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偏った見え方 偏見とは

偏見 それはあなた自身

人ってたくさんの経験を積んだとしても、なかなか全てをわかることってできないですよね。

人の経験は無限ですからね。

それでも、自分が経験していないことであっても、目の前にいる人から見たり聞いたりすることも経験の一つになります。

人の360度を理解するのは果てしなく不可能に近いです。

相手の裏側にある部分まで、見えていないし分かりようがない。

あなたの常識はあなたのもの。相手の常識は相手のもの。

全てがあなたの思う常識ではありません。

その人の一部分を見て人の噂話や文句などよく「信じられな~い」なんて言葉を聞きますが、

でもね、それってよく考えたら、あなたが信じられないだけで、その人には真実だから、それでいいんです。

信じられなければ信じなくていいんです。

「あり得な~い」も同じです。

そういっている人にはあり得ないことでも、実際あり得てるので真実なのです。

だから、そうやっていっている人というのは、経験値も低いしいろんな人や物事が理解できないし、

受け入れられずに許せないことが多いんです。

自分が知り得ないこと、理解できないことに遭遇しても、その人の境遇や環境、状況などを理解して受け入れるようにしてみませんか?

世の中には、大きく分けて良いと悪いが存在します。

でもその両方がこの世に存在しないと成り立たないんですよね。

良いものばかりだったら、良いとされる中で必ず悪いものが出てくるし、悪いものばかりの世界だったら、その中で良いとされるものが出てきます。

そして悪い世界の中で良いことをしても、それはとても批難されてまるで悪いこと扱いにもなるでしょう。

だから、人の物の見方や考え方というのは千差万別で、最終的には良いも悪いもなくなっていくのです。

人に見る嫌悪感や否定的な感情は、実は全て自分の経験を相手に見ています。

この人感じ悪~いと思ったら、それはあなたが自分が自身で受け入れられない部分です。

幸せな人を羨んで意地悪する人もいますが、それは自分が幸せになろうとすることを許してあげずに否定的に捉えているからです。

周りに嫌な人がたくさんいるなら、それはあなた自身に自分が受け入れられない嫌な部分がたくさんあるということ。

相手に見ることを一つ一つ受け入れて、許していくことから自分を好きになる。

相手に見る嫌なところは、自分自身の嫌いなところ。

もしも、今嫌だなと思う人が目の前にいたら、よーく考えてそれが自分自身にある部分だということを振り返って考えて見ましょう。

そして、そんな自分がいてもいいじゃないかと許してあげてください。

偏りをなくして心をフラットにして、自分の内なる中心部分をクリアにして見たいですよね。

それができるとあなた自身がキラキラと輝きだしますよ!

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