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祈りとはどういうものか祈りの意味の勘違いとは

祈りとはどういうものか、祈りの意味の勘違いとは

祈りというと、皆様はどのようなことを浮かべますか?

「合格祈願」「就職祈願」「恋愛成就」「結婚祈願」「子授かり祈願」「健康長寿」などでしょうか。

大概は、人生のライフサイクルで起こる大きなイベントが上手くいきますように、ということでしょうか。

それらは、基本的に自分自身の努力で叶えられます。

努力なしに、希望の大学に合格しようと思っても、なかなか難しいですよね。

恋愛も、自分自身を大切にしていれば、自然と相手も大切にできますし、相手を自分のものだけにしようと力んでいては、疎ましく感じられてしまいますので、叶うものも叶わなくなりますよね。

結婚も同じです。

自分を幸せにするために結婚相手を求めていては、永遠に幸せにはなれません。

すでに自分自身を愛でている人が、相手も大切に愛を与え合うことができるものです。

子授かりも似たようなところが多いのですが、力んだり、こうでなくてはいけないという考えや、絶対きて!と待ち構えられるよりも、ゆったりと緩んで、そうじゃなくてもいいよと受け入れてくれるような、来たくなかったら来なくても大丈夫だよ、という赤ちゃんペースに合わせてくれるようなお母さんを選ぶのではないでしょうか。

一概には言えませんが、人間ですから、生まれる前であっても生まれてから人間として生きていても同じなのですね。

いつも帰りを待ち構えて待ち伏せしていては、ストーカーと言われてしまいます。

逆にそれが私を想ってくれている行為だと捉えられれば、結婚してうまくいく場合もありますので、ケースバイケースではありますが。

健康長寿も、大切な体を大切にするべく、良いものをバランスよく食べて、綺麗にしておくことが健康長寿につながります。

先日参加した健康経営セミナーでも、予防医学の医師の講義では、良い食材を選び質素な食事を感謝してゆっくり食べていれば、病気にはならない!がんにもならない!と言うことでした。すでにかまらヨガ 華曼羅瑜伽で実践していることと同じでした。

社員の病欠により会社の損失は多大なものになるので、自己管理をきちんとできない社員は査定の対象になるなどのお話もありました。

当然ですね。皆様の大切な税金を、自分のわがままに生きている人のために何億と使われているわけですから。

そのうち、生活習慣病予防をしてこなかった人は、健康保険も負担されなくなる時代がくるでしょうね。

これだけ予防医学の一連として、健診結果で肥満や数値の異常のある方に保健指導を連日している中で、自分を大切にできない人が多すぎて、そういう人に限って専門職の専門的なアドバイスに対して攻撃的な態度や言動をします。

通常でしたら1回の保健指導で高額な料金がかかりますが、今でしたら国の財政によって健康保険組合が負担して保健指導が受けられるわけですから、お得なのですけど、それがわからない人は受け取ることもできないわけです。

もちろん、これをきっかけに真面目に言われたことをどんどん取り組み成果を出して、自分を大切にすることを知り感謝して下さる方々も多くいらっしゃいます。

何れにしても、日頃の行いや態度が大切ということですね。

行いには結果がついてきますので。

では、本来の祈りとはどのようなものでしょうか。

大切な人が、今日も無事に外で活躍してきますように、とか、無事に戻ってきますように、今日も幸せでありますように。

と祈らない人は、あまりいないのではないでしょうか。

このところ残念なニュースが後を絶たない社会ですが、子供たちが無事に家に帰るまでに、心配で心配で仕方なくなりますよね。

大切な存在が無事に帰ってこれることが、どれだけありがたいものか。

横浜の事件で加害者側のメディアで取り上げられている内容から見ると、叔父叔母に育てられて50歳を過ぎて仕事をしなくても生活に困らない環境を与えられていたことを思えば、通常でしたら感謝しかないと思いますが、生育歴の中で何かしら満たされなかった念が、いまだに取り払われずに恨みなどを持ち続ける結果、全く関係のない人たちを巻き込んでしまう。

執着の矛先が、長年にわたって幼い頃の満たされなかった自分に向けられてしまっている結果です。

エリート街道を歩んできた人の息子の事件も同じく、幼い頃に満たされなかった思いへの執着が、うまく消化できないまま、高齢になっても満たして欲しいという欲求が、親への依存や他者への怒りとして現れてきます。

そこが理解できずに手に負えず、親も子供を思う気持ちで事件に発展したのでしょうね。

その執着の矛先をしっかりと自分自身の軸に戻して、成長発達して、自分で自分を満たすために生きているわけですから、幼い頃に満たされなかった愛欲をトラウマとして抱えたり、抑圧して気づかないふりをするのでもなく、自分の中にあるものとして、あるがままに見ることができたら、このような残念な事件は起こらないと思います。

人間の生きる目的は、自分自身の成長以外の何物でもありません。

成長した最後には、全てが与えられているこの世界、環境に、生かされている喜びと感謝しか湧かなくなりますからね。

それが祈りな訳です。

全ては育ってきた中で色をつけてみる癖がつき、様々な見え方をしては自分で自分を苦しめてきた結果が自分に返ってくる、その法則を理解すれば、全ての色は自分の色でしかなく、実は無色透明であったことを知り、冷静に見れば全ては愛の現れた形であり、全てが平等に与えられているこの世界を、色眼鏡を外して見ることです。

無色透明のものをどう受け止めて、どう見るかが幸せの鍵です。どう見るかは自分次第です。

でも、世の中で起こっているいざこざ、戦争や宗教間の争いの多くは、自分だけを見てもらえなかったという独占欲から起こるものが多いのではないでしょうか。

全ての人に対して平等に与えられている愛を、自分だけに見せて欲しい、自分だけに与えて欲しいという満たされない思いから、愛を向けられている人、与えられている人への嫉妬心から攻撃を仕掛ける。子供のいじめ問題も、戦争も衝動は同じです。

どうか、そういう人たちにも、自分で自分を愛することができますようにと、どうかそういう執着の矛先が自分自身を、そして人を大切にする思いへと向きますように、と言った祈りは持たないでしょうか。

そういう人たちが、人生の課題である自分自身を大切にして、全ての状況に感謝できる人間性を養うことに、祈りは起こらないのでしょうか。

そして全てが与えられていることであると認識すれば、ありとあらゆるものが一体となって回っているこの地球という生命体に、さらには無限に広がる宇宙に感謝は湧かないでしょうか。

祈りとは、感謝と同じです。

自分の我欲を満たすものは、祈りというよりは努力です。

愛するものを大切に思う気持ちや、そこに感謝が生まれる事こそが祈りになるのではないでしょうか。

その知識を正しく理解するためには、やはり幼い頃からの学校教育の中に、人生の目的をしっかりと学べる機会を取り入れることが必要だと思っています。

ですので、かまらヨガ 華曼羅瑜伽では、生まれる前から、そして生まれてすぐからこの知識を当たり前のように知ることができる環境づくりをするためにも、産後ケア事業と予防医学にヨーガの学びを併せ持つ施設を創っていこうとしています。

どうか、全ての人が、生きとし生けるものの全てが、いつも、すでに満たされていて幸せであり、愛が溢れている存在なのだということを理解し、常に平和でありますように。
かまらヨガ 華曼羅瑜伽では、産後ケア事業と予防医学を併せ持つヨーガリトリート施設を展開していく事業を計画しています。ご賛同いただける方のスポンサーを募集しております。

また、各学校教育や企業研修に、ヨーガの教えている大切な学びを取り入れたいとお考えの教育関係者、企業管理職の皆様に、ぜひ大切な子供たちや社員のために講義をさせて頂きたいと願っております。

各種ご依頼はメールにて受け付けております。kamala0yoga@gmail.com

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