相手と自分、与えられる役割と与える役割、あるいは、反対に、与える役割と与えらえる役割の中で、そのひとつの大きな喜びがあるとき、その喜びがダルマですから、ダルマを求めた生き方ってそういうものですね。
与えられる人、あるいは反対に与える人の自己満足ではなくて、相手と自分がひとつの大きな喜び、満足があるとき、その喜びがダルマの喜びで、イーシュワラがきれいに現れた姿ですね。
そして、そのダルマの喜びを追い求める限り、必ずダルマがその人を生かしますから、生きてゆくために必要なものは心配しなくても、与えられます。
生きてゆくために必要なものがそろえば、与えられるけど、自分が生きてゆくために必死なのにどうして与えられるでしょう。自分が損してまで、どうして与えられるでしょう、という基準で考えるかぎりダルマの喜びはありません。
スワミジの言葉より