令和元年
記念すべき始まりの3日間は、千葉県夷隅郡大多喜町にあるあじさい寺でも人気の、天空のお寺、天拝園妙法生寺で過ごすことができました。
宮城、福島、富山、群馬、東京、神奈川、埼玉、千葉、愛知、大阪、愛媛からと、全国各地のご遠方から足を運んで下さり、たくさんの尊敬する方々にお越し頂きまして、本当に心から感謝を申し上げます。
皆様、素晴らしい体験や学びをされていて、お話しさせて頂いてている立場にありながら、こちらが学ばされる姿勢や態度ばかりで、有り難く、皆様を心から尊敬致します。
初日は雨でしたが、翌朝は素晴らしい日の出を拝むこともできました。美しすぎます。
海辺にかかる霧の中から顔を出す朝日は、何層かに色がグラデーションしていて、さらに美しく見えていました。
お寺様ですので、せっかくですから写経や読経もしながら過ごす時間も設けて、皆様没頭されていらっしゃいました。
初日から、伝統的なヨーガとは、という内容についてお話をして、人の成長発達の過程には、アルタ、カーマ、これを得たら安心、幸せ、と思い束の間の幸せを体験しては、また求めていく時期があり、ありとあらゆるものとの調和を大切にしながら生きるダルマや社会貢献をする時期、そこから、私たち人間はなぜ生まれたのかということや、生きている意味や目的を知りたくなり、モークシャを求める生き方の段階があること。チャクラを整えることは人としての精神的な成長発達段階が影響し、成長を遂げると無償の愛や慈しみの心が残ること、全てはたったひとつで繋がっていることを知ること。その段階になると全ての色が合わさりチャクラは透明になることや、感情や気分・思考や感覚などによって心理作用が働いて、一時的にチャクラが乱れることなどをお話しました。
ご自分を心地よく安心の中に身を置くことを習慣にしていくことで、外側にあるものに対する意識から内側に意識を向けて、心の動揺を少なくすると、目の前にある歓びや幸せに感謝の気持ちが湧き起こることや、その繰り返しで、自分の幸せや歓びを他者へも伝えていくことが自然と社会貢献になり、やるべきこととやりたいこと、実際にやっていることが重なっている時に、人は幸せで充実した生き方ができることなどもお話していく中で、涙が出そうになった方や、さらにヨーガに興味が持てた方も多く、カルマヨーガなどを通してご自身をしっかりと見つめて、瞑想的な3日間を過ごされていた方も多くいらっしゃいました。
最終日は、早朝からガネーシャプージャーの後、東京大学大学院仏教哲学インド哲学研究室教授の箕輪顕量先生の講座「仏教から見たマインドフルネス」もお話して頂き、人の心の働きは自分自身が創り出していることもご説明頂きました。これが素晴らしく打ち合わせもしていないにも関わらず、私の講座とうまく流れができていて、ヴェーダーンタの伝統的な喩え話の一つである「縄と蛇」のお話も、再度その話題に触れて頂いたり、一つの対象物に心を結びつける瞑想方法をお話して下さった後に、私の方の最後の講座では、ヴェーダーンタからの瞑想の定義について、一つの対象物に意識を向けるサグナ瞑想や、マントラをひたすら唱えるジャパ瞑想、意識を大きく広げて一体となり全てが意識の中にある感覚に身を委ねるニルグナ瞑想についてや、日常生活の中で揺れ動いた時にもすぐに本質に戻ることが本来の瞑想であることのお話をさせて頂き、本当に全てがうまく繋げられていました。
イーシュヴァラはやはり完璧ですね。素晴らしい。
そして、歴史的に見ても伝統的なヨーガでは、体操のアーサナはなく、1800年代にイギリスによる植民地支配下にあった時に、イギリス人によって体操が取り入れられたことから始まったとのことです。
伝統の教えであるヴェーダンタを学ぶ中では、アーサナはしません。アーサナとはサンスクリット語で座ること、座布団のことを言います。
長く座り、瞑想の練習やヴェーダーンタの教えに耳を傾けることのために取り入れられたのでしょうね。
ヴェーダーンタの伝承については、どうしても外から見て研究する立場にある方々と、伝統の教えを継承する中で学び受け継いでいる者とでは、見えるものが変わってきます。研究者からは、物質的に目に見えるものからしか歴史を刻むことはできないため、言葉による口伝で受け継がれてきた4500年以上前の宇宙の始まりから伝承される神の言葉であるサンスクリット語の教えは、お釈迦様も学ばれていた内容ですが、歴史的には仏教の後にヴェーダーンタの書物として文献が残されています。
伝統的なヴェーダーンタの教えの先生がいて、その先生には先生がいて、さらに先生がいて、それをどんどん遡っていくと、たった一つの源の教えに繋がります。
これからも皆様が、そういう先生のもとで学ばれる恩恵を授かれることを祈っております。
ヨガニドラーでは、完全に緊張から解放され、身体を手放して意識だけで起きていることで、真実の幸せの世界を体感しながら、サンカルパ決意を唱えました。それがまだできず、緊張したままあれこれ考えが浮かぶ場合は、繰り返しヨガニドラーで緩める練習をすると良いですね。
初日にヨガニドラーを入れているのは、心を穏やかに柔軟にするためには体の緊張を取ることが必要です。しっかりとこの3日間での生きる意味や幸せとは何か、自分自身の心の動きを見つめて理解に少しでも近づけるためには、初日に緩めて最終日のアーサナ後にもう一度、ヨガニドラーを入れて、サンカルパの意味を見出し唱えていきます。
アロマ石けん作りは、完全なるおまけです。良い香り、ご自身のお好きな香りに包まれて心地よくなって頂きたいと願う思いと、何か物質的なお土産を持ち帰ったら嬉しいかなと思う気持ちです。
ヨーガのチャンティングとプージャーやキールタン、瞑想や講座の中で、自分とは何かの知識を理解され、すでに満たされていることに気づかれる方も多くいらっしゃいました。
満たされている感覚を覚えるのは、すでに自己愛が育まれている証拠ですね。
素晴らしい人間としての精神的な成長発達段階にいらっしゃることがわかります。
もっとこの学びを深めたいと思われる方がたくさんいらっしゃったことも本当に嬉しく、感謝に尽きます。
最後の瞑想では、青い光を見つめて、その心地良さに身を委ねて安心の中に身を置き、穏やかにご自身を見つめることを実践されて、その後は日常生活にも取り入れているという方もいらっしゃいました。
そして、ご自身をしっかりと観察し、講義内容をその成長しているご自身の姿に照らし合わせ、理解しながら教えと繋げられている方もいらして、本当に純粋で素晴らしい感性や知性の持ち主様ばかりで、頭が下がります。
今回ではまだ理解に至らない方もいらっしゃると思います。それが自然な流れです。初めて聞いてすぐに理解できるのは、前世からの長い学びがある結果です。今回で理解することが目的ではなく、こういう教えがあり考え方があるということに触れることや、人の心の働きは自分自身が創り出しているのだと知って頂ければ大丈夫です。いつしか何度も繰り返し学べる機会が訪れた時に、少しずつ理解が深まっていき、自分自身の成長を未来のご自分からみて、今のご自分と比べることができます。それが良い悪いではなく、人が成長発達していく過程の中で、誰にでもある時期です。理解できなかった時が誰しもあり、外側への意識ばかりで自分自身が辛くなってしまい、満たされない結果を生み出している時期があります。
外側にあるものによって自分を満たそうとしては、満たされない自分を外側にあるもののせいにしたり、満たされない自分を満たして欲しくて、外側の状況や人を変えようとして、思い通りにいかない結果を体験しては、ストレスを抱えたり悩んだり苦しんだりすることを繰り返すことによって、外側ではなく自分自身の心にあることに気づいていくものです。
これが心の働きを動かす原理であることをご理解頂ければ良いです。
それすらも愛の形であり、イーシュヴァラが表してくれている美しさです。
人生の中でも日常生活でもアーサナの運動をする中にも、無理をするでもなく、頑張り過ぎることもなく、心地良く身を置く練習を重ねていき、安心の中に生かされていることを感じることができれば、いずれ理解に繋がっていきます。
無理をすることや頑張り過ぎることも、人の精神的な成長発達の過程では必要な時期もあります。その経験を積んだ先に見えてくることや、それが生かされる時もあります。頑張り過ぎるご自身から、安心に身を委ねることができるご自身に気付いた時の二極化のコントラストを楽しみ、それをまた未解決な人へ還元していけば良いことです。
怒りや悲しみ、不快や嫌悪も素晴らしい体験です。否定することなく、それが起こることもwelcomeな気持ちで見れば良いことです。
まずはご自分に優しく心地良い生き方から始めて下さいね。ご自分に優しくできなければ、他人への優しさも依存や執着から見返りを求める行動になってしまいます。
そうすると、私はこれだけやってるのにわかってくれない、同じくらいのことをしてくれない、返ってこない、という外側への依存や執着から、満たされない自分を相手に見ては自己攻撃してしまいます。
執着の矛先を何に向けるかが大切です。外側に求めては、束の間の喜びや快楽、いつしか消え去り移ろい行き、変わり行き過ぎ去り、色褪せ滅び、永遠ではないことばかりに執着しては、失うものばかりであることに気付き、永遠に幸せでいられる方法を知ることに執着していけば、余計なものは必要なくなり、考えや生き方もシンプルになり、心の動揺も減り永遠の存在に気が付きます。
そうすると、好きも嫌いも、愛着も嫌悪も、快楽も苦悩も、成功も失敗も、愛も憎しみも、全ては同じエッセンスであり、たったひとつの中に存在している一時的なものに過ぎず、永遠の幸せは自分自身から溢れているものだということに気が付きます。
永遠の存在、ブラフマン。それこそがあなた自身であり全てです。
イシュワラ、イーシュヴァラとは、ブランマンからマーヤーを使って、この体や感覚器官を通して現れるブラフマンの形、マテリアルなものや心や考えの現れとして揺れ動く感覚として感じたり目に見える世界、肉体レベルのストゥーラシャリラと、感情気分・考え・記憶などの現れるスークシュマシャリラの世界に現れるもの全てであり、ありとあらゆるものが眠っている原因の世界であるカーラナ宇宙も、全てであるブラフマンであり、あなた自身である意識です。
そこに気付けば、ありとあらゆるものは美しく穏やかで平穏な愛に満たされていることを実感し、幸せに満たされている感覚を知ることができます。
それこそが完璧な自己受容であり、自己肯定であり、自己愛であり自信です。
人は知識によって、生きるゴールを知り理解し、自分自身を制限している考えから自由になること、それこそがヨーガのゴールであるモークシャです。そのためには、自分自身を熟考できる成熟した考えや落ち着いた態度、整理整頓された考えができる発達段階にいることが必要です。
ただ、気付かずに苦しんでいる中でも、この知識を得た瞬間に大きく生き方がシフトし、人間性が変わる人もいます。
簡単にできる人もいれば、とても難しい人もいます。どちらでも良いのです。
今のご自身をそのまま観ていけば良いだけです。
だからあなたはそのままで良いのです。
変わろうとしなくて良いのです。
ありのままで良いのです。
あるがままを観るだけです。
無償の愛でご自分自身を見守ることが大切です。
感情が揺れ動くことは、生きてきた長い間に得た知識や体験によって価値の上乗せをして、個人の考えや感覚を通して見ているだけです。
未来の不安や恐れを創り出すことも、価値の上乗せによって見ているだけです。今現実に起こってもいない、問題のないところに問題を創り出しては見ている。人間は何か不安や心配、恐れを抱いてそれを克服することで安心を得られると思い込む習性がある人もいます。
それですら素晴らしい現れ。イーシュヴァラーヤナマハ。
それが縄と蛇の喩え話であり、そういう心の動きを観察しては、移り変わりゆく心の波を鎮めていく練習をするのが、日常生活でのカルマヨーガです。たった1回の講義とご自分の動きをリンクさせていらっしゃる方もいらして、本当によく熟考されていらっしゃり、尊敬します。
カルマヨーガの時間はフリータイムでもあり、ご住職様と山菜採りに行かれ、旬の葺きや筍やワラビなどを持ち帰られた方や、太平洋一望の天拝園やお庭までお散歩されたりして、たくさんの皆様がつながり交流を図ることができていらっしゃいました。
最後は、たくさん余ったお野菜を皆様にお持ち帰り頂きました。
自然栽培のお野菜をたくさん届けてくれた契約農家様にも感謝ばかりです。
そして毎朝の日の出と共に、平和を祈るお題目をあげられているご住職様にも、本当に心から尊敬と感謝を贈ります。
記念すべき3日間を共に過ごせたことに、感謝と尊敬とe.t.c.どの言葉で表せば良いのかわからないくらいの恩恵を授けて下さり、イーシュヴァラである皆様には深く深く御礼を申し上げます。
イーシュヴァラーヤナマハ
主催者であるkaori Kamalaは、伝統のヨーガの教えであるヴェーダーンタ聖典の学びに没頭しながら、与えられた社会的役割を行うカルマヨーガを通して本来の意味である瞑想的に生きるためのヨーガを実践しており、感覚器官を喜ばせるだけの生き方を自然と手放し、生活を送る者です。自分の好きや嫌いという感覚に振り回されず、望ましいも望ましくないも同じである見方をして、全てがたった一つに見えています。皆様の感情の動きも心の働きも、私に見えるものは全て私にあります。見えいていないものですら、私にあります。無限の意識であるブラフマンにあります。
私もまだまだ未熟であり、成長発達の途中ですので、学びが必要です。
この教えが愛おしすぎて、知りたい方にシェアするためにヨガリトリートを開催しております。
また、日本では数少ない助産師という職業や、保健師という役割をイーシュヴァラから与えて頂いたことが、とても素晴らしく有難いことであり、その社会的役割を生かしながら、伝統のヨーガを求める方のために、生き方や考え方、見え方を日常生活に活かし、目の前にある幸せを感じられるように活動しています。
今年は助産院という医療機関としての届け出をして、産後ケア施設とヨガリトリートを併設し、保健医療施設として健康サポート事業や予防医学を提供する医療機関として運営して参ります。ご出産された後に、育児や母乳ケアサポートを受けながら、ご宿泊していただくことができます。
生まれる前から自分自身についての知識を得て、人として尊重されながら自分自身を尊重でき、穏やかに幸せに満たされながら生きることや、生きている間にしかできない、この大切な知識をご高齢者にも伝えられるよう、リトリート参加者様と世代を超えて子育てや生き甲斐支援に関われる施設として創って参ります。