人は、問題のないところに問題を創り出す。
偏見のない人に偏見を重ねて感情的になる。
そう言う癖が誰しもあります。
当たり前のことを言っても、あるがままのことを言っても、人それぞれの記憶を重ねて捉えるために、言葉の意味をそのまま受け止めることができずに、間違った捉え方と解釈で感情的になる人も多いものです。
それは十人十色。
70億人いれば、人数×考え方の数だけあります。
それを全部知ろうとするのは無理です。
しかし、なぜそうなるのかと言う人間の思考の癖が生まれる過程が理解できれば、乳幼児期の満たされなかった幼児性が現れていることがわかります。
それが未解決なまま大人になるため、いつまでも満たしてほしいと言う未熟な人間性が、思い通りに満たしてくれない場合に、自分自身に対する怒りを目の前の相手にぶつけます。
人として成熟すれば、その感情を人にぶつけずに、その場を穏やかに対応することができます。
でも、それは簡単なことではないですね。
その思考を自分で観察していくことが大切です。
そして、常に穏やかである自分自身が共にあることに気づいていくことです。
自分が穏やかでいられれば、誰もが個人個人の未解決な問題を重ねて見ているだけだということが理解できますので、ただ幸せでいられます。
そのためには、何ができるかを考え、手助けすること、それが慈悲なのです。
忙しい思考が飛び回っている時は、ただ見守ることしかできません。
一旦思考が落ち着く時、または、なす術がなく落胆にくれて思考が止まった時、見守っていたその人はやっと手を差し伸べることができるものです。
怒りや苛立ちは、未熟な未解決な問題を抱えた自分の中の小さな子供です。
目の前の状況、音、色、形など、5感で捉えられる情報と過去の記憶が重なって、幼い頃に満たされなかった寂しさなどが恐れや不安や緊張となり、その時に抱いた感情が記憶に刻まれます。
それが、大人になっても未解決なまま抱えているため、音・色・形・匂いなど、どれか一つでも条件が重なると過去の記憶が想起します。
そして、嫌悪や恐れ、不安や緊張などが蘇り、自分を脅かすものとして認識するために、怒りが湧きます。
それを識別すれば、自分で自分の感情を扱えるようになります。
そして、それを扱えるようになると、なぜ人は感情気分が揺れ動くのかが理解できます。
でも、また感情に連れ去られては、人を傷つける言葉や態度をする。
それをすればするほど、結果はその人に返っていくだけ。
でもまた気付けずに、ずっと繰り返す。
怒りや苛立ちが湧いた時には、まずその衝動を6秒間グッと堪えて、その怒りを人にぶつけないように、その場を立ち去ることや、人に迷惑のかからない物にぶつけるとか、書き殴ることをしてみてください。
その繰り返しで、抑え込まずに吐き出すことができます。
一段、人間として成長した時に、その時の自分を見返すと幼稚だったことに気がつきます。
人間は、その感情気分を自分で自分自身に解消させるために、未熟で稚拙な自分の中の子供たちを受け入れられるよう、考えを大人に成長させることです。
ひたすらジャパ瞑想を続けてみて下さい。
一つの短い単語を繰り返すだけの瞑想です。
なんでも良いですが、大切な言葉、感謝や喜びが湧く言葉が良いです。
何もなければ、まずは
オーム イーシュヴァラーヤ ナマハ
を繰り返すと良いです。
そして、感情気分が動き回るのを観察してみて下さい。
そして、それを眺めている視点に気づいて下さい。
一人でわからなければ、パーソナルレッスンも受け付けています。
ヨガリトリートでも、瞑想や生き方についてのお話もしています。
そして、人間が追い求める最後のゴール、その知識であるヴェーダーンタを学ぶ勉強会もやっています。
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どうか皆様が、あるがままのことをあるがままに見ることができますように。
日々お祈り申し上げます。