KAMALA YOGA BLOG

嫉妬と不寛容さ

「シュラッダー・信頼を持つ人々は、ここではまた、アナスーヤーンタハと述べられています。この言葉の意味を理解するために、私たちは、アスーヤと、マーッサルヤという2つのサンスクリット語を見るべきです。マーッサルヤは、英語ではjelousy、つまり嫉妬と翻訳することができます。例えば、誰かが何らかの成功、技術、富、知識、財産などを得たとしましょう。この人の達成を見て、その人は不幸になるかもしれません。この不幸が嫉妬です。

考えに起こるこの不安や、落ち着きのなさは、嫉妬と呼ばれます。嫉妬深い人が他の人を見るときにさえ、それが見られます。そして、他の形の嫉妬で、不寛容さを意味するアスーヤーがあります。その人が何らかの美徳を持つ人の中に欠点を見ようと試みるときです。誰かがまた別の人の美徳を褒め称えるとき、彼はその人を知らないで、その人を賞賛していて、あなたは知っていると、あなたは言うかもしれません。実際、あなたはその人が全く美徳に値しない人であることを証明するための長い一覧表を持っています。

アスーヤーは、その人の中で秘密になっている何らかのスキャンダル、つまり、何らかの欠点を見つけようと常に試み続けます。嫉妬は、他の人の成功や幸せに対する、それらの人々の中に欠点を見つけます。」1)

人を蹴落とすために、社会で活躍している人や幸せに生きている人や同僚の成功などに嫉妬して、欠点を探して非難する人も多いですね。

さらには、直接関わりのないテレビやニュースに流れる人に対しても心ない言葉を投稿して傷付ける人も、今はたくさんいますね。

どのようなことも、自分の知っていることでしか相手を見ることはできません。

本当に幸せになりたいのであれば、そういう人たちの考えを一方的に判断することなく、相手の立場や気持ちを理解して配慮できるように想像力を持つことが必要です。

話すことができる関係性なら、きちんと対話をすることです。

そういう考えを識別して、自分の嫉妬によくよく気付いて、それを超えて物事を見る努力ができるように成長していけると良いですね。

自分の知っていることだけで相手を見て非難することは、自分自身に対する歪んだ見え方によって、自分を蔑み見下している小さな主観からその歪みを投影して物事を見て、外側にある人や物事に重ねて見ているのです。

自分の幸せは自分自身の考えによって理解できるものです。

誰もがいつでも幸せな自分自身に気付けますように。

<引用文献>


1)BHAGAVADGITA HOME-STUDY-COURSEバガヴァッドギーター第3章 Swami Dayananda Saraswati (著) Swami Cetananda Saraswati (訳・監修) 2019.09.05一般社団法人パラヴィッデャーケンドラム ヴェーダーンタ勉強会出版 P162

関連記事一覧

PAGE TOP