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全ての枠を取り払うための知識ヴェーダンタ勉強会九十九里

伝統的なヨーガの教えのヴェーダンタを学ぶという事は、自分自身の見える世界をどんどん枠の中に嵌めて、小さくしてきた見え方考え方を取り払うための知識を得る事ですが、一生懸命学んでいても、なかなかその枠は取り払うのは難しい人もいます。

 
たった一つの世界、たった一つの人、たった一つの場所から個々に分かれているように見える「私」という個人の存在ですが、それを理解するという事は、どのような人も同じ存在だということを知ることです。
 
ですから、幸せいっぱいの中にいる人も、苦しみの中にいる人も、良い行いをする人も、悪い行いをする人も、人に優しい人も、人を傷つける人も、全ては同じ存在です。
 
もちろん、人を傷つける人や犯罪を犯す人に、わざわざ自分から近づいて仲良くするとか、そういうことではありません。
 
悪いことをする人も、人を傷つける人も、全ては愛の形が歪んで現れているだけのことです。
 
思いやりや優しさという表現の方法を体験したことがなければ、それを表すことも難しかったり、受け取ることも難しかったりします。
 
物や人への依存、アルコールや薬物などへの依存も、自分自身とは何かの知識を知らないことから、外側にある物へ依存しては、思い通りにいかない苦しさをまた外側へ執着しては依存することの繰り返しで、自分の身を滅ぼしていきます。
 
育った過程で、いつも怒りをあらわにする養育者の元にいれば、それが愛の表現方法だと思うでしょうし、人からものを奪うことで自分が満たされると思って育てば、そういう方法でしか自分を満たすことができないでしょうし、そういう行動をしてしまう過去の体験があるということです。
 
そういった客観的な視点が必要ですが、そういう行動をしてしまう人を差別したり偏見で罵倒したりする事は、それも結局自分自身に返ってくる言動であったり行動であったりします。
 
でも、本当の思いやりや優しさに触れることができたとき、とても心が揺さぶられる感覚を覚えることができるでしょうし、そういう体験によって、人にこういうことをすると心が揺さぶられるほどの喜び、または感動や嬉しさなどなど、そういった感覚を覚える体験を繰り返していき、自分が体験した嬉しさや喜びを人にも体験して欲しいと思えば、自然と優しさや思いやりの連鎖が生まれるのではないでしょうか。
 
そして、真実の知識であるヴェーダンタを学ぶことでさえも、全ての人に分け隔てなく与えられている知識です。
 
でも、それを拒絶したり否定したりする人が多いから、自分で自分をその知識に近づけないようにしているだけなのですよね。
 
ですので、この全てがたった一つであるという知識は、全ての人に同じようにあるものです。
 
知識がある無いという意味は、無知だから悪いとかいう偏見や色付けでものを見る人が多いですが、知識というのは勉強すれば得られるものであって、知れば良いことです。
 
知らないから知識がないとか、無知という名前がついているだけで、知りたいと思えば知る努力をして、得られた時に知識として光が当たるだけです。
 
知識も無知も、すでにそこに同じように存在しています。光が当たっているかいないかの違いです。
 
昼と夜が存在しているように、光と闇があるように、常に同時に存在しています。
 
私たちは無限の存在ですからね。
 
生きている間に得られる知識を得る方が、得だと思えば学んでいけば良いだけのことですし、必要ないと思えば学ばなくても良いことです。
 
それを、学ばないと悪いことのように受け止めたり、学ばなければいけないんだという強制のような感覚になったり、学んでいないことをバカにしていると受け止めたりすることも、全ては偏見であり、自分で自分を枠の中に嵌めてしまう癖であり習性です。
 
それが良いでも悪いでもなく、ただそういう風に見えるというだけのことです。
 
その知らないということによって、人を傷つける言動や行動をしてしまうのですね。
 
だったら、思いやりや優しさをうまく表現できる知識や体験を重ねて、自分にも人にも分け隔てなく関われる人間性を高めていきたいと思うのが、人間の成長のあり方ですよね。
 
今すぐにではなく、将来的にいつか、全ての人に対して分け隔てなく平等に、偏見なく、無償の愛を持てる在り方を持てたら良いですよね。
 
良いも悪いも、ダルマもアダルマも、プンニャもパーパも、善も悪も、全てはたった一つの同じところにあります。
 
だけど、やっぱり人は心地よい方が良いと思うのが当然ではないでしょうか。そうすると、必然的に優しく思いやりのある態度や行動、言動でありたいと思うのが人間らしさではないでしょうか。
 
人にしていることは自分にしていることと同じですから、返ってくる来ないに関わらず、優しく心地良い行いを常に心がけていたいものですね。
 
心を亡くすと書いて忙しいと言います。忙しさにかまけてそういうことを忘れてしまい、人間らしさである優しさや思いやりを表すことを怠りがちですが、そのためにもゆとりを持って、心と意識にスペースを作っていく必要があり、たった5分でも瞑想の時間を持つことが大切になります。
 

 
この知識が皆様の意識に光となって灯りますように。
 
ヴェーダンタ勉強会九十九里は、次回6月7日9時スタートです。
ここから、聖典の話題にどんどんと入っていきますので、全7回を予定しておりますが、全てのご参加をお勧め致します。
7/5, 8/9, 9/13, 10/18, 11/1, 12/6を予定しております。
運営費2000円+ダクシナ、ベジタリアンランチのビクシャ(スポンサー受付中)

ご予約はこちらから https://coubic.com/scentofbliss/106169

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