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その2〜嫌われる勇気という本がミリオンセラーになりましたが、嫌われることを恐れ

パレートの法則というのがあって、2割の人に好かれて2割の人に嫌われて、あとの6割の人はどちらでもないというのが、おおよその場合に当てはまるというところまでお話ししましたね。
嫌われる勇気という本がミリオンセラーになりましたが、嫌われることを恐れ〜その1
http://scentofbliss.com/嫌われる勇気という本がミリオンセラーになりま/

でも、批判する人も嫌う人も叩く人も、実は興味がある証拠。好きや愛着の裏返しでしかありません。

表現の方法が逆になってしまうだけなのです。なぜなら、自己否定から来ているからです。

自己否定感や劣等感というのを抱えて自己愛が育まれていないと、自分を劣って見てしまうために人が羨ましく思えて蹴落とそうとする人もいます。

非の打ち所がない人の粗を探しては見つけて喜ぶ人も居ます。

ゴシップネタ満載な週刊誌が大好きな人たちは、人気のある芸能人を陥れたり、粗探しのために追いかけ回したり。

もちろん良い記事もあるけど、どちらも2割程度。

多くの人が飛びつくネタはそのくらい。

そういう人たちにどう思われるかのために生きていたら、健全ではいられないですよね。

だけど、その人たちにそういうことを言うのはやめて欲しい、認めてもらいたい、好きになって欲しい…などなど、自分の欲求をその人たちに向けて変えようとしても無理なのです。

なぜなら、そういうことを知らないし経験していないから仕方ないのです。

嫉妬や憎悪によって批判や否定する人たちは、自分自身が人からも自分自身からも認めて愛されたことが少ないから、わからないのです。

愛されても信じることができないから、安心して相手に身を委ねることができない。

それを知れば、どちらも愛の形であり、好きも嫌いも同じ執着心です。

ですので、そういう人たちを好きな方に転換することも可能です。その人たち自身が自分を認めること、つまり自己肯定することです。

自己否定も多少はあっても当たり前ですが、度が過ぎると人を傷つけ自分を傷つけます。

自分の中の批判や嫉妬など、自己否定の感情が出てきたら、それもただ見守ってあげてください。

出てきちゃダメなものではないのです。

幼い頃からの積み重ねで出来上がった偏見が自己否定を作り上げています。

幼い子供は親の態度や言動、行動が自分にとって好ましくない時、親は自分のことが嫌いだからそうするのだ、自分が悪いからそうするのだと思い込み、自分を責めるようになります。その繰り返しによって、自分はとても小さい存在なのだ、嫌われているのだと自分を小さな枠の中に閉じ込めてしまい、その枠の外にいる人たちを認められなくなり、心の自由を奪い抑圧され、自己嫌悪、劣等感、自己否定してしまうという形を作り出します。

だからこそ、あなた自身が人を愛して自分を愛して、人を認めて自分を認めて、愛の循環を生み出せば良いのです。

批判的、否定的な人たちにも愛を教えてあげる存在でいて下さい。

自分が変われば世界は平和で幸せになります。

人を変えようとする執着心を、自分が変わろうとする方へ転換した方が楽しいですよ。

全ては自分の世界を人に見ているだけのこと。

それぞれの人が自分の創り出しているものを人に見ては、喜んだり悲しんだり、楽しんだり怒りや憎しみ、嫉妬や羨み、様々な感情を浮かべます。

自分自身の受け入れられないものを相手に見ていたり、過去の体験を通して、嫌悪を抱いた経験を見ては相手に様々な感情を抱く。

それぞれの世界の重ね合わせでできているのです。

自分の側からもこの人なら安心だとか、信頼できるとか、勝手に思い込んで、あるがままの自分を曝け出したら否定されたり、やめた方がいいと言われたり、ドン引きされたとか怒られたとかで、逆にその人を嫌いになってしまうことがあるのではないでしょうか。

それも結局は自分で創り出している世界なのですね。

この人なら自分を受け入れて認めてくれる人。というのを創り出しては、否定されたり制圧されれば、受け入れてもらえなかったと感じる。

それが自分の思い描いていた安心や信頼の度合いが大きいと、それが嫌悪を超えて憎悪になってしまったりするのです。

だから愛と憎悪は同じ執着心から生まれるのですね。

相手が親であれ家族であれ、自分ではないので見る世界が違います。

結局は、自分の好きと嫌いに自分自身が振り回されているだけで、相手がどうこうではないのです。

自分のことを一番良く知り理解してくれているのは、他の誰でもなく自分自身なのです。

だから自分で自分を許し、認めて受け入れて、それでもいいのだよと包み込んであげることが大切です。

自分が相手に抱いていた期待という執着が、思い通りにいかない時に、裏切られた、とか、相手はひどい人、という認識になります。

大概の人は、辛い出来事や苦しい体験をした時、あの時はああだった、今とても辛いなど、誰かに話をすることで抱えていたネガティブな感情を吐き出すことができます。

その時に、大変だったね、辛かったね、と共感してくれる人が居てくれれば良いのですが、そういう人は意外と少ないものです。

ああしたほうがいい、こうしたほうがいい、そんなの自分が悪いんだ、などなどいう人の方が多いかもしれません。

専門的なコンサルテーションを必要とする場合はアドバイスすることも仕事なので別ですが、だいたいは共感して聞いてくれる人がいれば、自分の感情が整理されていき、自己解決していくものです。

それができる人が周りにいてくれる人は、自分自身の表れですから感謝以外の何物でもないですね。

あれこれ言って共感でいない人が周りに多い人は、それも自分の表れですから、自分がどうされたら喜ぶのか、どうしたら安心するのか、自己解決できるのか、自分自身を喜ばせるように楽しませるように、労わるように癒すように人に関わるようにすることが大切です。

話は変わるますが、先日、小林麻耶さんのブログを拝見しました。あの方は、有る事無い事色々と言われたり書かれたりしてしまうようですね。

私から見たら、直接は存じませんが、いくつになっても純粋で可愛らしいし、賢くて思いやりに溢れている方。

でも、ああでなくてはいけない、こうしなければならないの呪縛の中で生きてきて、辛くなったこともあるのでしょうね。まだ読んではいませんが、「しなくていいがまん」という本のタイトルを見ると、そうなのかなと思いました。

最愛の妹さんが亡くなるまで、献身的に看病していたのを記憶しています。悲しみに暮れている中、甥っ子さんや姪っ子さんの面倒を見ていれば、やれ海老蔵さんと結婚だの好き勝手に言われていましたね。だけど、直接知らない人たちがあれこれ言う。

それだけ人気者だと言うことです。褒めてくれる人達もたくさん居るけど、世間がフォーカスして居るのは反対側ばかりだから、一般の人たちにはそちらが目につくだけのこと。

どちらに目を向けるかだけの違いです。

 

またもや長いので次回へ続きます。

 

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