KAMALA YOGA BLOG

過去の体験によるプログラムで怒りや悲しみが湧くスィッチがある

全ては愛でしかないのに、自分の過去の体験を通して色々な見え方を重ねてしまい、怒りがわき、悲しみが湧く。 

ただの愛でしかないのに、勝手に怒りが湧く人が多いけど、誰もが幸せになるために生まれてきた。

多くの人が、人を幸せにしたいと願っている。

だから社会がある。

仕事がある。

家庭がある。

本当は、すべての人が元々幸せであることを知りたくて、気づきたくて生きている。

だから、その本当の幸せの意味を知れば良いだけ。

でも多くの人が、すぐに気付きたくない、もっとこの世の移り変わりを楽しみたいと思っているから、なかなか本質に行き着こうとはしない。

大いに楽しみ、悲しみ、喜び、怒り、迷い、苦しみ、揺れ動いたら良い。

良くしなる竹ほど丈夫だというけれど、たくさんの経験でブレまくった結果、この世の無常に気付けるもの。

たくさんの経験が、軸を中心に据え、俯瞰的に物事を捉えるようになる。

俯瞰的に物事を観るとは、高い所から広い範囲を見おろし眺めること。(なんと、この言葉はWikipediaには載っていません)

ブレている時は、低い位置から一方の側面でしか物事を捉えられませんが、あらゆる方向にブレまくった結果、軸が定まってくると、自然と360度を見渡せる頂上にある意識の一番高いところに落ち着き、ありとあらゆるものをあるがままに見ることができるようになります。

それができると、自分の感情や体験を重ねて、勝手な色眼鏡を通して物事を見ることがなくなり、怒りや苦しみや、迷いや揺れ動くことが少なくなります。

高いところから見下ろすということを理解できない人や、体験できない人からすると、高慢とか高飛車、上から目線と感じたり言ったりして、勝手に嫌悪や文句を言う人もいます。

何も変わらない、ただ愛でしかない意識の人に対して、様々な感情を抱くのは、その人の過去の体験から来る、そうせざるを得ないプログラムですから、これもただ傍観するだけです。

あらゆるものをあるがままに見ている人に対して言った暴言や暴力的な行動は、全てその人自身に返っていきます。

動物たちがプログラムで動いているのと同じように、怒りのスィッチを入れる何かがあるのだから仕方ないので、それを変えようとする必要はありません。

それもあるがままに受け入れることができるようになるために、ヨーガの聖典があります。

元々、聖典がなくてもできる人もいますが、聖典を学ぶと更にその理屈や方法が詳しく理解できるようになります。

たくさんの人がヨーガを学べて、真実の幸せの中で自分自身にくつろげますように。
ヴェーダンタ勉強会を4月から月1回で始めます。

ヨーガを学びたい方は是非ご参加下さい。

https://coubic.com/scentofbliss/106169

関連記事一覧

PAGE TOP