KAMALA YOGA BLOG

限りのない満足喜び幸せが自分自身である学びが一つ終わりました

5月から始めたタットヴァボーダ勉強会が無事に終了しました。

皆様が不安から安心に変わり、日々の生活も豊かになり、何も変わらない状況の中で満足に落ち着くことができるようになり、とても嬉しく思います。

皆様とご一緒に学べたこと、これ以上に価値の高い時間はありません。

心から感謝を申し上げます。

今週からは、新たに聖典ウパデーシャサーラを学んでいきます。

とても楽しみです。

最後は、GURU STOTRAMで、伝統の先生方への感謝と尊敬のお祈りを捧げました。

 

गुरुस्तोत्र सार्थ 

अखण्डमण्डलाकारं व्याप्तं येन चराचरम् । तत्पदं दर्शितं येन तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ १॥

अज्ञानतिमिरान्धस्य ज्ञानाञ्जनशलाकया । चक्षुरुन्मीलितं येन तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ २॥

गुरुर्ब्रह्मा गुरुर्विष्णुः गुरुर्देवो महेश्वरः । गुरुरेव परं ब्रह्म तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ ३॥

स्थावरं जङ्गमं व्याप्तं यत्किञ्चित्सचराचरम् । तत्पदं दर्शितं येन तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ ४॥

चिन्मयं व्यापि यत्सर्वं त्रैलोक्यं सचराचरम् । तत्पदं दर्शितं येन तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ ५॥

सर्वश्रुतिशिरोरत्नविराजितपदाम्बुजः । वेदान्ताम्बुजसूर्यो यः तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ ६॥

चैतन्यश्शाश्वतश्शान्तः व्योमातीतो निरञ्जनः । बिन्दुनादकलातीतः तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ ७॥

ज्ञानशक्तिसमारूढः तत्त्वमालाविभूषितः । भुक्तिमुक्तिप्रदाता च तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ ८॥

अनेकजन्मसम्प्राप्तकर्मबन्धविदाहिने । आत्मज्ञानप्रदानेन तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ ९॥

शोषणं भवसिन्धोश्च ज्ञापनं सारसम्पदः । गुरोः पादोदकं सम्यक् तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ १०॥

न गुरोरधिकं तत्त्वं न गुरोरधिकं तपः । तत्त्वज्ञानात् परं नास्ति तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ ११॥

मन्नाथः श्रीजगन्नाथः मद्गुरुः श्रीजगद्गुरुः । मदात्मा सर्वभूतात्मा तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ १२॥

गुरुरादिरनादिश्च गुरुः परमदैवतम् । गुरोः परतरं नास्ति तस्मै श्रीगुरवे नमः ॥ १३॥

त्वमेव माता च पिता त्वमेव । त्वमेव बन्धुश्च सखा त्वमेव त्वमेव विद्या द्रविणं त्वमेव । त्वमेव सर्वं मम देवदेव ॥ १४॥

Guru stotram

akhaṇḍamaṇḍalākāraṁ vyāptaṁ yena carācaram

tatpadaṁ darśitaṁ yena tasmai śrīgurave namaḥ [1]

ajñānatimirāndhasya jñānāñjanaśalākayā 

cakṣurunmīlitaṁ yena tasmai śrīgurave namaḥ [2]

gururbrahmā gururviṣṇuḥ gururdevo maheśvaraḥ 

gururevaṁ paraṁ brahma tasmai śrīgurave namaḥ [3]

sthāvaraṁ jaṅgamaṁ vyāptaṁ yatkiṅcit sacarācaram 

tatpadaṁ darśitaṁ yena tasmai śrīgurave namaḥ [4]

cinmayaṁ vyāpi yatsarvaṁ trailokyaṁ sacarācaram 

tatpadaṁ darśitaṁ yena tasmai śrīgurave namaḥ [5]

sarvaśrutiśiroratna virajitapadāmbuja 

vedāntambujasūryo yaḥ tasmai śrīgurave namaḥ [6]

caitanyaḥ śāśvataḥ śāntaḥ vyomātīto nirañjanaḥ 

bindunādakalātītaḥ tasmai śrīgurave namaḥ [7]

jñānaśaktisamārūḍhaḥ tattvamālāvibhūṣitaḥ 

bhuktimuktipradātā ca tasmai śrīgurave namaḥ [8]

anekajanmasamprāpta karmabandhavidāhine 

ātmajñānapradānena tasmai śrīgurave namaḥ [9]

śoṣaṇaṁ bhavasindhośca jñāpanaṁ sārasampadaḥ 

guroḥ pādodakaṁ samyak tasmai śrīgurave namaḥ [10]

na guroradhikaṁ tattvaṁ na guroradhikaṁ tapaḥ 

tattvajñānāt paraṁ nāsti tasmai śrīgurave namaḥ [11]

mannāthaḥ jagannāthaḥ madguruḥ śrijagadguruḥ 

madātmā sarvabhūtātmā tasmai śrīgurave namaḥ [12]

gururādiranādiśca guruḥ paramadaivatam 

guroḥ parataraṁ nāsti tasmai śrīgurave namaḥ [13]

brahmānandaṁ paramasukhadaṁ kevalaṁ jñānamūrtiṁ 

dvandvātītaṁ gaganasadṛśaṁ tattvamasyādilakṣyam 

ekaṁ nityaṁ vimalamacalaṁ sarvadhīsākṣibhūtaṁ 

bhāvātītaṁ triguṇarahitaṁ sadguruṁ taṁ namāmi [14]

tvameva mātā ca pitā tvameva 

tvameva bandhuśca sakhā tvameva 

tvameva vidyā draviṇaṁ tvameva 

tvameva sarvaṁ mama devadeva [15]

iti śrīgurustotram samāptam

安心であり喜びで満足な自分自身と、上乗せしたものの見え方で思い込みや妄想を重ねて見ては、上がったり下がったりする感情気分の個人と、その両方を認識している自分自身があることを理解すれば、怒りも悲しみも不安も恐れも忙しさも何もかも、現れては消える一時的なものにすぎません。

そのほんの僅かな小さなエリアである、一時的な、現れている捉えられるものに、日々翻弄していることを知り理解すれば、何も現れていない、現れては消えていくエリア、愛そのものである自分自身の本質の方が、圧倒的に広く無限であり、捉えようもない何にも制限されていない本当の自由があり、どちらが真実かは自分自身で明らかです。

それを体験として理解するために、優しさと思いやりで与える行いをすることで、喜びと満足を得ることができます。

仕事も結婚も子育ても、家庭や学校や仕事などや社会生活のすべての意味は、自分自身が成熟していくためにあります。

それを知らずに、自分を満たそう、安心を得ようとすることばかりが先に立ち、束の間の安心と喜びを追い求め、自分の思い通りにならないことを変えようとしては、一喜一憂し、問題のないところに問題を創り出しては、恐れや不安から怒り悲しんでいるのが、多くの人々です。

聖典の勉強をご一緒にして下さる方々は、一度は私のところに足を運んで下さり、知りたいと強く願う方々とご一緒に学びを深めています。

すべての人に共通する自分自身のことですが、どうしても話を聞けない、反発心を持つ、理解できない、時間を作れないなど、聖典に対する価値が見えない人にお話ししても、今はまだ目の前の束の間の安心と喜びを追いかけて、一時的に満足しては、また不安になることの繰り返しの中で、そこに見極めがつかないとなかなか話を聞こうとは思えません。

聖典と先生の言葉に対しても、個人の上乗せしたものの見え方を重ねて、怒りや反発・抵抗感を持ちます。

準備ができていない人は、どれだけ長年学んで教えていたとしても、私がスワミジの言葉をそのままお話しすると怒りを持ち、私を通したスワミジの言葉に否定や指摘を繰り返す人もいます。

そう言う人に出会うと、なぜ理解できないのかがとてもよくわかるので、さらにどのようにすれば理解できるのか、その前段階の理論も合わせてお話しできるようになるので、成長させてくれるイーシュヴァラでありプラサーダであり、ありがたい学びになっています。

理解できていない人には、理解できる人の思考やエリアが見えないと聖典も言っています。

理解できる人にとっては、一つの聖典を学べば十分、自分が自分自身に落ち着くことができます。

その準備も人それぞれ、学び方もペースが違います。

その人に合った言葉や方法で、理解を深めていきます。

聖典を理解している人が言う、準備のできた人と言うのは、その言葉の奥にはたくさんの意味合いや条件が含まれており、一般的に使う意味とはかなり異なります。

どうしてもその準備ができた人、理解できる資質のある人にしか、この価値が見えないので、私とコミュニケーションを取って下さり、理解できるであろう方にしかお話ししていません。

聖典の言葉が働き、1クールのクラスだけで、不安から安心に変わり、不満から満足になり、無知から知識に変わっているのは、そのような方にお越し頂いているからなのです。

知りたい、安心したい、自分に落ち着きたいと言う、日々の祈りが大切です。

与えることで与えられないことを超えなさいと、スワミダヤーナンダジは言います。

しかし、聖典の言葉、真実の知識は、受け取る準備ができていない人にいくら与えても、受け取ってもらえず、それ以前の準備が必要です。

ですので、祈りと与える行いと、その努力をすることをお話ししています。

その結果として、聖典の言うヨーガの生き方とそのゴールに導かれていきます。

それがダルマ・カルマの法則であり、この全宇宙を統括しているイーシュヴァラからのグレース・プラサーダです。

誰にでも広く伝えようとすると、お一人お一人と十分なコミュニケーションが取れず、理解が異なったまま違った解釈で、言葉が一人歩きしてしまう可能性があるからです。

どうか、伝統の方法論と方法を大切に受け継いでいること、ご理解をお願い申し上げます。

ご一緒に聖典を学びたいと思って下さる方は、メールにてご連絡をお待ちしております。

一度は、じっくりとお話をするお時間を頂いておりますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

kamala0yoga@gmail.com

今後のスケジュール

毎週木曜日15:00〜16:30 自分と調和するヨーガの生き方

8月11日〜毎週火曜日9:30〜12:30 聖典ウパデーシャサーラ勉強会

8月20日〜毎週木曜日・土曜日・日曜日4:00〜4:20 ガネーシャ・プージャー すべての障害を取り払ってくれる神々のリーダーに祈りを捧げる儀式

8月20日〜毎週木曜日・土曜日・日曜日4:30〜6:00 聖典タットヴァボーダ勉強会 自分自身の知識・ヴェーダーンタの全体像を学ぶ初級の聖典

9月15日〜毎週火曜日9:30〜12:30 バガヴァッドギーター第1章からスタート

関連記事一覧

PAGE TOP