KAMALA YOGA BLOG

中立で公平な立場で人道支援や国際支援で活躍する人々をさらに支える

Q.
現実世界で何が起こっているか、それを見て自分はどのように考えるかを目の当たりにすると、本来全ては、国境や民族で区別がなく、一つの意識体である宇宙ということが流されては消えてしまいそうになります。。

自分の捉え方もまだ未熟な中で、世界の捉え方を変えていくことはまだ先のようにも思いますが、この関係性は人として生きていく上で切り離せない関係なのかなとも思い、かおり先生が、世界や人類をどのように捉えているか教えていただけると大変うれしいです。
方向性がぶれていたら正していただきたいです。

A.
ドゥルヨーダナが嫉妬によって長年に渡りアルジュナを殺そうとしたり、騙して国を奪って支配下に置いた時代もあり、それを終わらせてダルマを取り戻すためにアルジュナは戦わなければならなかったことを重ねて見ると、いつの時代も必ずと言っていいほど、未熟な人が欲しいものを得るためだけに人を傷付け奪ってまでも得る人は居るものです。

イーシュヴァラから見たら、そのストーリー展開には悪役も登場人物として必要であって、それによってダルマが大切だと気付かされていく人もたくさん現れるようになるのではないでしょうか。

どんなドラマもアニメも、悪役を倒す正義が居て、子どもたちも大人も、正義のヒーローになりたい人と応援したい人が多いと思いきや、悪役になりたい人とそれに味方に付きたい人もいますよね。

戦いが終わって平和が取り戻されるストーリー展開で、また平穏な日々が続くと刺激を求めてアヴィヴェーキーが増えて、私のもの、私の領域、私の・・・と始まり、それに圧倒されそうになった時に、ダルマを大切にする人が指揮を取って平和を取り戻すために戦う。
このサムサーラの世界は延々と終わりがありません。
それを、絶対的な永遠に対して相対的な永遠と言います。

悪いことをして注目を浴びたい

嫌な態度をして構ってほしい

嫌がることをして気を引く

好きな人に構って欲しくてイタズラする

道端ですれ違う時、肩がぶつかって人を怒鳴ったり暴力を振るう

何も言ってないし思ってもいないのに馬鹿にしたと怒り出す人もいる

そう言うことで日常の喧嘩も起こるし世界的な戦争も起こるし、ミサイルも飛んでくるし、一辺倒な見方で対話もなしに一方通行な捉え方で誹謗中傷も起こる。

みんな誰もが認められたくて愛されたくて、外側に依存し追い求め続ける。

自己愛が歪んだ現れとして、いろいろなことを人に重ねて見ている。

そう言うことを理解して識別していき、他者や外側に求め依存していた愛を自分自身で自立して理解し、適切な自己愛を完成していくのです。

みんなそれぞれの執着によって行動しています。
執着がなくなれば、今与えられていることへの不満もなければ、やっていることも満足で充実したものになり、幸せな自分が与えられた状況の中ですべきことを淡々とこなすことだけなのです。
その中で、人々がそのような執着から自由になって、幸せな自分自身に落ち着きますようにと祈り続け、もし自分に正義の役割が割り振られたら、こなしていくということなのです。

Q.
世界を見るいろんなことに対して、ステレオタイプなイメージを抱き、無意識のうちに役割や肩書きをつけていました。。
思っていた以上に、私は執着で物事を見ているんですね、、
簡単なことではないですが、知識をつけて公平にありのままに物事を見ていけるようになりたいです。

また現代で起こっていることに心が落胆していましたが、何も今に始まったことではなく、ドゥルヨーダナのお話にもあったようにどの時代も人は同じことを繰り返しているんですね。
同じ現代を生きる中で、場所が違うだけで同じ世界でそのようなことに遭遇している方がいるのを知ると、私はただお祈りすることしかできないのでしょうか。
それが自分の与えられた環境として受け入れ、感謝し、日々の生活で私は私のダルマに沿って生きること、それが大事なのでしょうか。

聖典を通じて、現代でもいろんなことが同じように起こっていると思うと、より一層聖典を深く勉強したいと深く考えさせられました…
ありがとうございます><!!!

A.
例えば、劣悪な環境で生きることを強いられている人たちはたくさんいます。
そこで人道支援をする人たちもまたたくさんいます。

紛争地域では銃弾が飛び交う中、紛争地域の医療施設を銃撃してはいけないというルールも無視して、命を助ける人たちが襲われることもありながら、敵も味方も関係なく、中立で公平な立場でどのような偏見からも自由で、命の平等を守るために自分の身の危険も知りながらも人を助ける行動をする人たちもいますし、大きな災害が起こった時に、救出や物資の支援をする人もいます。その行いは祈りそのものです。

衛生環境がひどく、生まれてから1年以内に死亡する子どもたちもたくさんいますし、小さな子どもが労働者として売買される国もあります。スラム街できちんとした教育を受けられない子どもたちもいます。
そのような学校に行けない子どもたちに教育を受けられる体制を整えたり、基礎教育や衛生教育も含め、教える立場として自分が学び、限られた資源の中で生きる人々のために国際支援をする人もいます。

貧困地域と言われる国を支援するために経済大国である日本や欧米諸国の人たちが高等教育を受け、高い知識と技術を身につける必要があるから人一倍努力もしますし、見返りを期待することなくこの身体を危険な地域や感染リスクの高い場所に置き、最低限必要な食べ物や生活必需品で自分たちの身の安全を確保しながら、そこで生活する人々を助け支え続ける人たちもいます。

最前線で活躍する人を応援するために、経済的支援や寄附や募金などの形で支援することもできます。

今の思いを形にしていくことも大切なことですから、どんどん自分の力を与えられるように行動していけば良いのですよ。

そうして、助けられた人たちが助ける側になりたいと思い、そういう環境に生まれ変わるのかもしれませんね。

この豊かな日本に生まれて生きていられることの意味を、一人ひとりがしっかり大切に考えられると良いと思っています。



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