ヨガクラスだけのはずが…
アーサナクラスの後に、ヨガの運動の部分は日常生活においても同じことを知るためにやっている、無理をしてポーズをとり痛めるのではなく、人と比べるものでもなく自分の体と心がちょうどいいところを見つけて無理せず頑張る、人は色々なことを外側に求めて苦しみを味わうけど、本当は全て自分の内側にあることを知れば、もう何も求めなくても良くなる、全ては自分だということを知ったら良いも悪いもなくなり好きも嫌いも同じになる、太い鉄パイプも手のひらに乗せて中心が据われば重さを感じないけど、斜めに持っていたら重くて重くて持っていられないというお話をしたら、イーグルのポーズができなかった理由を「自分の気持ちが周りを見てどうやるんだとか、なんでできないんだとか外側に向いてたからだ」と、理解はスムーズ。
その後も他にお客様はいらしたけど先にお帰りになり、彼らは終わってからも1時間は私の語る哲学に一所懸命に耳を傾けてくれて、瞳の中にたくさんの光を輝かせながら目をそらすことなく一心に興味を持って真剣に聴き入って下さり、純粋過ぎるマインドで私の心を洗ってくれました。
芝生の上に大の字に寝転がり、朝の空気と草の匂いと土の感触を味わい、空を見上げて雲を眺め鳥のさえずりに耳を傾け、風を肌で感じ、蜜蜂の動きを見つめて、ツツジの花の美しさに見入り、蜜をなめて甘さを感じ、花の香りに包まれる。
東京から来た彼らは、ミツバチ見ても東京だったらびっくりするのにここだとずっと見てしまう、蜜を吸ったらまた次の花に移って蜜を吸う…と、自然の摂理を目の当たりにして同調している。
風が肌に当たって気持ちよかったね、鳥の声がいろんな種類で聞こえて来た、ウグイスも鳥によってな鳴き声が違う、などなど…
とても五感を使ってこの場所を存分に味わってくれて、話す言葉が本当に素晴らしい感性と感覚を持っていることが十分にわかる。
五感の全てを体感して言葉にしてくれる。
私が味わってほしいことを自然と体感してもらえて、私の余計な言葉は必要ない。
本当にこの古民家を心から気に入ってくれて満喫している様子は、私の本当に伝えたいことを感じてくれていて何より嬉しい。
そして最後にピアノを奏でてくれて、どれだけ心が優しくて清らかかは音が教えてくれる。
1年ぶりに弾いたと言って、指が柔軟に動かないのは承知。
最初は意識が外に向いてるから失敗するものの、内側に入ったら素晴らしいの一言。
何度も聞き返してしまう。
最近、素晴らしい音に包まれる機会が溢れている。
最後まで私の心を綺麗にしてくれて、清らかな心を持ち込んでくれて感謝ばかりです。
アーサナクラス1レッスンのはずが、予定にない哲学講座にまで耳を傾けてくださり、ピアノの素晴らしい音色まで置いていってくださって、思わぬ神様からのプレゼントをたくさんたくさんいただきました。
名残惜しそうにしてくださり、遠くから来ている彼らは旅の途中にここを選んで下さり、次なる目的地に向かって行かれました。
今度は1日リトリートに絶対きますと言ってくれて、感謝の気持ちは本当に尽きません。
ありがとうございました。
またお待ちしておりますね。