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意識と潜在意識の違いについての覚え書き

先日、ヴェーダーンタ勉強会九十九里で学ばれている方が、潜在意識と表現をされていたので、そこを混同してしまうと理解が難しくなってしまうので、混乱しないように覚え書きとして残しておきます。

伝統の教えの中では、潜在意識や顕在意識という言葉は、私の知る限りでは出てきません。潜在顕在と言うと、潜んだり顕れたりする移り変わりがある質を持っているので、ミッテャーになるかと思います。

意識は、サッテャム・ニャーナム・アナンタム・ブラフマ、真実・知識・幸福・自分自身である無限で永遠の、大きさ形もない、捉えようもない、質を持たない時間空間にも制限されることのない自分自身です。

ですので、サッテャンであるブラフマンはミッテャーである顕在意識でも潜在意識でもないと言うことが分かります。

しかし、ミッテャーは意識であるブラフマンに頼っていて、どこも離れてはいないので、遍く満ち足りていてブラフマンでないところはありません。

知っていることも知らないことも、認識している移り変わりのない自分自身が移り変わりを捉えています。

質を持たない移り変わりのないものは、移り変わる質と間違えやすいので、混乱の原因になってしまいます。

色という質を持たない水晶が、近くに赤い色のものがあると、まるで赤に染まったかのように見えるように、純粋で質のないものほど周りの質と間違えてしまいます。

止まっている電車に乗っている時、隣の電車が動いたら、まるで自分の乗っている電車が反対方向に動いているように錯覚してしまいます。

動きという質のないものは、周りが動くとまるで自分が動いているかのように間違えてしまいます。

性別とは何かと言う質問もありましたので、ついでに覚え書きしておきます。

それも質です。カルマの結果から生まれ持ったこの体に現れた姿形を持つ属性です。

姿形を持って一時的に現れた名前や役割は、移り変わるミッテャーです。

金の塊が、デザイナーの技術によって、素敵なネックレスになったり指輪になったりすると、姿形も違えば名前も役割も違います。しかし、金がなくなったわけではなく、ネックレスも指輪も金です。

その姿形が溶けてなくなったら、ネックレスや指輪は消えるように、一時的に現れた姿形に名前や役割などの属性がありますが、金の塊に戻ったら、名前も役割も消えますが、金は金のままあります。

人間に生まれてくることは、たくさんの徳のある良い過去の行いの結果によるものです。

この体を持ち出生してから人生を終えるまでの間、様々な属性を得て、姿形と名前や役割を使ってこの世界を舞台にして、与えられた肉体を使って役割を存分に演じ、この世界を支える一員として、ブラフマンから存在を与えられています。

大切に丁寧にこの体も役割も使い果たし終えたら、たった一つのブラフマンだけがあります。

なので、ブラフマンはジーヴァ個人ではありませんが、ジーヴァ個人はブラフマンと同じです。

バガヴァッドギーター第8章3節

श्रीभगवानुवाच |

अक्षरं ब्रह्म परमं स्वभावोऽध्यात्ममुच्यते |

भूतभावोद्भवकरो विसर्ग: कर्मसञ्ज्ञित: || 3||

śrībhagavānuvāca

akşaraṃ brahma paramaṃ svabhāvo`dhyātmamucyate |

bhūtabhāvodbhavakaro visargaḥ karmasañjñitaḥ || (3)

シュリー バガヴァーンが言いました。

ブラフマンは、限り無いもので、変化にさらされないものです。その現れた姿、体をなしているものは、アッデャートマ、つまり、ジーヴァと呼ばれます。カルマとして知られるものは、捧げる事です。それが、生き物に体を作る原因です。

バガヴァッドギーター第8章4節

अधिभूतं क्षरो भाव: पुरुषश्चाधिदैवतम् |

अधियज्ञोऽहमेवात्र देहे देहभृतां वर || 4||

adhibhūtaṃ kṣaro bhāvaḥ puruṣaścādhidaivatam |

adhiyajño’hamevātra dehe dehabhṛtāṃ vara ||(4)

ああ、体を持つ者たちの中で最も優れた人よ。生き物たちとは衰退にさらされるという性質に集約されます。そして、デーヴァターたちは、ヒランニャガルヴァに集約されます。この体の中に、儀式の本質である私だけがいます。

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