を向けて考えは忙しくなり、嫌なことを避けて心地よい結果を求める、好き嫌いで物事を選択している執着を識別していくことがとても大切です。

選択肢は、ダルマ、やるべきことをして一つ一つ丁寧にイーシュヴァラに捧げられる儀式として行いを祈りに変え、全体との調和の取れた行いをしていくことが、カルマ・ヨーガの生き方です。

第2章の最後の方の詩とその解説の中に、集約されています。

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ध्यायतो विषयान् पुंसः सङ्गस् तेषूपजायते ।

सण्गात् सञ्जायते कामः कामात् क्रोधोऽभिजायते ॥ २-६२ ॥

dhyāyato viṣayān puṃsaḥ saṅgas teṣūpajāyate |

saṅgāt sañjāyate kāmaḥ kāmāt krodho’bhijāyate || 2-62 ||

क्रोधाद् भवति सम्मोहः सम्मोहात् स्मृतिभ्रमः ।

स्मृतिभ्रंशाद् वुद्धिनाशो बुद्धिनाशात् प्रणशति ॥२-६३ ॥

krodhād bhavati sammohaḥ sammohāt smṛtivibhramaḥ |

smṛtibhraṃśād buddhināśo buddhināśāt praṇaśati || 2-63 ||

何かを思う人に、それに関しての執着が生まれます。

執着から欲求が生まれ、欲求から怒りが生まれます。

怒りから妄想が生まれて、妄想から記憶が失われます。

記憶がなくなってしまうので考えは無能になります。

考えが無能である時、その人が破壊されます。 BG2章62番、63番

「全ての欲求が満たされると言うことはありません。そう簡単ではありません。いくつかの欲求を満たすことを妨げるたくさんの障害物があります。そして、欲求が満たされない時問題が起こって、あなたは怒り出します。欲求そのものが、怒りクローダに変わります。こうして、欲求は怒りの原因です。クリシュナの言葉で言えば、怒りは、欲求から生まれます。・・・中略・・・その対象物がどうであれ、あなたが何かを欲求する激しさが、あなたの怒りの大きさを決定します。もし、あなたの欲求は、あなたにとってそれが満たされようが、満たされなかろうが問題ではないと言ったようなものであれば、怒りはないでしょう。もしあったとしても、ほとんどありません。ところが、もし、欲求の強さが大きければ、欲求が満たされないことで起こる怒りは、あなたにとっても、あなたと、あなたが望む障害物の間に居合わせた人にとっても、その怒りを扱うことは簡単ではないでしょう。もし、他の人があなたの欲しいものにとっての障害物であるなら、あなたの欲求は、その人に向かって怒りに変わります。もし、あなたがその人に対して、何からの振舞い方を期待していて、その人がそのように振る舞わないとすれば、その人は、明らかに、あなたの怒りの的になるでしょう。

怒りは、いつも、あなたの欲求を満たす妨げに向きます。あなたと、あなたが欲求した対象物の間に妨げがあるなら、その妨げがあなたの怒りの的になります。この障害物に対して、欲求そのものが歪められて、この欲求の歪んだ光線が怒りと呼ばれます。

ここでの要点は、欲求を回避することで怒りを回避すると言うことではありません。そうではなくて、あなたの欲求から棘を抜かなくてはなりません。そのために、適切な物事の捉え方がとても大切です。私が望むものは全て起こらなければならないと言うのは、現実的な期待ではありません。そのような期待は、ただ、ラーガ・ドヴェーシャによってあるのみです。もしあなたが怒りから自由になりたいのであれば、あなたの好きと嫌い、ラーガ・ドヴェーシャが和らげられなければなりません。

それは、コントロールすると言った問題ではありません。一体、怒りをコントロールするとは何を意味しますか?怒りは内側にあって、あなたは爆発を抑えて、抑えて、抑えて、いつかそれが、突然火山のように爆発する時まで!一旦、怒りがあれば、起こることは、よく知られたことだけです。アヴィヴェーカ、識別の欠乏があります。怒りの中で、あなたは、ある種の行いが適切かどうかを考えるのに時間をかけないでしょう。あなたは、『私は彼を蹴るべきか、パンチを与えるべきか?』と考えるのに時間をかけたりしません。最初に考えたことが、起こります。一度怒りがあるなら、ただ事態が起こります。あなたがすることや、話すことは、一人でに起こっていて、全面的にあなたの過去の育ち方に依存しています。

それをコントロールすると言った問題ではありません。まさに怒りという意味が、何をするべきか、するべきでないかに関してのヴィヴェーカが不足していることなのです。そして、この怒りから、妄想、サムモーハが起こります。これらの二つの詩で指摘されたことは、人が一つの対象物を思う時に怒ることの過程です。ここには、時間は含まれていません。対象物を思うことは愛着を意味し、欲求を意味し、怒り、妄想、そして更なる状況を意味します。

怒りから生まれた妄想のために、記憶の喪失、スムルティ・ヴィップラマが起こります。スムルティ、記憶という言葉は、ここでは、あなたがシャーストラを勉強することで学んできたものを意味し、あなたが正しいこと、間違ったことの理解をしてきたことを意味し、あなたの先生や、年長者や、過去にあなたを怒らせたこと、起こったことなど、人生の体験から学んできたことを意味します。妄想と、それによるアヴィヴェーカ、識別の欠乏が起こったなら、これらのどれも覚えてはいません。こうして、あなたの過去の教育や体験から集めた知恵の全てに関しての記憶の喪失があります。

一度でもあなたの過去の体験からの知恵、スムルティが役に立たない時、考えは無能です。ブッディ・ナーシャがあります。あなたのブッディは、今、しなければならないことなのか、してはいけないことなのかの分析ができません。なぜなら、あなたが集めた知恵のどれもがあなたに役に立たないのですから。妄想は、あなたが持った知恵をあなたに忘れさせてしまう、内側に起こる無感覚で、瞬間的な失神のようなものです。ですから、あなたのブッディ、あなたの知性は、するべきだと思われることをすることができません。これは、正しいか間違ってるかに従って、先に進むのか止めるのかの秩序を持つことができないことです。ブッディが行うと期待されていることがそれで、それが、そうできないのです。

知恵がないと衝動が圧倒する

ブッディは知恵があるときに役に立つだけです。知恵がないと、それは、全くプログラムされていないように振る舞って、衝動が圧倒します。言い換えるなら、ブッディが破壊されます。プラナッシャティ。人は人でなくなり、その人は自分自身を衝動に明け渡すので、動物のようになり得ます。衝動が打ち勝って、その人が何をするのかを決めるのです。

ものへの瞑想の代わりに、自分自身に瞑想するのです。あなたの問題と抑圧に瞑想する代わりに、プラッテャグ・アートマー、内側の自分自身に瞑想しなさい。なぜなら、もしあなたがそれをしないなら、当然のことながら、あなたの問題の全ての原因であるものに瞑想するでしょう。」

引用文献:https://www.amazon.co.jp/BHAGAVADGITA-HOME-STUDY-COURSEバガヴァッドギーター第2章-Swami-Dayananda-Saraswati/dp/B07X6D1T48 P314〜320

 

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