ずっとずっと考えていたこと。
今日はとってもディープな問題に触れていくので、慣れない方はご遠慮ください。
だいぶ前に、とある養護学校に見学に行った。
そこには、虐待を受けてきた子供たちが生活し、教育を受け、職員による成長を見守られていた。
虐待には(wikipediaより抜粋)
身体的虐待 対象に身体的暴力を加える
心理的虐待 対象に心理的暴力を加える
性的虐待 対象に性的暴力を加える
経済的虐待(金銭的虐待) 対象に金銭を使わせない、あるいは勝手に使う
ネグレクト(養育放棄・無視)対象に必要な資源を提供しない
その他の虐待(未だ定義が不十分なもの)
教育虐待 教育ママなどにより、家庭において勉強を強制するための身体的、心理的虐待やネグレクトなど。
組織内での虐待やパワーハラスメント(会社や軍隊など) 組織内で上の立場の者が下の者に対して行われる身体的、心理的、性的虐待やネグレクトなど。
などがある。
そこにいた子供たちの多くは、身体的やネグレクトが多かったが、
中には、親や養育者からの性的虐待を受けてきた子供も多いとのことで、
胸が締め付けられるような、いたたまれない気持ちになった。
いつも私が書いていること、「親に感謝することが大切」。
親に感謝ができるということは、今ここに自分が存在していることを認めることができたから。
つまり、自己肯定感があること、自尊心があるからだと私は考える。
これをどうやって虐待を受けてきた人たちに当てはめられるのだろうか。
ずっとずっと考えていた。
どうか虐待を受けてきた人たちに、本当の幸せは自分自身の中にあって、
それを受け止めるのは自分のマインドなのだよ、ということを知って欲しい。
でも、とても難しい問題だと思う。
簡単にはできないだろう。
親から虐待を受けてきた子供たちは、自己否定、自暴自棄、空虚感など、想像を超えるような心の葛藤がある。
幼い時から自尊心を傷つけられ、存在価値を否定されてきた子供たちが、どうやって自己肯定感を持ち、自尊心を高め、自分を信じることができるのだろうか。
根本的に、なぜ生まれてきたのだろうか。
もちろん、本当はこの世でたくさんの体験をしたいから生まれてきたわけだけど、そんな浮世話のようなことが通用するわけもない。
でも確かに、その親を選んできた。
人は死ぬ時に何を思うか、それによって次の世に生かされる。
死に際に、とても人を憎んだり恨んだりする気持ちがあったり、自己否定が強いままだったりすると、生まれた時から自己否定されるような環境に生まれるのかもしれない。
まざまざと自分のしてきた過去を、親によって見なければならない環境なのかも知れない。
だからと言って、過去のカルマなのだと、さらに自己嫌悪に陥ってしまっては本末転倒。
そこで気づくために自分で与えた試練。
そして、本当は心優しい思い、深い愛情が隠されているからこそ、その親が持つ自己否定を支えたい、助けたい、守りたいと思って、そこに生まれてきた。
過去の自分を客観的に観て癒したい、という思いもあるだろう。
自分の存在によって暴力という愛情を受け、親が満たされるためにその覚悟で生まれてきたのかもしれない。
幼少期に自己を否定されるような環境で育ってきたら、それは自分を否定してしまい、自己を肯定することはとても難しいだろう。
だけど、たくさんの気づきが起こって、理解して悟るのが早い子供も意外と多いのではないかとも思う。
生命の危機があるため、親から引き離されるが、その環境の中で育つ子供たちは、どうしても自分を認められたい欲求から、自分を見て欲しい、構って欲しい、甘えたいという心理で、そういう行動に出る。
逆におとなしく、何も行動できない子供もいるだろう。
大人に対する恐怖心や猜疑心で、心を開けない子供もいる。
強いトラウマから精神的に病を患うこともあるだろう。
大人に気を使いすぎて、大人びてしまう子もいるだろう。
養育に当たる職員や、思春期になってから働きに出て引き受ける側が、どうやって自己肯定感を高めて、自尊心を養っていくかが大切だと思う。
認めること、褒めることが大事だけど、上っ面ではなくて、本当に心からあなたが存在していて良かった、嬉しい、ありがとうという気持ちを伝えていくことが必要。
それには、本当にこの世の成り立ちや生まれて来る原理などを知ることって、とても重要なのではないかなと思う。
まずはできることを与えて、自信につなげることが大切。
そして、事実として、ここに存在していることそのものに素晴らしい価値があり、この世はアトラクションに溢れたワンダーランド、その世界を楽しみに生まれてきた。
だから、親が誰であろうとどうであろうと、今ここに存在していることそのものが素晴らしい奇跡。
生きていてありがとうの感謝でしかない。
大人に対して恐怖心や猜疑心が強くなってしまうことも否めないから、緊張や萎縮してしまうことが当たり前になっている子供も多いだろう。
緊張や不安は、安心から遠ざかってしまい、拒絶的な反応ばかりになってしまう。
緩めることを最優先に行って、安心という感覚を得る必要がある。
だから養育に当たる人たちは、彼らを癒して、楽しませて、喜ばせて、認めて、この世に生まれたことに価値を見出すことを支援ていくことが大切なのだと強く思う。
そして大人になったら、自分で自分自身を徹底的に癒すことから始めて、自分で自分を許し、認めて、どんな自分でもいいのだということを繰り返し認識していくことから始める必要がある。
それができたら、どんどん自分自身を喜ばせて、楽しませて、たくさんの愛を受け止めて、この世は本当に楽しいと理解できた時、心は安心して幸せを感じることができるだろう。
人を癒したり支えたり、助けたりする職業を選ぶ人の中には、虐待を受けて育った人も少なくない。
セラピストやヨガ指導者にも存在する。
それは、人を癒すことで本人も共に癒されるし、助けたり支えたりすることで感謝され、自尊心を高めることができる。
そういう職業につくのも良いだろう。
本当に心から幸せを感じられたら、親がどうだったかよりも、今この瞬間にもこの世を体験できていることに感謝できるようになる。
そうすれば、この世のゲートになってくれた親にも、いつか感謝に変わる日が来るかもしれない。
生まれていること、そのものに感謝。
自分自身がここに生まれさせてくれたことに感謝。
親に愛情を求めるのは当然のこと。
でも、暴力という表現でしか愛情を出せなかった親自身も、自分を認められない愛情の裏返しであることを知れば、いつか親にもたくさんの気づきが起こって欲しいと祈るようになる日が来るかも知れない。
浅はかな知識と内容で、実際に虐待を受けて育ってきた方々には大変恐縮ではありますが、周りに依存したり求めたるすることで返って苦しくなってしまうこと、全ては自分自身なのだということを知りたくて、その環境を選んできたことを知って、すでに最初から幸せに満たされているのだということに気づいて、心からそれを感じて欲しいという願いを込めて書いています。
それはこういう話を聞いても一度や二度ではわからないし、分かったとしても自分で腑に落とすまでには、何度も何度も繰り返していく必要がある。
どうかそういう機会にたくさん恵まれますように。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございます。