人は経験するために生まれてくる。
だから、生まれる前は全て知っているし、全知全能なのにこの世で経験するためにその全てと引き換えに五感という感覚と、それを味わうための魂の入れ物を与えられる。
それがこの肉体。
肉体がないと五感を感じることはできない。
意識だけの存在。
肉体の使い方マニュアルはないから、あれこれ動かしてみて試しながら覚えていく。
私たちはこの世に生を宿した時から、全ての記憶を失くし、新しい命として存在し始める。
まるで何も知らないかのように。
この世に生まれて経験したいという「願望」
見るもの、聞くこと、触れること、香り、味わいたいという「願望」
過去世のカルマを燃やすために、魂を磨きたいという「願望」
願望によって人間として生まれたのだから人間である限り、願望はあって当然のこと。
そして、その願望によってどんな風に生きるか、どのようにしてこの世のために生きられるか、願望をどんな風に使うのか…
それによって次の生きるステージが変わってくる。
そして、そのステージが変わっていくごとにこの五感が、実は必要ない事に気がつき、全ては自分の内側にあることを知り、感覚が自分の外側にある物に揺れ動かされることがなくなると、たくさんの経験をさせてくれた肉体に感謝して神への捧げ物として、この肉体を綺麗にしてお返しする。
肉体には限りがあるけれど、意識は無限で、まだまだ、もっともっと…と肉体を必要として居る場合は肉体や物質、人に執着して肉体があると思って存在している場合もあるし、子供たちの言葉を借りると、反省部屋にしばらく居てからまた生まれてくる。
全て知ったままだと、何のために生まれてきたのかわからなくなってしまうし努力とか、頑張るとか、そういう人間としてのやりがいみたいなものが失われてしまうからね。
みんながみんな、全てを知ったままの状態だと誰も何もしなくなるし、それじゃただの宇宙と一緒!
て話になるので、全て忘れる人がほとんどなのです。
もちろん、中にはなぜ生まれてきたのか、何がしたくて生まれたのか記憶に残って居る場合もあります。
それが上で書いた「反省部屋」の話しをしてくれる子供たち。
そして、全てが自分だということも、全ては何もないということも知って居る人もいます。
そういう方達は、この世の導き人、案内人として存在しています。
インドの修行を積んで居る方々だけではなく、この俗世界にも凡人として存在していたりします。
どうすれば苦しみから逃れられるのか、
どうしたら辛く無くなるのか
どうしたらいつも幸せでいられるのか。
その方法を、魂の準備ができた人たちに伝えています。
魂の準備ができていないと、それを伝えても理解できないし、捻じ曲がって理解しきれずに真実が変わってしまう場合もあります。
僧侶と言えども、頑張って修行を積んだとしても、これを知ることはできない人もたくさんいます。
この世に強い願望を抱いて、執着心を持って快楽にふけって居る場合もあります。
それぞれのステージがありますから。
ステージを上げていくため、過去世のカルマを燃やし尽くすまで、願望は手放さないでくださいね。
手放すのは、執着心。
苦しみや悲しみ、憎しみや恨み、妬みや嫉み、僻みや怒りなどに変わってしまうほどの強い願望ですよ。