KAMALA YOGA BLOG

社会の仕組み

社会の仕組み

日本では、戦前から神道で伝えられてきた八百万の神について祈り、神を祀り崇める行事を司る皇室があり、国家と国民の安全を祈願することを中心としています。

日本の暦も神道によるもので、年間を通して神に祈る儀式が行われてきました。戦前は祭祀を司る天皇を神格化することにより、人々の心の中に神を表すことで心の拠り所として自分自身も守られているという安心感と、神を守るという意味で秩序を重んじ道徳的に生きてきた人が多く、日本人の正確さや緻密作業の精巧さは、世界でも高く評価されています。

第二次世界大戦後、憲法改正が行われ、第一章で天皇は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とされています。

また、憲法第三章では国民の権利及び義務について掲げられており、「〔個人の尊重と公共の福祉〕第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされています。

小学校の社会で習うと思いますが、国の秩序を守るために内閣をはじめとする各省庁と関係機関があり、公務員やそれに準ずる人々や国家資格を保有する専門職などが、全ての国民に対して偏見や差別なく平等に人権を守り、平和に安全に暮らすことができ、自由と幸福を追求できるよう支援し、それぞれの持つ能力を身につけるべく努力をし、国民の皆様と社会のために奉仕しています。そして、全ての国民が社会参加できるように、障害を持つ方や社会的弱者と言われる方々が、不自由なく生活できるように社会保障されており、税金によって賄われ国税局等で財務管理されています。

また、防衛省であれば自衛隊があり、日夜私たちの想像を超えるような厳しい訓練をこなし続け、いつ何時でも防衛される体制を整えています。警察も同じく、日々の訓練を重ねて、国民の安全を守ってくれています。

厚生労働省では、病気や障害の有無に関わらず、身体的、精神的、社会的に良好な状態で、全てが満たされた状態で人々が健康に幸福を追求できるように下支えすべく、疾病のある人には医療を提供し、健康な人には疾病予防を行い、障害者支援や社会的弱者の救済措置などを行政が行い、誰もが不自由なく生活できるように整備しています。

文部科学省では、小学校から大学院までの教育機関において考える力を養い、将来的に道徳的かつ高度で専門的なスキルを身につけ、幅広く社会に貢献できる人を育成できるよう、生涯にわたり学習できるように、誰もが学び続けられるよう体制を整えています。

外務省では、諸外国との安全保障や平和を維持するために、外交に貢献する外交官などの人たちがいます。NPO法人海外青年協力隊も、外務省の管轄で海外への専門職派遣を行っており、発展途上国への衛生教育や学校教育などを行い、一人でも多くの命が守られるため、そして自分を守るための能力を身につけられるよう、貢献しています。

その他、省庁及びその他の関係機関などで働く人々が、職責を持ち秩序に従いながら国民の平和と安全と幸福のために貢献しています。

ヴェーダーンタ聖典の中で、このような秩序を守る人々への感謝と尊敬を持つことが言われています。

そして、それらを支えているのが、大手企業や中小企業など、民間企業と言われる方々の貢献によって、必要なものが作られ整備されています。

必要なものが手元に届いたり人が移動するためには、それに関係した企業や商人があって、安全に交通機関や移動手段、運搬やサービスプロバイダーとして貢献している方々によって、社会は支えられています。

国の秩序を守る人々が、それを支える人々に対して尊敬や感謝を持ち、互いに支え合う相互関係によって社会は成り立っています。

その他、社会の仕組みをあげると膨大ですが、このように日本では多くの人々が社会貢献しており、平和や安全が保たれています。

このシステムは、一つの企業や家庭でも同じことが言えます。

物事を判断し決定する人がいて、それを指示する人実行する人がいて、それぞれの役割が異なるからこそ一つに機能しています。

相互に感謝や尊敬を持って、調和の取れた社会、企業、家庭が築かれるようにできています。

このような秩序がどの国でも作られているのは、バガヴァーン・神によって作られたものであり、それぞれの役割があるのも、バガヴァーンの側面として現れているデーヴァター・神々の現れた姿であると言われています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

चातुर्वर्ण्यं मया सृष्टं गुणकर्मविभागशः ।

तस्य कर्तारमपि मां विद्ध्यकर्तारमन्ययम् ॥ भगवद्-गीता २-१३

cāturvarṇyaṃ mayā sṛṣṭaṃ guṇakarmavivhāgaśaḥ |

tasya kartāramapi māṃ viddhyakartāramavyayam || bhagavad-gītā 4-13

(人々の)4つのグループ分け、義務や資質に基づいた分類が私(バガヴァーン)によって作られました。 

私がその作者ですが、私は行い手ではなく、決して変わらないものであると知りなさい。 バガヴァッドギーター第4章13節

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その中でも、どうしても無気力や無関心、私利私欲で悪いことをする人や怒りや嫉妬での行動によって人を傷つける人はどの分野にもいて、道徳や倫理に反して物事の見え方が反転してたくさんの間違いを重ねて捉えている人たちもいます。省庁などの公務員や国家資格を有する高度専門職の中には、論理的思考はできても想像力が働かない人も多くいます。

ニュースでは悪いことの方がクローズアップされることが多いので、政治や公務員が悪く見え、一人が悪く見えると全体まで悪く見えてしまう人も多いですね。貢献のために日々努力をしている人の方が圧倒的多数ですが、いつの時代もどの国にも、自分の責任を自分で追えずに国になんとかしてもらおうと依存する人たちもいます。そういう人たちは、いつも国や社会貢献している人に対する批判や否定が絶えません。

もちろん、国の秩序を守ることはどれも人間がやっていることですので、何をとっても完全なものはありません。先の見えないことに関して、手探り状態で決断を下さなければならないこともたくさんありますし、改善が必要な点もたくさんあります。

もっとこうした方が良いと思う場合は、要望書や意見書をまとめて、賛同する人がいれば署名を複数集めて提案するなどの方法があります。

きちんとした手段と方法を使って関係省庁や機関にお願いをすれば、話を聞いてくれる場を設けてくれることもありますので、冷静で建設的なディベートができると良いですよね。それでも思い通りにいかないことはたくさんありますので、どちらが本質的な方に向かっているのかが大切になります。

広い視野で高い視座を持って客観的に物事を見て判断できるようになると良いですね。

人間の成長は3つのグナ・質からなる4つのモデルで分類されており、以下のようになります。

人は成熟していくことによって、人間の追い求める人生のゴールを理解できる資質を養うことができ、何にも依存することのない自立した存在である自分自身が幸せと喜びの源であり、あの世やこの世で未来に叶うものに幸せを追い求めるのではなく、死後の世界への期待も恐怖もなく、今この瞬間この場所で、移り変わるものの全てを超えた存在でありながら、その移り変わるもの全てに現れている自分が幸せであると理解することです。

「サットヴァはあらゆるタイプの思考に見られます。ラジャスは活動に見られます。そして、タマスは不活 性、怠慢さに見られます。熟考の性質、探究、静寂(シャーンティ)そして、シャマとダマのような統制 は全てサットヴァです。ラジャスが優勢な人の中にもまた統制は見られますが、そこにはまた、それらと 一緒にたくさんの大志、エネルギー、情熱があります。例えば、手に入れることに猛進する人です。タマ スは、ある種の怠慢、無気力、怠惰です。」1) 

①ブラーンマナ:サットヴァーラジャスータマス

②クシャットリヤ:ラジャスーサットヴァータマス

③ヴァイシャ:ラジャスータマスーサットヴァ

④シュードラ:タマスーラジャスーサットヴァ

人間は誰もがこの順番で成熟していきます。

「サットヴァ・ラジャス・タマスの配列は、人の内側の性質のとても美しい描写です。人は、熟考する性質を持ち、人生の目的などについて考える事に際立ち情緒的に成熟した人、 探究者、哲学者なら誰でもが、自然とサットヴァ・ラジャス・タマスの順番による組み合わせです。その ような人にとっては、タマスは3番目の位置にあって、2番目の位置のラジャスに支えられてサットヴァが卓越しています。

2つ目のタイプは、ラジャスが優勢である時、2番目の位置 に来るのはサットヴァかタマスのどちらかであり得ます。ラジャスが優勢である時、ある種の大志に燃えとても活動的です。この大志が他の人の幸せと確かな理想に方向づけられているなら、 多くの思考が含まれています。ですから、その人の情熱と行いは思考に支えられていて、サットヴァが2 番目の位置にあります。一般的にそのような人々が良いリーダーになります。世界はそのようなリーダー達を必要とします。 

そして、3つ目のグループの人々はラジャスが卓越し活動的ですが、2番目にサットヴァではなくタマスを持っている人たちです。その人たちの活動の背景には、思考よりもむしろ野心があるという意味です。思考無しに野心がある場合のひとつの例えは、他の人への配慮なしに、お金や権力などを追いかけて行く人です。そのような人々も少しサットヴァを持っていて、何らかの考える能力を持っているのでとても活動的であるだけではなく、とても利口であったり知的であるかもしれません。しかし、タマスがサットヴァを圧倒して優勢ですので、他の人に対するたくさんの陰謀やごまかしや搾取があるでしょう。 

一方で、もしサットヴァがラジャスの背後で支えとなっているなら、他の人々のためへの配慮があるで しょう。他の人の命や富や自由に対しての尊重があるでしょう。ところが、タマスがラジャスの背後で支えとなっているなら、他の人に対しての尊重がないという意味で、ダルマへの軽視だけがあります。そのような人にとっては、個人の野心が最も大切であって、絶対君主になります。ラジャスが際立っており、そのような人はまた世界のリーダーとなります。もし、リーダーにならなければ、彼らの家族と、おそらく彼らの近所の人たちだけが苦しむでしょう。しかし、もし彼らが世界のリーダーの役割を引き受けるなら、結果は破滅となり得るでしょう。 

4つ目のタイプの人はタマスが際立っているという事で、そのような問題はありません。最悪でも、そ のような人たちは三流の罪人であり、良くても単純な雇われ人です。本当の意味での満足からではなく、 単純にやる気の無さからそうなのです。そのような人々は、お金を稼ぐことにですら、何であれ野心があ りません。実際、お金を稼ぐ事はできないという結論を持っています。『もし、私がお金を稼ぐ ことができていたなら、とっくの昔に稼いでいただろう』と彼らは言うでしょう。そして、彼らの怠惰さを正当化するために、『なんであれ、誰がお金を必要とする?』と付け加えます。そして、もし、そのような人が何かに対して小さな野心を持っても、それをかなえるために働かず、あらゆる場面で妥協するで しょう。ですからこれが、タマス・鈍い性質によって意味される事です。 

もし、タマス・ラジャス・サットヴァの人がサットヴァ・ラジャス・タマスになりたいなら、まずは、ラジャス・タマス・サットヴァになって、次に、ラジャス・サットヴァ・タマスになる必要がありま す。そのときに限り、サットヴァ・ラジャス・タマスが可能です。ここでは、その順番を飛ばす事はでき ません。それは成熟を伴う過程でありますし、成熟とはまさにこの事なのです。これがまた、カルマ・ヨ ーガという意味であり、カルマ・ヨーガの考え方を持ってカルマをする事によって人は成熟します。 

ラジャス・タマス・サットヴァまでは、成熟は、ダルマに従ってその人の目的を追い求めながら単純にカルマをする事につきます。人がカルマ・ヨーガの態度でカルマをする時にだけ、その人はサットヴァ・ラジャス・タマスとなります。この人が、サンニャーシー・世俗的な生活から引退した人になることのできる人です。 」2)

どの分野にもこれらの人がいて、シュードラやヴァイシャの人たちには、クシャットリヤやブラーンマナの人たちの考えが見えません。ヴェーダーンタを教える人たちにもこの種類の人々がいて、このような社会に感謝や尊敬を持たず、国や法律、教育や科学など、現れた姿のデーヴァターを否定したり非難し、間違った主観の方が強くなってしまう人々もたくさんいます。

聖典では教育は大切で科学も尊敬と感謝をするべきものと解説されています。

国の秩序は、そもそもあるものに調和する形で守られています。その法則を見て物事を発することが客観的であり謙虚さになります。

ヴェーダーンタが否定することは間違った観念であり、地位や名誉や肩書きや家族や役割が自分を幸せにしてくれるものではなく、何を手に入れてもいつかはその幸せは失い色褪せることを理解し、自らの能力を家庭や社会、デーヴァターに捧げながら、正しいものをあるがままに見ることであり、見えない自分自身を理解するためには、現れたものをあるがままに見ていなければ理解はできません。

なぜ法律や科学などがあるのかは、そもそもある世界人類共通の感覚、人間がそうされたくないこと、困ることをわからずにしてしまう人たちがいるからであり、生きとし生けるもの全てが一つの生きた生命体であるこの世界のルールや道徳感や倫理観を明確化しておかないと逸脱した言動行動をとる人たちがたくさん現れて秩序が守られないからです。

どの国もどの場所も、全ての人、全ての生き物が平和で幸せでありますようお祈りしています。

バガヴァッドギーターなどヴェーダーンタ聖典は、詩だけを見ても理解は難しく間違った方向に行くこともあり、解説や翻訳をつけたり、正しく理解して守り続けている先生方がいて、聞いて受け継いだ言葉を文字に書き起こして印刷・発行しているものを使わせて頂いていますので、大切に敬意を持つ態度として、著作権法に基き表記をしています。

引用文献:1)2)BhagavadGītā Home study course Volume4 Chapter 4 & 5, 著 Swami Dayananda Sarasvaty 発行 Arsha Vidya reserch and Publication Trust Chennai, 2011年6月. Swami cetanānanda Sarasvati 訳.

参考文献:

1)BhagavadGītā Home study course Volume2 Chapter 2, 著 Swami Dayananda Sarasvati,発行 Arsha Vidya reserch and Publication Trust Chennai, 2011年6月. 

2)BhagavadGītā Home study course Volume4 Chapter 4 & 5, 著 Swami Dayananda Sarasvati, 発行 Arsha Vidya reserch and Publication Trust Chennai, 2011年6月.

3)BRHADARANYAKA UPANISAD Talks of Swami Paramarthananda Transcribed by Sri A. Venkatesan & Sri Balasubrahmanyam Patoo, Arsha Avinash Foundation.

4)Tattvabodha, Swami Dayananda Saraswati, Arsha Vidya Research and Publication Trust Chennai.

※ヴェーダーンタは、文献だけ読むのではなく、必ず聖典の方法論を使って言葉を正しく扱う先生のもとで学んで下さい。

関連記事一覧

PAGE TOP