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昨日の地震が大きかったので皆様心配されていらっしゃることと思います

ヴェーダーンタ勉強会九十九里より

昨日の地震が大きかったので皆様心配されていらっしゃることと思います。

東日本大震災から10年。

当時、現地で過ごされた方々は、その時の様子が蘇り、また緊張と不安に駆られることもあるかと思います。

慌てそうになった時には、一歩引いて落ち着いて考えて冷静に行動して下さいね。

今朝のヴェーダーンタのクラスで不安の声があったので、こちらにも記載しておきますね。

常にダルマに沿って与えられることを与える側になることを選択していけば良いのです。

何かを失うことへの恐れと不安は、そこに執着があるからです。

あなたがイーシュヴァラなのであれば、失うものは何もありません。

全ては現れて消えていくもの、ミッテャーです。

もちろん、安全の確保に努めることは大切です。

備えあれば憂いなし。体を安全な場所に置くことも必要です。

しかし、安心と安全を追い求めては失う不安と恐れに駆られていては、またイーシュヴァラ・自分自身を見失います。

そもそも安心で安全のあなたが、それを得る必要もなければ探す必要もなく、自分の与えられた役割の中で何でもできる人です。

失うことに目を向けるよりも、いつでも思いやりと優しさで、どのような時も与えられることを選択し続け、全体に調和しながら祈りのある行動を取れると良いですよね。

実際に、10年前の当時を思い出すと、災害医療を担っていた医療機関で働いていたので、多くのスタッフは現地の医療に出向いていました。

食べるものも最小限、寝る場所もかろうじて確保し、着るものもそのまま何日も過ごし、体調不良や傷を負った人々の処置に追われ、放射線被曝も仕方ないことと恐れることなく、やるべきことをやる日々。

停電が頻繁に起こる現地では、生活もままならない状況の中、医療を提供する側は自分の体や食べることよりも、見なければならない人々をみて助けることに専念するだけ。

現地に出向くスタッフが抜けることで病院の中も人手不足で大忙し。そこを担うスタッフたちもまた、現地スタッフを支え応援し、互いに支え合いながら過ごしていました。

どの人も、自分さえ良ければという考えもなければ、この体に執着もしていないので、やるべきことをこなす中で被曝や負傷したとしても、それは仕方のないこととして受け止められる客観的で受容的なものの見方ができる人ばかりでした。

そのような皆様を心から尊敬しています。

そして現地で活躍したのは住民を把握している保健師たちが、何時間も歩いて現地を廻り、住民の安全確保に努めていたことを記憶しています。

被災者でありながらも与える側に立てる心の強さを持つことは、人として成長した人ができることです。

もちろん、現地だけではなくそれを支える全体として、遠隔でも間接的でもやるべきことはたくさんありますし、与えられることもたくさんあります。

今やっていることの中にあります。

いつでも与えられることを与えること、物事に動じることなくやるべきことをこなす。そうして視野を広く客観性を持ち、心を成長させてきた人にとっては、この体や考えが私ではないという認識は当たり前の理解になっていきます。

そして限りのない幸せな自分自身に落ち着き、真実の意味での自由があります。

 

Om tat sat

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