ヴェーダーンタ勉強会九十九里

ヴェーダーンタ勉強会九十九里

 

私たち人間は、誰もが皆幸せになるために生まれてきました。

しかし、今まで、安心や喜びや満足を、物や人や地位や名誉、結婚や仕事、お金で得られることに追い求めてきたけれど、何もかもが束の間の安心と喜び、満足ばかり。 喜びも安心も、自分以外のものばかりに本当の幸せを追い求めても、全ては移り変わり色褪せ、限られた時間の中で変化していくものばかりです。 探している自分自身を見ることはできないので、自分以外に求めることしか私たちは知りません。 本当の幸せとは、自分自身が安心で喜びで満足だと知り、やるべきことをして、生きとし生けるものとの調和、結果に執着しない生き方によって、間違いを手放して本当の安心や喜び、満足を理解し、限りのない幸せな自分自身に落ち着きながら生きていきたいですよね。

私たちが今まで知り得たこの世界の全ては、完全なる法則によって全てが秩序だって運ばれています。 それは、目に見えるものも見えないものも、あらゆるものが見事なまでに関わり合って全てが成り立っています。 道端に咲く一輪の花も、なぜ花弁の数も形も色も決まっているのでしょう。その法則によって名前が付けられているのです。 その花を咲かせるために、土の中にはたくさんの微生物が栄養になり、そのためには動物たちの排泄物や体が栄養になっています。 そして、雨が降り、太陽の光が降り注ぎ光合成をして植物の生命が維持されています。 その植物たちが私たちの食べ物として体の栄養となり、使い終わったエネルギー代謝産物が、私たち人間にとっては絶対的に必要不可欠な酸素として、呼吸をし人間の体がエネルギーを循環させ代謝し、生命が維持されています。 また人間が使い終わったエネルギー代謝産物が、植物にとって必要な二酸化炭素になって循環しています。

私たちが自分の力だけで呼吸をしているわけでも体を健康に保っているのでもなく、全体に支えられて生きています。 しかし、人間が快楽や便利さや贅沢を求めてきたことが、環境破壊にもつながっています。 もっと地球に優しく、人に優しく、自分に優しい生き方を選択しながら、この全体と調和しながら生きていたいですね。

全体と調和しながら、ありとあらゆる物事が一つで回っていることを理解し、考えをきれいに整えていくこと、それをヨーガの生き方と言います。 そして、その全体、全ての法則を司っている秩序のことをイーシュヴァラ(神)と呼んでいます。

物理学も数学も、医学も心理学も、生態学も気象学も、量子力学も天文学も、エネルギー学も情報科学も、何もかもがそれぞれに関わり合いながら、その知識が現れています。 医学も、数学や物理学なしには成り立ちません。 生態学も気象学も、絶妙なバランスを保ちながら関わり合ってこの自然現象が起こっています。 私たちの目に見える世界も、見えない世界も、たった一つで回っています。 そこには、私たちが日々している行いが密接に関与しています。

この全体が一つに秩序だって回り、私たち人間が本当の意味で幸せに生きるためには、イーシュヴァラに争うことなく身を委ねて、イーシュヴァラに捧げられる行いを選択し、その結果はイーシュヴァラから与えられていることへの、尊敬と感謝を持った祈り深く執着のない生き方が大切です。

私が作った、私の功績、私の力、私の物、私の・・・etc.と言っては、失う恐れと不安ばかりで失わないために必死になりますが、全てはあなたを通して現れたイーシュヴァラの法則の一つです。 努力すればするほど、与えれば与えるほど、イーシュヴァラから与えられ、あるがままに物事を観る知性も養われていきます。

そして、目の前に現れる出来事も人も全てがイーシュヴァラです。 誰にも偏見を重ねることなく、分け隔てなく同じものを見て、どのような出来事もありがたく受け止められる素直な心が必要です。

そのためには、私たちが今まで生きてきた人生で記憶してきた、たくさんの間違いを手放して、イーシュヴァラを正しく理解することが必要です。 そして、最後はそのイーシュヴァラこそが自分自身であることを理解することが、私たちを束縛していたあらゆることから自由になることです。

これを正しく理解するには、生き方が大切なのです。

決して空想の世界でも、見えない世界だけの話でもありません。

現実的に体を使った社会貢献を通して、人に優しく思いやりで手を差し伸べられる人間性だけでなく、論理的思考や基礎的な教養も必要です。 ある程度理解できる知性が養われていれば、どこにも矛盾がないことが分かります。 もちろん、最初から理解できるものではありませんが、これを学び知識を得つつ、これまでの間違いを手放し、生き方を通して考えを整えていけば、あるがままの真実を少しずつ理解しながら安心と喜びと満足に生きることができます。

何を選択して、どのように日々を過ごすことが最善なのか、そして私たちは何を求めて生きているのか、限りのない幸せとは、そして最後はどうなるのか、人生の目的と生き方、その終着点を学んでみませんか?

伝統的な方法論をシャンカラ チャーリアの解説を元にしたテキストを使用します。

著:スワミ ダヤーナンダ サラッスヴァティ. 訳:スワミ チェータナーナンダ ジ。 BHAGAVADGITA HOME-STUDY-COURSEバガヴァッドギーター第1章まで | Swami Dayananda Saraswati |本 | 通販 | Amazon ご参加される方はご購入下さい。

ご参加希望される方は、メールにてお待ちしております。

  1. タットヴァボーダ
  2. ウパデーシャサーラ
  3. バガヴァッドギーター
  4. サンスクリット語文法
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  6. プージャー

初級の小さな聖典

安心であり喜びで満足な自分自身と、上乗せしたものの見え方で思い込みや妄想を重ねて見ては、上がったり下がったりする感情気分の個人と、その両方を認識している自分自身があることを理解すれば、怒りも悲しみも不安も恐れも忙しさも何もかも、現れては消える一時的なものにすぎません。

そのほんの僅かな小さなエリアである、一時的な、現れている捉えられるものに、日々翻弄していることを知り理解すれば、何も現れていない、現れては消えていくエリア、愛そのものである自分自身の本質の方が、圧倒的に広く無限であり、捉えようもない何にも制限されていない本当の自由があり、どちらが真実かは自分自身で明らかです。

それを体験として理解するために、優しさと思いやりで与える行いをすることで、喜びと満足を得ることができます。

仕事も結婚も子育ても、家庭や学校や仕事などや社会生活のすべての意味は、自分自身が成熟していくためにあります。

それを知らずに、自分を満たそう、安心を得ようとすることばかりが先に立ち、束の間の安心と喜びを追い求め、自分の思い通りにならないことを変えようとしては、一喜一憂し、問題のないところに問題を創り出しては、恐れや不安から怒り悲しんでいるのが、多くの人々です。

聖典の勉強をご一緒にして下さる方々は、一度は私のところに足を運んで下さり、知りたいと強く願う方々とご一緒に学びを深めています。

すべての人に共通する自分自身のことですが、どうしても話を聞けない、反発心を持つ、理解できない、時間を作れないなど、聖典に対する価値が見えない人にお話ししても、今はまだ目の前の束の間の安心と喜びを追いかけて、一時的に満足しては、また不安になることの繰り返しの中で、そこに見極めがつかないとなかなか話を聞こうとは思えません。

聖典と先生の言葉に対しても、個人の上乗せしたものの見え方を重ねて、怒りや反発・抵抗感を持ちます。

準備ができていない人は、どれだけ長年学んで教えていたとしても、私がスワミジの言葉をそのままお話しすると怒りを持ち、私を通したスワミジの言葉に否定や指摘を繰り返す人もいます。

そう言う人に出会うと、なぜ理解できないのかがとてもよくわかるので、さらにどのようにすれば理解できるのか、その前段階の理論も合わせてお話しできるようになるので、成長させてくれるイーシュヴァラでありプラサーダであり、ありがたい学びになっています。

理解できていない人には、理解できる人の思考やエリアが見えないと聖典も言っています。

理解できる人にとっては、一つの聖典を学べば十分、自分が自分自身に落ち着くことができます。

その準備も人それぞれ、学び方もペースが違います。

その人に合った言葉や方法で、理解を深めていきます。

聖典を理解している人が言う、準備のできた人と言うのは、その言葉の奥にはたくさんの意味合いや条件が含まれており、一般的に使う意味とはかなり異なります。

どうしてもその準備ができた人、理解できる資質のある人にしか、この価値が見えないので、私とコミュニケーションを取って下さり、理解できるであろう方にしかお話ししていません。

聖典の言葉が働き、1クールのクラスだけで、不安から安心に変わり、不満から満足になり、無知から知識に変わっているのは、そのような方にお越し頂いているからなのです。

知りたい、安心したい、自分に落ち着きたいと言う、日々の祈りが大切です。

与えることで与えられないことを超えなさいと、スワミダヤーナンダジは言います。

しかし、聖典の言葉、真実の知識は、受け取る準備ができていない人にいくら与えても、受け取ってもらえず、それ以前の準備が必要です。

ですので、祈りと与える行いと、その努力をすることをお話ししています。

その結果として、聖典の言うヨーガの生き方とそのゴールに導かれていきます。

それがダルマ・カルマの法則であり、この全宇宙を統括しているイーシュヴァラからのグレース・プラサーダです。

誰にでも広く伝えようとすると、お一人お一人と十分なコミュニケーションが取れず、理解が異なったまま違った解釈で、言葉が一人歩きしてしまう可能性があるからです。

どうか、伝統の方法論と方法を大切に受け継いでいること、ご理解をお願い申し上げます。

ラマナマハリシという聖者が残した小さな小さな聖典

ヴェーダーンタ聖典の本体と同じ内容が伝えられている18章からなる聖典

祈り

祈りの儀式

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