KAMALA YOGA BLOG

10月からヴェーダーンタクラスを新たに始めます

10月から、新たにヴェーダーンタクラスを始めます。
ご一緒に学びたい方は、メールにてご連絡下さい。
kamala0yoga@gmail.com
人はなぜ生まれるのだろう。そしてどこに向かって生きるのだろう。最後はどこにいくのだろう。。。
あなたはあなたらしく生きなければなりません。
それには、あるがままの自分や世界を見なければなりません。
人生の質を高めるものは、正しい物事の見方です。
私たちは、問題のないところに問題を創り出して見ています。
自分自身を正しく知りません。
あるがままのことをことをあるがままに見えず、空想や妄想を重ねています。
安心のないところに安心があるように見えていて、それを追い求めています。
そして、その手に入らないものなので、次は怒りのないところに怒りを見るのです。
敵のいないところに敵を見るのです。
ヴェーダーンタは、正しい物事の見方を教えてくれる、普遍の真実です。
初級の小さな聖典タットヴァボーダで、全体像を掴みます。
毎週日曜日9:00〜12:00
さらにゆっくり詳しく、聖典を学ぶバガヴァッドギーター。
全部で18章から成ります。
あなたがあなたに落ち着くための生き方と、そのゴールを学んでいきましょう。
第1章 毎週火曜日9:30〜12:30
第15章 毎週土曜日14:00〜16:30
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人は不安や不満足からの自由、モークシャを求めて生きています。
生まれながらに持っている5つの感覚器官と考えを使って、私たちは世界の知識を明かしてきました。
しかし、それら2つの道具には限界があるので、当然、世界のほとんどは無知のままで残っています。
この2つの道具を駆使して世界を明かす科学ですら、全体宇宙のほんの表面的な知識を明かしているに過ぎません。
死とは何か、人はなぜ生まれてくるのか、そしてそれは一度だけなのか、繰り返しているのか。
もし繰り返し生まれているとすれば、それは何を目的としているのか。
ゴールと呼ばれるもの、私を安心や喜びで満たしてくれる人生のゴールと呼べるものはあるのだろうか。
知識というのは、そもそもここにあるものの事で、すでにある、あるがままのことが知識です。
ここにある知識をその通りに、あるがままに見る考えを、知識を得た考えと呼びます。
無知が残る限り、人の心の根底にはいつも不安、不満足が残るのです。
知識がその通りに見えなくて、すでにその人の考えにある過去の記憶から何かを上乗せして見る見方が、空想や妄想です。
その人がそう見るので、その人にとってはそれが本当なのです。
たとえ、そこにあるのはロープでも、その人にはそれが蛇に見えるので蛇なのです。
その人だけではありません。私たちは皆、決してあるがままのものを見ていません。
ロープを蛇に見て恐れる人のように、私たちはあるがままの世界や、あるがままの自分を知らずに、すでに考えが持っている全く違ったイメージを、あるがままの上に重ねて世界や自分を見続けています。
今も。今も。今も。
敵のいないところに敵を見ています。憎しみの理由が無いところに憎しみを見ています。
安心の無いところに安心があるかのように見えていて、それを追い求めます。
そして、その安心は追い求めても手に入らないものなので、次は怒りの理由の無いところに怒りを見るのです。
ロープをあるがままに見ない限り、蛇は去らないように。
ロ ープを見る人にはロープ以外の何も見えないように、もし、あるがままを見ている人があるなら、その人には、この宇宙を一つに統括している法則・秩序であるイーシュワラの他には何も見 えません。
人は、イーシュワラをあるがままに見ない限り、不安や不満足は終わることがありません。
こうして、ロープと蛇の識別がなく、蛇の記憶の中で恐れている人とは、私たちの事なのです。
真実と勘違いの間の識別がなく、過去の未解決な感情気分を含む、どこか不安で整わない記憶でできた世界の中を、果てしなく歩み続けているのが私たちなのだと、ヴェーダーンタは教えています。
ヴェーダとその最後の結論を明かすヴェーダーンタは言葉の形をした道具です。
生まれ持った感覚器官と考えの2つの道具では明かせない世界の知識を明かす道具として、ヴェーダは聖典と呼ばれます。
感覚器官、考え、そして、ヴェーダーンタを含むヴェーダ。この3つの道具が、私たち人類が使える道具の全てなのです。
この3つを使って、私たちは無知ゆえの不安と不満足からの自由、モークシャを得ます。
〜スワミ チェータナンダ ジ 著〜

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