KAMALA YOGA BLOG

最終回 なぜヨガティーチャーになったのか、シヴァナンダヨガを選んだのか

川も田んぼも凍っていますね❄️

氷を溶かすような、暖かい春の訪れが待ち遠しいです🌸

最終回、その7です。

ウユニ塩湖を想像してみて下さい。
あの綺麗な空、雲を映し出し、どちらが天地かわからなくなるあの写真を。

実際に行ったら違ったという話は置いといて。

人の本質は、湖だとします。

風が吹けば湖面は乱れる。でもその風に乱れることもなくなれば、全てを綺麗にありのままに映し出す鏡のようになる。

湖が本質なら、風は質だとします。

強い風が吹けば湖面はざわつき、映し出す世界も荒れている。

でも、風は湖ではありません。

あなたが湖だとして、湖面が完全なフラットだった時、荒々しく怒りを持ち気を荒らした人が来て、その湖面に映った自分の顔を見たら、その湖面のせいにして、なんだその顔は!なんて恐ろしい顔をしてるんだ!と、また怒りになるでしょう。

悲しみで気を揺れ動かす人が現れて、湖面に映った自分の顔を見て、何であなたはそんなに私を悲しませるの?と、あなたのせいになるでしょう。

でも、それに乱される必要はありません。
あなたの湖は、本当はいつでもフラットな鏡のような湖面です。

外側が揺れ動いているだけのこと。

それは、あなたではありません。

しっかりと、あなたはフラットでいることを選べば、やがてその湖面を見ていた人が、恐ろしい顔をしていたのは自分自身だった、悲しませるのは自分自身だったことに気が付きます。

だから、いつでも綺麗にこの世界を映し出す鏡で居てください。
相手を見て心が揺れ動くのなら、過去のあなたを相手に見ているだけ。そのことに気付きを与えて頂いていること。

相手の言動や行動が、初めて見聞きすることならば、新しい知識を与えて頂いているだけ。

相手が感情的になっているなら、その相手が相手自身を見ているだけ。

だから、どんなことにも乱されずに、相手が相手自身を観る鏡になるように、あなたを整えることが大切なのです。

そのために、アサナ、プラナヤマ、瞑想、マントラ、チャンティング、キールタン…、カルマヨガ、ラージャヨガ、バクティヨガ、ニャーナヨガがあるのです。

どれか一つではなく、どれも全てでもなく、これをする段階があります。
人生に起こること、見ること、出会う人によって体験を通してカルマヨガをして、傷つき苦しむことでラージャヨガが必要になる。

すると心身の浄化が起こり、ニャーナヨガを理解することができる。

だからこそ、自然とバクティヨガをするようになる。

それこそが、ダルマの法則に沿ったサットヴァなカルマヨガ。

どれもが、最後には必要なのです。

いずれ輪廻転生の繰り返しから外れ、永遠の至福の中に自らを置くために。

この世に現れるのは、全てがたった一つのものであり、自分自身の現れ。

困難こそが人を成長させてくれます。困難が去った時にやっと気づく事かもしれませんが、必ず成長しています。強くなっています。真実に近付き、観る力を養います。

新しい知識や技術を持つことができています。

だから困難に出会ったら、怖気付く・怯える・弱まる・恐怖におののく・不安になる・負ける・怒る・悔しむ…などと言った心は、本来は必要ありません。

でも、そう言った心を持つことも一つの経験です。

そう言うことをたくさん経験してこなければ、冷静に客観的に見るのは難しいことです。

人の気持ちも理解できません。

自分の魂が、今世で経験できるもの、乗り越える試練を計画して、人生の必要なタイミングでその困難というコマを置いてくれています。

自分で設定した困難は、乗り越えられないはずがありません。

魂の成長のために人間として生まれて来ている以上、成長するだけです。

後退しているように見えることも、全ては必要なことです。

大きな壁の向こう側が見えなくても、そこでたくさんの学びを得ると、その壁はどんどんと小さく見えて来ます。
人生ってそういうものですからね。

楽しむことも、苦しむことも、揺れ動くことも、病むことも、この体がないと体験できないことです。

その体験を与えて頂いて、人間として人生を送っているのです。

色々なものを映し出す湖に、喜怒哀楽の感情という波を起こして、多くを体験したくて、素敵な音やうるさいことも、美味しいもまずいも、暑いも寒いも、美しいものもそうでないものも見て、快楽と苦痛を体験したくて人間に生まれてきたこと。

痛みがあるからこの体があることに気付く。

人生という舞台の中で、次はどんな役を演じたいか考えて生まれてくる。

そしてまた、次の人生という舞台の役者として、脚本を描き監督し、演じる。

平坦な幸せだけ描いたような舞台じゃ、眠くなっちゃうから、どん底とハッピーの上がり下がりが大きい方がワクワクする。

自分で創り出したストーリーを湖に映し出して見ているのが、この世界。

その体験を通して、単に心地良く楽しく、幸せだけを味わう人生に飽きて、もっとたくさんの波を体験したくて、それを経験すると、たくさんの波を起こしてきた湖を鎮める生き方に変わる。

湖が完全に鎮まったら、この世の全てをありのままに映し出す鏡になる。

そうなったら、もう人間として生まれてくる必要はない。

嬉しい楽しいだけでは偏りがあるため、真実には気づけない。ずっと輪廻転生を繰り返すだけ。

苦しい辛いを経験すると、どちらもバランスが取れてくる。

この体でさえ、恒常性を保つためにポジティブフィードバックとネガティブフィードバックでバランスを取っている。
この世界が陰と陽、プラスとマイナスでバランスが取れているように、どちらも知ることで、一番中心である『0』が見えてくる。

外側に向けていた執着を手放し、意識を中心中心に向けていけば、真実の世界か見えてくる。

みんなそこから生まれてきたのに、忘却機能によってこの世界で体験をする。
この世に現れる全てのもの、心も感情も事象も何もかも、移ろいゆくもの、消えゆくもの、形は滅びるもの。

それに執着しても、必ず失います。

たくさん失って初めて知ること、全ては自分が創り出している、全ては自分の中にあること。
全てが鎮まれば見えてくる『0』の中にある永遠の世界。

鎮めることは、感情を失くすことではありません。

沸き起こった感情を体験したいからわざわざ人間に生まれてきたのだから。

それを観察して、感情に持っていかれないように切り離すこと。

本当の私は、何にも揺れ動くことなく、永遠の存在。ブラフマン。

湖に映し出された世界。その現れがイシュワラ。
素晴らしい教えの門戸を開いてくれているシヴァナンダヨガ。

TTCで受ける内容は、本当にごくわずかですが、そこから次の世界が広がっています。

サットサンガ、瞑想、キールタン、チャンティングで始まり、プラナヤマ、アサナ、瞑想の後に食べるヨガ。

ヴェーダンタ、ヴァガバッドギータ、ヨガスートラ、解剖生理学を学ぶヨガ。

夜もまたサットサンガ、キールタンで終わる毎日。

あらゆるヨガを日常的に体験できる場所。

簡単に誰でも入れる世界。

かつては限られた人しか学べなかった世界が、日本に生まれた私たちでも学ぶことができる。

素晴らしい道があること。
深めたければ、さらに違うアシュラムに入ればいい。

ヴェーダンタは自由だから。
宗派のような狭いカテゴリーに執着しているところもある。

仏教も、本来なら同じものだけど、どっちが上だ下だとか、こっちが先だとか後だとか、伝えてきた人たちの偏りがある。そういうことはどうでもいい。

真実は一つだから。
どこを選ぶのも自由。
この世は、湖に映し出されたMAYA illusions 幻影でしかないから。

ここだけ見たら怪しまれるね笑

だから体験が必要なんだけど😊

真実だと確信したからこそ、大きな壁にぶち当たっている人、迷いの中にある人、もうすぐ真実が見えそうな人、すぐそこに居る人たちに伝えたい。

よく頑張ってきたね。素晴らしい体験をたくさん積んできたね。良かったね。もう大丈夫だよ。お疲れ様。

あなたの体験してきたことはね…
ってお話ししたい。

だから今、真実のヨーガを伝えたくて、あらゆるヨガを体験できるように、ヨガリトリートを開催しています。

アサナティーチャーになりたいわけでもなければ、むしろ苦手です。

それも含めてヨーガというものを知って欲しい。

だから私はヨガティーチャーになりました。

ここまでお読み頂きまして、誠にありがとうございます。
長々と私のプライベートなお話、「なぜヨガティーチャーになったのか、なぜシヴァナンダヨガを選んだのか」にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

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