保健室オンライン

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保健室オンラインでの取り組み

日本に在住の国民の皆様の幸せと健康保持増進のために、国の掲げる健康施策に基づき、各種法律や条例に従い、保健医療福祉を提供しています。

厚生労働省では健康施策10カ年計画である健康日本21を掲げ、健康の保持増進、疾病予防のための取り組みを実施をしています。

保健室オンラインでも、厚生労働省の計画と各種関係法規に基づき、今何ができるかを考え、できる限り将来を健康に幸せに過ごしていけるよう、保健医療福祉の専門職が様々なサポートをしています。

我が国の医療等各種機関や国勢調査などの統計データによる人口動態の推移から、人口分布、死因、死亡率、罹患率、出生率、合計特殊出生率、周産期死亡率などを把握及びデータ解析し、国の抱える健康問題や社会問題を抽出して予防対策を検討し、住民や企業、学校、団体などでの研修や健康教育などの講座、及び一人一人に合った保健指導や心理療法などのカウンセリング、様々な症状や検査結果などの健康相談、感染予防対策に関する相談、情報提供などの予防医療の支援を行なっています。

2019年の人口分布ピラミッドで見てみると、65歳以上の高齢者人口と30歳未満の将来を担う人口幅は、圧倒的に30歳代未満の方が少ないことが言えます。さらに出生数の減少、合計特殊出生率の減少が進み、今後は社会を支える土台が衰弱していくことが予測されます。

また、高齢者の増加で介護が必要になることも多いですが、現状では40歳代の人口が多く、介護をする人とされる人との人口比率は大きな差はありません。しかし、今後は最も人口の多い70歳代と40歳代がさらに高齢になった時に、介護できる世代の人口は減少しています。また、経済的に社会を支える人口も減少していきます。

それが、少子化と超高齢化社会と言われる、我が国の抱える1番の大きな問題です。

生涯を健康に自立して生きがいを持って幸せに過ごすことが大切です。

そのためには、まず高齢者に対しては、転倒による骨折予防、寝たきり介護予防、重症化予防、疾病予防のための栄養指導や運動指導、独居による孤立予防、うつや空の巣症候群などのメンタルヘルスケアと生きがい支援、介護者に対する家族支援が必要であり、市町村などの自治体や行政、各企業で健康教育が実施されていますが、保健室オンラインでも個別に相談に応じています。

死因率から見ると、1位 悪性新生物、2位 心疾患、3位 老衰、4位 脳血管疾患、5位 肺炎、6位 不慮の事故、7位 自殺、8位 肝疾患、9位 結核となっています。

年齢階級別にみた死因を見てみると、1歳〜44歳の階級では、不慮の事故と自殺がトップになっています。

不慮の事故には虐待が含まれています。虐待の予防はとても難しく、子供は親を守るために暴力を受けていることを隠す場合も多く、虐待をする側は日頃の人間関係ではわからない二面性を持っている場合もあります。

これらは、家族間の心理的な問題が根本となっていますが、予防するためには、本人の意思がなければ取り組むことができず、発覚ができないまま虐待死となることが多いのが現状です。

それでも、市町村では住民とのコミュニケーションを取る機会を設け、虐待のリスク把握と予防に努めています。

行政や自治体との連携を図り、必要があれば対応しています。

産後うつによる一家心中も多く、お母さんとお父さんなどの養育者が健全に子育てができるようサポート環境を整え、育児支援や産後うつ予防の一環として、厚生労働省では産後ケア事業が推進されています。保健室オンラインでは、産後ケア事業を実施する助産院プラサーダを併設し、母と子に関連した母子保健事業に取り組んでいます。

子供の発達障害に対する親と子の心理療法も行なっています。

若年層の自殺予防には、思春期教育、性教育、命の授業などを学校や団体で行なっています。

ご要望があれば承ります。

保健室オンラインでは、生まれる前の妊娠・出産、赤ちゃん・こどもから大人、そして高齢者まで、どなたでもご相談頂けます。

スライドに掲げた事業内容は、今現在思いつく限りのものを羅列しましたが、他にも人が幸せと健康に生きるためのご相談を受け付けております。

具体的な内容に関しては、一人一人異なりカウンセリングにより提供しており、膨大な情報量になりますのでここでは割愛します。

また、成人では疾患を予防するためにも、毎年健康診断が実施されています。

人口の最も多い壮年期層の40歳以上では特定健康診断が実施され、メタボリックシンドロームによる心疾患や脳血管疾患、糖尿病と二次的障害などの生活習慣病予備群を抽出し、予防のための取り組みを行うダイエットプログラムである特定保健指導を行なっています。

企業、学校、団体、共済組合、健康保険組合、自治体や行政からのご依頼を受け付けております。

個人で特定保健指導を受けられている方でも、個別プログラムとしてカスタマイズした実践内容をお受け頂くことができます。

精神疾患や適応障害なども年々増加傾向にあります。それぞれに合った内容で一定期間共に精神的な安定のためにコーチング、認知行動療法などの心理療法を行なっています。

企業でも近年、健康経営が提唱され、産業医と保健師による保健指導、特定保健指導、生活習慣病予防、メンタルヘルスケア、過重労働対策、パワーハラスメント防止対策などを定期的に行うことで、優良法人と認定される制度が、経済産業省により設けられています。

企業、学校、団体様のメンタルヘルスケア及びパワーハラスメント対策、管理職等の研修や、保健室としても健康管理を一括して承っております。

また、健康の保持増進のための研修として、ヨガリトリートで呼吸や瞑想を取り入れたメンタルヘルスケアと、食事指導と運動指導を組み合わせた合宿型の保健指導・健康教育も行なっております。従業員の健康管理にお役立てください。

ご予約やプログラム内容など、お気軽にお問い合わせ下さい。

 

  1. 面談の流れ
  2. 認知行動療法
  3. アンガーコントロール
  4. メンタルヘルスケア・ストレスマネジメント
  5. 優しく賢い人を育てる人材育成研修・子育て
  6. 医療従事者のためのメンタルヘルスケア
  7. 瞑想
  8. 子供の反抗期は自立へのプロセス
  9. 大人の反抗期と依存
  10. 生きる意味・生きがい支援
  11. コミュニケーションスキルアップ
  12. 特定保健指導

スマートフォンやパソコンからアクセスできます

保健師、助産師、看護師等が対応致します。
お手持ちのパソコン、スマートフォンからアクセスできます。

■健康保険証のご提示をお願い致します。
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■予約制で受け付けます。
■基本料金:相談・カウンセリング:10分2,000円、20分3,500円、30分5000円。
■認知(行動)療法・コーチング:40分10,000円延長、10分1,000円
■健康保険証のご提示をお願い致します。
✳︎疾患がある方は、あらかじめ主治医にご相談頂く場合がございます。
✳︎医療費控除の対象になる場合がございます。領収証を発行致しますので、確定申告時にご提出下さい。

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◆◆◆◆◆◆面談の流れ◆◆◆◆◆

①メールにて下記内容をご連絡下さい。mail: hokensituonline@gmail.com

1.氏名
2.年齢
3.職業
4.今までかかった病気(なければ「なし」と記載)
5.今かかっている病気(なければ「なし」と記載)
6.相談内容
7.ご希望の日時

②ZoomオンラインミーティングのIDとパスワードをご案内致します。
お時間になりましたら、パソコンまたはスマートフォンからアクセスして下さい。

③健康保険証のご提示、ご本人様確認

④相談・カウンセリング他

⑤保健指導等

⑥面談終了時に料金お支払い
銀行振込、QRコード払い、オンライン決済でお願い致します。

 

✳︎個人情報に関しましては、個人情報保護法及び、下記法律に基づき守秘義務を徹底致しております。
面談内容は記録させて頂きますが、面談にかかること以外の目的には使用致しません。
医療機関に受診が必要な場合は、法律に基づき情報提供する場合がございますので、あらかじめご了承下さい。
・労働安全衛生法104条 「健康診断に関する秘密の保持」
・医療法1条の4 「医師等の責務」
・医療法72条 「秘密漏泄」
・保健師助産師看護師法42条の2 「守秘義務」

物事の捉え方・見え方の認知に関する歪みを修正し、自分を苦しめていた思考の癖から解放されるプログラムです。

物事の捉え方・見え方の認知に関する歪みを修正し、自分を苦しめていた思考の癖から解放されるプログラムです。否定的な感情によって、周りの人から嫌われている、認められていない、攻撃されてしまう。 自分で自分を否定して認められない。 こうでなければいけないと、理想を逸脱した相手や自分を許せない。 など、生きづらくなる原因は様々です。 その見えている世界観、捉え方が自分を苦しめてしまうのです。 でも、何がそうさせているのかわからず、うつ状態になってしまいます。 本来は誰もが幸せな状態にあるはずですが、そう見えないのは、これまでに教わったことや記憶してきたことにより、物事の見え方、捉え方の癖がそうさせています。 自分だけでなんとかしようと思っても、その方法や本来のあるべき姿が何なのかがわからなければ、その見え方の中でまた苦しくなります。 認知行動療法とは、否定的な物事の見え方を正しい方向に転換していき、生きづらさから解放される心理療法です。 一度や二度ではなかなか変わりません。 長期的にご自分の考えの癖に気付いて、思考や感覚を客体化していくことにより、本来の幸せで生きやすい世界観を作っていくことができます。 保健室オンラインでは、うつ状態や生きづらさを抱える方の認知行動療法を個別コーチングしております。

認知行動療法とは、厚生労働省が認可している心理療法であり、医師・保健師・看護師・公認心理師など、人の心のケアを行うための高度な知識と技術の教育訓練を受け、かつ経験を積んだ保健医療福祉教育の国家資格を保有する専門職が行う医療の一環です。

精神疾患やパーソナリティ障害などの原因は、幼少期までの生育歴が大きく関連していますが、原因を追求したとしても、例え覚えていることがあったとしても、また催眠療法などで記憶が掘り起こされたとしても、それは膨大な記憶の中の断片的な一部分に過ぎません。

原因を追求することよりも、過去の体験により記憶してきたことによる物事の捉え方、見え方の歪みによって、自分を見下げて責めることや、希死念慮や自殺企図、他者に対する怒りや攻撃的な態度や行動に出ては、社会的に問題となる状況を作り出してしまう思考の癖を知ることから始め、自分が思っていることと相手が思っていることの捉え方の相違を知ることを繰り返していくことで、これまでの思考の癖によって自分や他者を傷付けていたことに気が付き、正しいものの捉え方と見え方に修正していきます。つまり、認知の歪みを認識していきながら、歪みのない考え方で一般的にはこういう意味で発していることであるということを理解し、人の本質である愛そのものの自分自身に気が付き、穏やかで幸せに過ごせるようになるためのプログラムです。

認知行動療法は、パニック症状や不安、離人感、うつ状態などの症状が改善したという報告も世界的に多いことから、精神疾患・発達障害・パーソナリティ障害の治療に取り入れられてきました。

保健室オンラインでは、保険医療福祉の専門家である保健師・助産師・看護師・公認心理師・ヨーガ講師がヨーガの呼吸や瞑想を取り入れながら、純粋なものの捉え方ができるようサポートしています。

人として生まれた誰もが、愛であり慈悲である本質が全ての人に備わっています。

そこに様々な体験を通して物事を記憶して成長していきますが、純粋に生きてくれば、人の役に立つことや支えること、助けることを自然と選び、喜びや満足に生きていくことができ、被害妄想や過度な理想を重ねて生きづらさを抱えることは少なく、適切な自尊心を持って自分を受け入れ、等身大でおおらかに生きることができますが、純粋に深い愛で素直に育つことはとても難しいことです。親や教育者など、信頼を置けるはずの人々から何気ない言葉や態度によって受けてきた体験から、不安や恐れ、緊張を抱き、傷付き自信を喪失し、自分を見下げ否定して責める思考の癖が沸くものです。

自分で自分を苦しめる思考の癖によって、精神的に追い詰められ、自分の存在はこの世に必要ないと感じたり、ダメな人間だと思い込み、生きづらさを抱えてしまい、自殺企図に陥ることもあります。

さらには、自分で自分を攻撃して傷付けてしまうことを回避するために、他者が悪いのだと、周りのせいにしては批判や否定をし、相手に対して嫉妬から怒りとなり攻撃的な言葉や態度をしては、他者を傷付けていきます。

自分だけを傷付けているよりも、さらに他者までを傷付けていては、結局その結果は自分に返っていき、ますます生きづらくなっていきます。

なぜなら、その怒りも不満も苛立ちも、否定も批判も非難も、自分の中で起こっている自己イメージであり、自分に対する言葉であり行動になるからです。

自分の知っていることしか想像することはできません。

相手が優しさやあなたのためを思って親切心で言っている言葉も態度も、歪んだものの見え方を通して捉えていては、本来の相手の意図は読み取ることはできません。

傷付ける言葉も行動も、いくら相手が悪いのだと思って話していたとしても、それは自分の記憶によって作り出されるストーリーの中で展開される、あなた独自の見え方によるあなた自身のことなのです。

その歪みを一つ一つ認識していけば、自分の思考の癖に気付き、認識したものから歪みを正していけば、怒りや攻撃性や批判などの衝動的な行動を客観的に見ることができるようになります。

思考と認識している自分との間に距離を保つ練習をしていき、思考や感覚を客体化していくことが大切です。

自分の認知の歪みを認識し、物事の捉え方が変われば、この世界も人も、何もかもが与えられているものばかりであることに気づき、喜びや感謝に変わり、今まで見ていた小さなエリアだけのものの見方と、自分の間違った思考から本来の自分自身の姿を理解することを妨げている思考から自由になります。

図1は、あくまでも個人のイメージですので、参考までに留めておいて下さい。(無断での転写・複写は禁止します)

人は物事を自分の知っている一側面からしか捉えていないので、相手の本当の意図は理解できていないことがほとんどです。

人との会話で、冷静に相手の話をじっくりと聞きながら、そこに主観だけを重ねて見ていないかをよく観察して、感情的になる自分が現れたら、客観的に見ている視点に戻す練習を繰り返していきます。

自分の中にあるその感情も、思考の癖も、記憶も、どれも否定するものではありません。

そう捉えることも、癖も、自分で見て受け入れて認めて、否定することなく認識していけば良いのです。

否定をしてしまっては、それを悪いものとして抑圧してしまい、かえって苦しくなり、精神症状の悪化やヒステリー症状、身体的症状として現れる場合もあります。相手の思いを受け入れずに無視やわがままを言って困らせることで、相手に受け入れてもらったり相手を受け入れる場合もあります。

いずれにしてもそれを認識していけば、やがてその癖も解消され、穏やかな本来の自分を取り戻すことができます。

本来、人は愛や慈悲というのは基本的な価値観として全ての人に備わっている知性です。

あなたが傷付けられたくないと思うことは、誰もが同じく傷つきたくないことです。

自分の視点から主観的に物事を見て捉えていてばかりではなく、相手の立場や考え方を想像し、話を聞いた上で知ることも必要です。

他者に自分の記憶から作られた思考の癖を投影し転移しているだけなのです。

こういう話をすると、怒りや苛立ちを持ち、機嫌が悪くなり話を遮ったり、馬鹿にしているとか見下していると捉えたり、攻撃的になり批判する人もいますが、それもその人自身の記憶から展開されている見え方であり、自分で自分を見下し馬鹿にしてしまう捉え方でから起こる思考の癖です。怒りや批判で対話ができない時には、治療や施術はうまくいきません。なす術もなくどうにかしたいほどの苦しさを抱えている方が、むしろ素直に話を聴けるようになるものです。

人は誰しも間違いを指摘されると、自分を否定されたと受け止めがちです。ましてや、ある程度の地位や名誉やそれなりの立場を持っていると尚更、自分で自分を見下し馬鹿にする思考の癖から相手に偉そうにされていると捉え、相手を見下し傲慢になりやすいものです。それも幼少期の親との関わり方が大きく影響しているので、善悪の判断を抜きにして、本当の自分自身と思考の間にある認識の違いであり癖なのだと知り、あなた自身は尊い素晴らしい存在であることを理解していくことが大切なプロセスです。

本当の意味でその歪んだものの捉え方が間違いであることを認識したのなら、本当は愛であり慈しむ優しさや思いやりの心が本質的にあり、穏やかに平和に過ごす時間が常にあることがわかってきます。

そして、セラピストはあなたの話を聞くことに専念しながら、その人それぞれの記憶の癖を理解し、どのように捉えていけば心地よく健全な社会生活を送れるのか、最善を考えながらその都度その人にあった内容を提案しながら進めていきます。

このような一面だけでは、何をしているのかは書ききれませんし、人の数だけ方法はありますので、具体的な内容を明記することは難しいことです。

学習方法も実践方法も、その人それぞれにあった内容を検討しながら、週1〜4回のカウンセリングと日々の実践と記録を継続して頂き、その思考の癖を見ている視点から主体である自己の視点に立ち、思考や感覚を客体として客観的に見ていく力を養っていきます。

一歩一歩、ものの見え方は変わっていきますので、今まで恐れていたことや不安になっていたこと、苦しくしていた思考から解放され、物事の本質を捉えられるように継続的にサポートしていきます。

本質は、誰もが愛であり慈しみを持っており、喜びと満足であり、幸せな存在なのです。

人は本当にそれぞれの記憶を重ねて見ています。

人の話を聞いていると、不機嫌になり態度が悪いと文句を言い出し、批判的になり怒り出す人もいれば、癒されて本当に安心したと心から感謝をする人もいます。

その違いは、その人自身の歪みや上乗せしている理想や妄想など、その人のアイデンティティを作り出している観念によるものです。

本当の意味でのアイデンティティとは何かを、ご一緒に理解できるようコーチングしていきます。

精神科・心療内科で診断を受けている方は、主治医にご相談を上、診療情報提供をしていただくことで、医療費控除の対象になる可能性があります。

症状がひどく辛い場合には、精神科・心療内科の受診をして頂きます。その上で、認知行動療法を行っていくことをお勧めします。

怒りの衝動によって他者を傷付け問題行動となる怒りのスイッチを認識していきましょう

怒りというのは、個人の問題を目の前の人や出来事に重ねています。

本来は、生命の危険を感じた時や、自尊心を傷つけられた時に抱く感情です。

同じ言葉を聞いても、同じものを見ても、人によって物の見え方は違います。

「あの人は背が高いね」と言った時に、背の高さをコンプレックスに思っている人からしたら、馬鹿にしていると捉え怒りが湧くかもしれませんし、背が高いことを羨ましいと思っている人からしたら、素敵だと肯定的に受け止めます。

物の捉え方・見え方は人それぞれで、生まれてから現在までに経験してきた記憶によって、感情が湧きます。

言葉という音や、見える色や形など、感覚器官で捉えられる物事に、その時の体験で抱いた緊張や不安、恐れ、寂しさなどが重なり、それを相手に対して解決してほしい、満たして欲しいという欲求が知らず知らずに湧き、相手を自分の思い通りに変えようとすることから起こります。

その怒りが、勉強や経験値を上げる方向に行けば、努力し成長に繋がり、結果として成果を上げることができますが、目の前にいる人にぶつけてしまっては、問題行動となり相手を傷つけ、精神的にも追い詰めてしまいます。

怒りの原因は、欲求を満たして欲しいという思いから生まれます。

不安や恐れ、寂しさや、こうでなければいけないという凝り固まった観念によって、相手をコントロールしようとすることから生まれます。

つまり、満たされていない状態です。

例えば、部下が思い通りに動かないことで苛立ち怒りで指導をしても、威圧感を与えて制すると、相手を緊張させ恐怖心を抱かせ、思うように動けなくなり、できることすらできなくなることがあります。

そして自信を失い、さらに自分は何をやってもダメなのだと思い込ませ、益々行動する意欲を喪失させてしまいます。

その繰り返しで鬱状態になり、自殺する人もいます。

もちろん、人それぞれで、それが平気な人もいれば、そのストレス感がやる気にさせてくれたりすることもあります。

しかし、現代ではパワハラやいじめが世界中でも横行し社会問題となっている中で、その原因は怒りによる制圧が主です。

怒りは攻撃な態度や言葉だけでなく、無視や陰湿な嫌がらせ、重箱の隅をつつく揚げ足取りなど様々です。

そして、怒りの言葉は人の感情にも火をつけ、怒りを誘引します。

そうして争いが起こります。

怒りを自己成長に使えなければ、問題になることばかりです。

そして、問題行動の結果、生きづらさを抱えるのは怒りを人にぶつけるその人自身です。

相手が悪く見えてばかりでは、世の中も悪く見えてしまい、楽しいことをしていても幸せを感じることができなくなります。

その怒りを自分自身でコントロールし、平和な人間関係や穏やかな人間性を養い、幸せに生きたいと思いませんか?

①怒りの衝動

怒りというのは、衝動的に起こります。その衝動は、6秒で消失していくと言われています。

ですので、まずは怒りが起こったら6秒待つことです。目の前にいる人にぶつけてしまいそうになるのであれば、その場から席をはずすなどが必要です。

②思考

怒りの原因になる自分自身の考え方、「こうあるべき」「こうでなければいけない」「こうしなければいけない」という思い込みです。

そのルールは、人それぞれ違います。自分の中のルールを人に押し付けてしまっていては、苛立ち怒りで人をコントロールし、相手の行動を抑圧してしまいます。その結果、相手はうつ病を発症することになりかねません。

人には人のやり方やペース、考え方があるのだと理解することが必要です。

③行動

人も出来事も、変えられることと変えられないことがあります。

柔軟な思考力をつけて、仕方がないと割り切れる寛容さを養うことが大切です。

怒りで問題行動を起こしたり、生きづらさを抱える人は、何が人を傷つけるのかがわかりません。

そして、相手が悪いから自分が怒るのは当然だと思っています。

その思考を転換し、平穏に生きるためには、何を指標にしてその怒りを自分自身でコントロールしていけば良いのかわかりません。

 

共に怒りのスイッチを知り、どのように対処していけば良いのかをカウンセリングし、アドバイスしながらコーチングしております。

発達心理学とメンタルヘルスケア

生まれてから幼少期までの子育ては、親子の愛着を形成し、その子が大人になってからの人間性に大きく影響します。

保健室オンラインでは、メンタルヘルスケア・ストレスマネジメント講座、アンガーマネジメント、命の授業などの企業研修や、個別でのライフコーチングを行なっております。

助産院プラサーダでは、子育てコーチング、宿泊型産後ケア事業、命の授業や性教育講座を行なっております。

 

以前開催したメンタルヘルスケア・ストレスマネジメント講座でまとめた心理学のスライドを一部挙げますね。(✳︎転写・複製禁止)

スライド1枚目でご覧いただけるように、人間の成長発達段階に応じた獲得課題があります。

生まれてから新生児期には、親の目を見つめる時期があります。

このときに、親が目線を逸らさずに見つめ合うことが、母親にも子供にも大切になります。

また、見て見て期には親の視線が自分に向けられていることで、安心感の中で遊びができます。

初めてできたことや、自分で作ったものを親に見せて、すごいね!と称賛を求める時期に、たくさん褒めて認めてあげることが大切です。

子供の時に十分に称賛されないと、承認欲求が満たされずに大人になってからも自分を認めることができず、他人に承認を求めるために人を見下したり罵ったり、怒りで制圧しようとしたりする人間性になることもあります。

子供が求めることに応じてあげることが大切です。

よく、抱っこしすぎると抱き癖がつくというお母さんがいますが、抱っこさせてくれる時期はほんのわずかです。

抱っこで安心して育てば、そのうち抱っこしたくて腕の中に抱きしめても、腕を振り払って外に好奇心を持って自立していく時期がきます。

赤ちゃんの時の抱っこが安心して満たされなければ、いつまでも抱っこを求めるかもしれません。

ですので、たくさん抱っこしてあげて下さい。

肌が触れ合うことで、お母さんも子供も安心しリラックスできる幸せホルモンが分泌されます。

そして、甘やかしたら大きくなって依存的になるのではないかと思うお母さんもいます。

それも、過剰に手助けをして、転んだ時に子供が自分の手で立ち上がるのを待てずに、すぐに手を出して起こしたり、できることを自分でやらせず、親が待てずに先にしてしまうことなど、その子が持っているできる能力を伸ばさずにいると、子供は自分がしなくても親がやってくれると思うので、自分でやらなくなることがあります。

そのような日常的なことの積み重ねで、できることもやってもらえると思わせてしまい、好奇心や自立心を遮ってしまいます。

親が子供の欲求に十分に応えてあげられる余裕があると良いですよね。

また、自分で物事を判断したり決断する機会を与えず、親が決めてきたことを子供にやらせてばかりでは、大人になってからの決断力に欠ける可能性もあります。

親が愛溢れる安心と満足の中にいれば、自然と子供へ目を向ける行動が取れるものです。

目の前にいる子供のために、人生のほんの少しの時間をたくさんの愛で包み込めると良いですよね。

親子間の愛着が十分に形成され、愛情いっぱいに育てば、人からも愛されて支えられながら将来過ごすことができます。

子供は親が幸せでいて欲しいと思って、親の言うことを聞きます。

将来にわたって、親の幸せのために就職や結婚をする人もいます。

自分の幸せのために生きて、自分の幸せが人・社会への貢献になることを理解しながら生きられると良いですよね。

その中で、人生にはたくさんの出来事があり、知らないことには恐れや不安がつきものですので、様々な苦労や失敗もあることと思います。

でも、それは乗り越えたら簡単なことに思える出来事だったり、失敗した後に成功があることに気付ける、二極化の体験にも動じない強さを養うために必要なことになります。

この世界は、知っていることと知らないことがあって、自分にできることとできないことがあり、人ぞれぞれ持っている才能や知恵が違い、補い合い支え合い助け合いながら生きていることを理解できると、自ずとやるべきことに進むことができます。

私たち人間は、誰もが満足で幸せな存在です。

でもそれに気づかなくさせているのは、歪んだものの見え方です。

その歪みは、育ってくる中での親子関係が大きく影響しています。

心理学では、その時期に対応して獲得できる人間性があります。

ですので、十分な愛を持って育てることが、将来の人間性を決定づける因子になります。

もちろん、逆境に強く、複雑な家庭環境などで育った人の中にも、素晴らしい人間性を持つ人はたくさんいます。

それは、優しさや愛を知っているから人にもそれができるのです。

しかし、親から十分な愛を受けずに、成長発達段階に応じた欲求が満たされなかった場合は、不満感や不安、不信感となり、自分で自分を認められずに自己否定や劣等感などで、周りの人や世界への見え方が歪んでしまい、自分や人を責めたり傷つけるような人間性になってしまう可能性があります。

優しさを自然と理解できる人間性が持てるように育てたいものですよね。

先日、放火犯が入院中に「担当看護師に初めて人に優しくされた」という言動を見ました。

人から優しくされた経験が少ないと、世の中が悪く見えてしまい、犯罪を犯してしまう人もいます。

優しさに触れることで、歪んだものの見え方が解けて心が穏やかになり、人にも優しくしようと思えたら良いなと思います。

物事の見え方、捉え方の歪みは、こうして育ってきた中で作られた思考によって、大人になってからも物事の見え方・捉え方に影響しています。

9歳からは、抽象的思考と論理的思考が理解できるようになってきますので、この思考を伸ばしていくことが、優しく賢い人間性を養っていくことにつながります。

そのためには、子供の好奇心の目を摘まず、なぜそうなるのかどうしてそうなのかを一緒に考え、物事をカテゴリー分けし概念化して目的や本質に向けた物事の考え方を養うことが大切です。

そうすることで、客観的なものの見え方ができ、それぞれの人の抱える気持ちに共感的に寄り添うことができるようになります。

私たち人間は、人に優しく、助け合いながら生きていけば、安心や満足、喜びが伴います。

小さい頃から純粋に育てば、人と比べることも少なく、嫉妬や競争心で何かをするというよりも、自分のやりたいこととやるべきことを自然と選び、人間の本質を理解することができる知性を使った生き方ができるものです。

しかし、そう生きていたとしても、限りのある幸せや喜びや満足ばかりで、移り変わっては消え去っていくものばかりで、幸せとは一体何だろうと思う時がきます。

その時に、人が最後に追い求める人生のゴールである、自分こそが限りのない幸せな存在であるという答えを理解し、自分が自分に落ち着く生き方を求め始めます。

それを学ぶことができるのが、ヴェーダーンタというものです。

宗教やスピリチュアルや科学では、その答えは知り得ることができません。

マザー・テレサが、晩年暗闇がどんどん大きくなって苦しみを抱えていたことは、牧師さんに宛てられた手紙の数々から明らかにされています。

人を助け続け、神の言葉を話し続け、自分の欲もなく生きてきた人が、最後にそれだけ苦しむのは、その暗闇が何かを教えてもらっていないからでしょうね。

宗教もスピリチュアルも、最後の答えが明確には教えられていません。

しかし、このヴェーダーンタというのは、何千年をも超えて、同じ教えが今でもそのまま残されている文化がインドにあります。

真実というものは、姿形を変えるものではなく、普遍的なものですので、時代を超えても変わらないのです。

でも、それを理解するためには、自分の幸せと人の幸せ、生き物全ての幸せを祈れる心や、自分の持っている能力や財産など、与えられるものを与える必要があるところ、適材適所に与えられる人として、社会に貢献している生き方が必要です。

そうして生きていれば、変わらぬ満足と安心の中で幸せに生きることができるのです。

歪んだ物事の見え方は、親子の愛着形成がうまくいかなかったことも影響しています。

こういう話をしていても、怒りと苛立ちで攻撃的になる人もいます。

苦しいのはその人自身です。

そして、常に今も自分と同じ場所に共にある自分自身を否定し続けて、幸せになることは難しいんだ、そんなに簡単じゃないと怒りを持つのであれば、自分のものの見え方・捉え方の歪みに気づくまで、探し続けるのです。

自分のした行いと、その行いの結果は自分に返ってきます。

物事や人への不調和をしてきた人は、人生も不調和になります。

それを調和な生き方に変えていけば、人生も調和になります。

もし、これまでの人生で人を傷つけてきたとしたら、心から反省して、報われることへの祈りと人に与える生き方をしていけば、人生は変わります。

1人ではわからなければ、調和で幸せに生きている人から学ぶことです。

人が人らしくあるために、愛とは何か、自分を愛し人を愛すること、子育てや命の大切さや、人としてどうするべきなのかを、生まれる前から生まれた後も教えてくれる役割が助産師です。

妊娠中から継続的に関わり合い、産後も赤ちゃんとの関わり方を教えてもらいながら、安心して子育てができ、豊かな人間性を育むことが大切です。

助産院プラサーダでは、産後ケア事業を宿泊型で行なっております。ぜひご利用ください。

大人になってからでも、自分の感情気分で自分を苦しめているものに気付いていけば、十分優しい人間性が現れてきます。

元々、皆純粋で幸せなのは同じですし、変わらない真実です。

今のストレスになっていることから自由になり、メンタルヘルスケアを自分自身で日常的に行えるようになれば、いつでも喜びと幸せに目を向けて生きることができます。

物事の本質を理解するのは優しさと賢さ

物事の本質を理解するためには、具体的思考に加えて抽象的思考と論理的思考が必要になります。

これらを同時に使うことで、物事を全体から観て客観的に捉える視点になり、冷静さや的確な判断ができるようになります。

また、一度の失敗も恐れず、学びに変えて挑戦する精神力の強さも兼ね備えることができます。

人間関係でも、相手の立場を理解し共感できるので、穏やかな人間関係を保つことができます。

子供は9歳頃から、この抽象的思考が発達してきます。

子供が自分の興味を発掘できるような、自由な時間を持つことが大切です。

誰もがこれまでに経験してきたことを、一番最初にどのような状況でどう認識したかが、将来の物事の見え方捉え方に影響します。

それによって同じ色や形、言葉や音などの受け止め方が人それぞれ違っていきます。

それが具体的思考です。

具体的思考力は、物事を丁寧に正確に完成させる几帳面さや、情報収集や行動力などになりますが、具体的思考に偏ると融通がきかず譲れない頑固さになってしまうこともあります。

もちろん、それがうまくいく人間関係や職業もありますので、一概に悪いわけではありません。

肯定的な物の見方を教えられて育っていれば、人間関係も仕事もうまくいき幸せに生きられます。

しかし、組織や集団の中では、具体的思考だけに偏っている人同士が、社会的な問題に繋がることが多々あるので、抽象的に捉え物事を観る視座を上げて視野を広く持ち、それぞれの人の立場を理解して行動できると、人間関係も円滑になり、問題解決もスムーズになります。

生き物は動物も人間も、具体的思考によって物事を捉えて行動しており、具体的に現れている物事をつなぎ合わせて判断しています。

それを主観としていますが、具体的思考からは情報収集や行動実践していくために必要で誰しもあるものですが、これだけに偏っていると人によっては偏見が強くなり、こうでなければいけない観念も強く、見たこと聞いたことなど経験してきたこと以外は信じない、疑う、拒否という考えになる場合があります。そしてたくさんの混乱が起こります。

また、主観的な見え方によってこれまでの体験を重ねて感情的になりやすいのも、抽象的に物事を捉えることが難しい場合にありがちです。

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私たちは、具体的に現れた物事を、他の事象などと関連づけて推論し、結論を出します。それが論理的思考です。

演繹法・帰納法・三段論法などありますが、また別の機会にしますね。

この時に、情報の関連付けを多角的に行うことによって、一旦概念化して行きます。それが抽象的思考です。

その概念化した情報を、さらに抽象度を上げて概念化し、全体像として一つの本質として捉え、他の事象にも当てはめて考え、他にも使うなどの応用をきかせます。

言葉の応用も同じです。

それを習慣づけていくことで、判断力や対応力がついていきます。

その判断が間違っていないかを検証するために、何故・どうして、どうやるの?という疑問が湧いた時には調べて情報量を増やして、より正確に判断をし行動をしていくことが大切です。

単純に抽象的思考が強いと、具体的思考の人には何も伝わりません。

筋道立てて物事を考え、本質側から物事を観て判断し具体的に挙げて言葉や行動にすることで、他者への説得力も高くなります。

この言葉や物や現象は、概念化した情報の中からこれにも当てはめられると言う考えで応用をしていくことで、物事の受け止め方も柔軟になり対応力もついていきます。それが想像力です。

人の気持ちがわからない、空気が読めない、苛々や怒りが多く感情的になりやすい、重箱の隅をつつく揚げ足を取り続ける、冷静に建設的な会話ができない、文脈が読めない、言葉が置き換わったり順序が変わると混乱する、こうでなくてはいけないという固定観念が強くなりすぎて譲れないなどは、具体的思考が強すぎて想像力が働かない場合に起ります。

発達障害がある場合は、脳の機能的な障害によって抽象的思考が難しく、生きづらさを抱えてしまう場合もありますので、その場合は周りの理解が必要です。

喜びや優しさの経験や、人の感情などを多く記憶しデータ化していくことで、対応力がついていきます。

脳科学者の中野信子先生の著書もご参考にされると良いかと思います。

ご自身も自閉症スペクトラムで生きづらさを抱えながら、脳科学を研究し続け、幸せに生きられることを証明しています。

具体的な情報をインプットして、それをそのままアウトプットすることももちろん大切なことですが、今後はその作業だけですとAIが担ってくれますので、人間にだけ備わっている抽象的思考を同時に使うことで、人間に与えられた人間らしさ、相手の立場に立って物事を考える、いわゆる優しさや思いやりをベースに行動をとることができる様になります。この抽象的思考のことを知性と言い、人間にだけ与えられた機能になります。

動物や昆虫、魚類などは具体的思考だけで生命活動をしています。

その知性を養うことが、物事の本質を見極める力になっていきます。

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本質が理解できれば、主観的な情報を一旦概念化し客観的に物事を観る、その繰り返しで視座が上がり俯瞰視することによって公平さや平等さ、穏やかさや共感性が生まれます。

自分の感情も客観的に観察することができるので、感情的にならずに穏やかで柔軟性があり、本質に向けた建設的な会話ができます。

それができないと、主観的な判断だけで怒りや悲しみなど、感情的に行動してしまうことがあります。

決して悪いことではありませんし、それでうまく物事が運び、人間関係も円滑にいけば問題ありません。

しかし、主観的な物事の捉え方によって、人を攻撃したり思い込みで苦しくなってしまうと生きづらくなる可能性があります。

具体的思考だけだと、自分の知っている物事だけが正しいと思いがちです。

抽象的思考によって客観的に物事を見ることができれば、自分の知らないことが世の中の大半だということを理解し、人それぞれ考え方も捉え方も違うのだという理解によって、穏やかに平静に物事を観ることができ、今必要な行動を取ることができるようになります。

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俯瞰できるとメタ認知力という、自分も他人も同じ様に客観視できるようになるので、相手の感情も自分自身の感情も一歩離れたところから見守ることができ、自分の感情のコントロールができます。

具体と抽象を同時に使う訓練を繰り返し、視座を上げていくことによって物事の本質を理解し、皆それぞれであることを理解し、自分のできることとできないことを見極めて、できることを提供して、できないことを助けてもらい、人間関係をうまく築いていきたいものですよね。

具体的な情報とその結果が、なぜそうなっているのかの背景を常に考える癖をつけていくと、物事の客観性が生まれていきます。

それには、日頃から良い悪いを抜きにして、対極的に物事を見る習慣をつけることや、何か不安や心配事があればすぐに調べること、自分にはこう思えるけど他の人はどう思うのだろうと考えて、たくさんの人の意見を聞く様にするなどをやってみて下さい。

 

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子供であれば、幼少期は絵本の読み聞かせや、たくさんの言葉や物などを集めてカテゴリー分けしていく遊びをすると良いですね。そこで生命の成り立ちや流通背景なども教えられると良いですよね。

小学校に入ったら、想像力を必要とする本を読むことや、好奇心を大切にして、それが何に向かっているのかを考えさせてあげる様な問いかけをしていくことも良いですね。

また、気になることなどを100個くらい付箋に書き出してみて、それをカテゴリー分けしていき、最終的に3つくらいにまとめて優先順位をつけて見ると、問題や目標が明確化していきます。これがKJ法です。

その問題を解決するためには、どこに向かうべきかを抽象化された本質側から考えて、どうするべきかを分析して情報収集して具体策を考え、実際に5W1H(2H)で表してみるとわかりやすく行動に移すことができます。

最初はそれを続けて、慣れてくれば頭の中で自動的にできる様になり、判断も早くなっていきます。

そうは言っても、得手不得手や未知の分野など、人それぞれありますし、情報を得ていない物事に関しては、判断はできないこともたくさんあります。

人間は不完全な生き物ですから、人の不足があれば補ってあげられる人間性を常に持っていたいものですね。

保健室オンラインでは、企業での管理職研修や個別コーチング、助産院プラサーダでは、子育てコーチングを行っております。

医療従事者として働く人の多くは、人々を支えるため、守るためにこの職業を選ぶ時の覚悟もあったと思います。 プライベートや家族を犠牲にしなければならないことも多々あります。

医師や看護職というのは、人の命を守るために多くの時間を費やし専門的な知識と技術を学び、臨床の現場に出てからも自己研磨を続け、患者様と直接関わる時間が長いため人の体や心を理解し一人一人を支えるための努力をする日々ですよね。

そして、全ての患者様に対し、平等に公平に医療を提供し、客観的情報をもとに、一人の人をあらゆる側面から捉えて、その時その場でその人にとって最善を尽くしています。

そのような多忙の日々を送り労を費やす皆様には、心から感謝と尊敬を申し上げます。

ベテランの医師や看護職の方には、視座を高く視野を広く持ち、自分自身の感情や状況を俯瞰するメタ認知能力が高く、人を客観的に観ることができ他者を理解し共感できる人が多いと思います。

どのような人の社会的背景も人間性も読み取りながらあらゆることを理解し、その人に必要なことを提供していくのが役割です。

だからこそ、どのような患者さんに対しても同じように対応することができ、その人ぞれぞれの特徴を見抜いてその人に合ったことをすぐに手を差し伸べられるのも、この職業の方々の素晴らしい特性です。

緊急対応や出産、急激な病状変化などは避けられるものではなく、自分の担当患者さんであればいくら休暇やディナーを楽しんでいたとしても休みを返上して現場に向かうのが当然の如く医療に貢献し続けてきたのではないかと思います。

そうして生きてきた人には、私たち人間の本質は意識であり、その意識が普遍的であり捉えられるものではなく対象物を捉える対象物ではない主体であり、あらゆる客体を捉えている事実に気づいている方も多いのではないでしょうか。

臨床の現場で身体や精神の病を患う人たちは、その病気に直面して恐れや不安、痛みや苦しみと闘う日々の中で、様々な感情を抱きます。

やり場のない苦しみが怒りとなり悲しみとなり、どこに吐き出して良いのかわからず家族にも言えない心の悩みをぶつけたり打ち明けられるのは、一番長く寄り添う看護職がその役割を担うことも多いですが、実際の現場では業務に追われて十分に本来の役割を担うことができずにジレンマを抱く人も多いのではないでしょうか。

また、どれだけ倫理的に人のために自分の体や知性をフルに使って医療に貢献し続けていても、名誉や功績を残して称賛されたとしても、大切な家族を得て物質的に豊かになったとしても、それでも何か満たされない感覚や、どこかに解決を求める気持ちが残る人も多いのではないかと思います。

どれだけ社会に貢献して充実した人生を送っていたとしても、どこかで行き詰まる時がきます。

誰にでも訪れる人生の転機があります。

今まで知り得てきた情報だけでは、どこにも解決がないことに気がつくのです。

私たち人間が最後に知るべきことがあります。

それを理解するためには、あらゆることに対して自分の偏見を取り払い、公平に物事を捉えて社会に貢献することが必要ですが、そうしてきた人にとっては、何を得てもどこかに満たされない感覚が残るのは、人が追い求める最後の結論を知らないからなのです。

もちろん、目の前のことに没頭して一生懸命生きているときには、熱心に生きることで充実感はありますので、その時はそれで十分な時もあります。

医療現場で仕事をしていれば当然ながら、人の命を守り健康に導き、人間の尊厳であるすべての人が幸せになる権利を支えるのが役割です。

しかし、どれだけ善を尽くしても人の命は儚いものです。

もちろん、その人それぞれの生きてきた人生があり、社会的背景があり、命が尽きる理由もわかることが多いので、家族にも理解をしてもらえるよう悲しみを支えるのも役割の一つです。

また、生まれてきたばかりの赤ちゃんがすぐに命を落とすことも、産んだばかりのお母さんが命を落とすこともあります。

患者さんの家族にとっては失意のどん底に突き落とされた気持ちで、やり場のない悲しみと苦しみが怒りになり、その思いは計り知れません。

その現場に立ち会う私たちも、どれだけその経験したとしても、悲しみと自責の念を抱き動揺する気持ちは何度でも持ちます。

それでも、その人たちを支える立場として毅然に振る舞わなければなりません。

そうして人の命が生まれて、育ち、老いていつかは亡くなっていく。

当たり前のライフサイクルですが、そこに疑問を持つのです。

元々人間や命に興味があってこの職業を選び貢献してきた人も多いと思いますが、知れば知るほど、人はなぜ生まれてくるのだろう。なぜ死ぬのだろう。その後はどうなるのだろう。

という疑問に対する答えは見つからないのです。

私たちが最後に知らなければならない真実は、長年多くの人々を平等に見続け、人間というのをあらゆる角度から観てきた人には理解できることです。

肉体や感覚器官や生理機能や心理については、十分すぎるほど学びますが、それでも、学んでも学んでもキリがないほど多くの情報をもとに分析し、エビデンスだけでは成立しないことばかりで、運や天に任せることも多くあります。

そうして人間というものを多くの情報で分析して解明しようと努力してきた人にとっては、その科学的根拠になる情報が意外と乏しいことに気づき、それだけではどうやっても解明できないことばかりで、それをまた研究して明らかにする日々を送っている人も多いと思います。

確かにそれも大切なことですし、とても役に立っています。その新たに明かされた情報をもとに、私たちは一人一人にとって最善の方法を選び提供し、その結果を見ては修正を繰り返し、その都度最善を検討し提供します。

しかし、物事には一定の法則がありますが、絶対的な因果はないことにも気づく人も多いと思います。

そして、あらゆる物事は全てが移り変わり、どれだけ長い期間維持されてきたものであったとしても、この世界にあるものは何もかもがいずれは朽ち果て色褪せ消え去り、変化していくものばかりです。

その移り変わりを捉えている自分自身は、全く移り変わりのない存在であり、その本質は穏やかな純粋な愛そのもので喜びと満足を伴う、限りのない幸せな存在であるという、その真実を知ることなのです。

それが本当の自分自身です。

そこには、私たちの知らないエリアがあり、全ての原因になる源があり、日常的に現れている物質も出来事も状況も記憶も新しい体験も、全ての顕在化された物事の背景に隠されていること、そういったことを神と呼んでいたりするのですが、そのエリアは実は自分自身の中にあるのです。意識である移り変わりのない、時間にも束縛されない空間を超えた自分自身という存在は、肉体や考えを超えており、生まれることも死ぬこともありません。

その意識が、移り変わる物事も、過去も現在も未来も含む時間も空間も捉えているのです。

そして、私たちが日々している行いの結果が、この一瞬一瞬を成り立たせ、生まれることも生きることも死後も含めて人生を紡いでいるのです。

その真実を知らないが故に、私たちは満足や幸せを追い求めて、命が尽きてもまた満たされようとして生まれてくるのです。

その真実を理解するまでは、その生まれ変わりは続きます。

もちろん、次に生まれ変わったらああなりたい、これになりたいという願望があるのなら、また生まれてきますから安心して下さい。

しかし、本当の意味で自分自身が満足な存在だということを知り理解したのなら、それ以上に何かを得る必要はあるでしょうか。

実際、必要な物事は全てが手に入っています。

この体を安全に置く場所もあり、健康に保つための食事が摂れ、社会に貢献するための仕事を持ち、経済的にも不足はなく、支え合える家族や仲間などがいて、知らない人でさえ支え合っていることも知り、それなりに社会的地位や名誉もあり能力もある。

それに必要な物事は、また手に入れることができる。

どこを切り取ってみても、どこか不十分なことはあるのでしょうか。

個人一人を取ってみたら、もちろん能力に欠ける部分や不足はありますが、社会で十分に貢献して生きてきている人は、そういった個人の不足を自然に受け入れ補い合う関係性を保ち、医療現場も家庭もチームプレイが成り立っています。

個人と個人との関係性は、お互いに足りないところを補い支え合う形で丁度良く一つの形になっていきます。まるで、パズルのピースのように、全部が合わさって一つの大きな絵が完成するように。さらに大きく捉えれば、この世界の生きとし生けるもの全てがたった一つで支え合っているのです。

生態系や気象を考えれば、個人の考えられる範囲を超えることがほとんどですが、命を守り自然の摂理に従って生きてくれば当たり前の理解になると思います。

そうして生きてきた人には、最後の結論として、その捉えられるものも捉えられないものも全て含んで自分自身なのだということは、日常の体験としても理解できることも多いと思います。

意識である自分自身が、遍く満ちていて、既知のエリアも未知のエリアも捉えられていること。

それについて正確に理解する必要があるので、私たち人間は最後に追い求める人生のゴール、自分自身についての結論を正しく学ぶことで、今まで外側に追い求めていた安全や喜び、満足が、自分自身の意味であることを理解するのです。

それを学ぶためには、一定期間ヴェーダーンタという普遍の真実について学ぶことが必要です。

普遍の真実がかなり変化した解釈で広まっているものが多く、一般的に私たちが手に入れられる情報の多くは間違った解釈ばかりですが、普遍ですので変わることのないものが真実です。その見極めも、社会で十分に活躍してきている人でしたら可能たど思います。矛盾のないこの教えに耳を傾けられることを願っています。

実際に体験として、日常的にもそこまで迷うこともなく、恐れや不安に苛まれることも少ないのが医師や看護職です。よく心臓に毛が生えていると言われることもありますが、人の命の現場にいて、それを守らなければならないその瞬間に全集中力を費やし行動をしている人にとっては、迷いも動揺も一瞬でなければ、その瞬間に病状は悪化し判断が遅くなれば守れる命も守ることはできません。
その知識が目眩くあらわれ展開し消えていくのかを考えると、自分自身から現れて消えていくことも理解できますし、これまでの学びを得る行いの結果として、今を作り、その判断力も行動も現れては消えて移り変わっていきます。

自分の体と考えを最大の道具として使い、知識と技術を日々磨き続け、尊敬する皆様には、自分自身の最後の結論を理解し、本当の満足と幸せに生き、残りの人生を有意義に使って欲しいと心から願っております。

そのような、人を様々な角度から客観的に捉え、一人一人を支える医療を担う人が、人間が生きる目的と生き方についてを正しく知り、最終的にどうなるのかを理解して導くことが、今の日本では必要なことなのではないかと考えています。

大学のカリキュラムの中には、心理学や哲学が含まれていますが、間違った解釈をいくら学んでも結論は理解できるものではありません。

医学部や看護学部のカリキュラムの中に、人間の生きる意味や結論が正しく学べる機会が盛り込まれると良いなと思います。

また、医療現場でも人の命を守り、生きることを支える人たちが、正しく人間を理解する機会に恵まれることを願っております。

保健室オンラインでは、医療従事者のためのメンタルヘルスケア、心理療法・コーチングも行っております。

思考を扱う人に気づく

人は、問題のないところに問題を創り出す。

偏見のない人に偏見を重ねて感情的になる。

そう言う癖が誰しもあります。

当たり前のことを言っても、あるがままのことを言っても、人それぞれの記憶を重ねて捉えるために、言葉の意味をそのまま受け止めることができずに、間違った捉え方と解釈で感情的になる人も多いものです。

それは十人十色。

70億人いれば、人数×考え方の数だけあります。

それを全部知ろうとするのは無理です。

しかし、なぜそうなるのかと言う人間の思考の癖が生まれる過程が理解できれば、乳幼児期の満たされなかった幼児性が現れていることがわかります。

それが未解決なまま大人になるため、いつまでも満たしてほしいと言う未熟な人間性が、思い通りに満たしてくれない場合に、自分自身に対する怒りを目の前の相手にぶつけます。

人として成熟すれば、その感情を人にぶつけずに、その場を穏やかに対応することができます。

でも、それは簡単なことではないですね。

その思考を自分で観察していくことが大切です。

そして、常に穏やかである自分自身が共にあることに気づいていくことです。

自分が穏やかでいられれば、誰もが個人個人の未解決な問題を重ねて見ているだけだということが理解できますので、ただ幸せでいられます。

そのためには、何ができるかを考え、手助けすること、それが慈悲なのです。

忙しい思考が飛び回っている時は、ただ見守ることしかできません。

一旦思考が落ち着く時、または、なす術がなく落胆にくれて思考が止まった時、見守っていたその人はやっと手を差し伸べることができるものです。

 

怒りや苛立ちは、未熟な未解決な問題を抱えた自分の中の小さな子供です。

目の前の状況、音、色、形など、5感で捉えられる情報と過去の記憶が重なって、幼い頃に満たされなかった寂しさなどが恐れや不安や緊張となり、その時に抱いた感情が記憶に刻まれます。

それが、大人になっても未解決なまま抱えているため、音・色・形・匂いなど、どれか一つでも条件が重なると過去の記憶が想起します。

そして、嫌悪や恐れ、不安や緊張などが蘇り、自分を脅かすものとして認識するために、怒りが湧きます。

それを識別すれば、自分で自分の感情を扱えるようになります。

そして、それを扱えるようになると、なぜ人は感情気分が揺れ動くのかが理解できます。

でも、また感情に連れ去られては、人を傷つける言葉や態度をする。

それをすればするほど、結果はその人に返っていくだけ。

でもまた気付けずに、ずっと繰り返す。

怒りや苛立ちが湧いた時には、まずその衝動を6秒間グッと堪えて、その怒りを人にぶつけないように、その場を立ち去ることや、人に迷惑のかからない物にぶつけるとか、書き殴ることをしてみてください。

その繰り返しで、抑え込まずに吐き出すことができます。

一段、人間として成長した時に、その時の自分を見返すと幼稚だったことに気がつきます。

人間は、その感情気分を自分で自分自身に解消させるために、未熟で稚拙な自分の中の子供たちを受け入れられるよう、考えを大人に成長させることです。

ひたすらジャパ瞑想を続けてみて下さい。

一つの短い単語を繰り返すだけの瞑想です。

なんでも良いですが、大切な言葉、感謝や喜びが湧く言葉が良いです。

何もなければ、まずは

オーム イーシュヴァラーヤ ナマハ

を繰り返すと良いです。

そして、感情気分が動き回るのを観察してみて下さい。

そして、それを眺めている視点に気づいて下さい。

一人でわからなければ、パーソナルレッスンも受け付けています。

ヨガリトリートでも、瞑想や生き方についてのお話もしています。

そして、人間が追い求める最後のゴール、その知識であるヴェーダーンタを学ぶ勉強会もやっています。

子育てコーチング

子育ての目的は、適切な自己愛を育み、自尊心を持って自立して社会に貢献できる大人に成長させることです。

子供の反抗期は、2歳頃と5歳頃、思春期の頃があります。

2歳頃の反抗期は、イヤイヤ期とも呼ばれ、何でも自分でやりたくなる年頃です。

自我の芽生えで自立心が旺盛になり、何でも自分でやりたがるようになります。

できないと怒り始め、それを手伝ってあげようとすると、また怒り出し、またできないと破壊的になったりと、手のつけられない状態になることもあります。

言語発達が未熟なために、思っている通りにいかないことや、それを伝えられない自分に苛立ちを覚え、甘えられる存在、母親などに対して怒りをぶつけてきます。

癇癪という形でも表現します。

それも、子供にとっては会話ですので、受け入れて聞いてあげることが大切なのです。

5歳頃の反抗期は、親に対する完璧な理想像が崩れ始め、親も未熟で不完全なことに対する不信感などを抱き、自我もさらに芽生え自立が進み、言語も発達してきているので、思っていることを言い続け、親の未熟さをストレートに言葉にしてくるので、親も酷く傷つくこともあると思います。

そして、言うことを聞けず、暴言や暴力的な態度も増え、承認欲求も大きくなり、何でも知っている、何でもできると言う誇大感を持つ時期でもあります。

それでも、親も完璧ではないことを認め、子供の言い分を受け入れて、一人の人間として意見を尊重しながら、規範に従って生活できるよう逸脱しそうなときは注意し、逸脱したときにはその行動の何がいけないのかを教えることが必要です。

言って良いことと悪いことの分別をつけるのも、この時期が大切です。人が傷つくことを教えてあげなければ、自分が満たされない状況になった時に、親以外の人にも攻撃な態度で暴言や暴力行動になってしまう可能性もあります。

頭ごなしに、そんなことを言ってはダメと、子供の意見を押さえつけてしまうと、自分を認められずに自立心を妨げ、自尊心を満たすことができなくなり、将来大人になってから社会に対して承認欲求が強くなり、些細なことで認められていない自分観を持ち続け、自己否定してしまいます。

また、できないことを言われると、過剰に反応して、できないことを隠すように誇大化してしまい、できないことを認められない大人になってしまいます。

その結果、注意されると自分を否定されたかのように受け止め、受け入れられない自分自身に怒りを持ち、その怒りを相手が悪いと捉え、攻撃的な態度で暴言や暴力行為をする大人になってしまいます。

「褒める子育てが言われてきた時代があり、その子供たちが大人になり社会に出てきた結果、注意されるとすぐに逆ギレしたり、思い通りにならないと会社を休む人も多く、ほめることが自己肯定感を育むと言われてきたはずなのに、逆のことが起きてしまっている」と言う一説もあります。

褒めるばかりではなく等身大のままの子供を受け入れて、できることは褒めて、できないことも認めて伸ばしていき、人間にはできることとできないことがあり、それが良いや悪いの基準ではなく、人それぞれ違うのが当たり前で、みんなのできることとできないことを補い合い支え合うようにできていると言うことを教えながら、子どもそのものは、何ができてもできなくても素晴らしい存在であり、あなたがいてくれて嬉しい、ありがたい、感謝していると言うことを伝えていけると良いですよね。

さらに、思春期になると、第二次成長による身体と精神的発達が進み、子供から大人へのアンビバレンツな葛藤もあり、社会や人間関係に対する矛盾や、幼い頃の反抗期で満たされなかった思いが現れることもあります。

うるさく言えば言うほど反抗的になりますので、十分に話を聞き、何を言っても受け入れ、干渉しすぎず子供の行動を見守りながら、手助けが必要なときには支えていき、子供の自立を心配しすぎずに安心できる親の存在として待ってあげられると良いですよね。

子供に備わっている個性によって、反抗期の表現や対応は異なります。

親だって人間ですし、完璧なわけではありませんから、そんな子供に手を焼き、どうしたら良いのか困り果て、ついイライラして子供に怒ってしまったり、どうしたら良いのか分からずに途方に暮れ、親としての自信も喪失して落ち込んでしまうこともあります。

誰にでもあることですが、相談する人がいないと孤立してしまい、ますます自分を責めてしまい落ち込みます。

相談しても親なんだからしっかりしなさいと言われれば、またどうしたら良いのか分からず悩みます。

うちの子はおりこうさんよ、と同世代の子供のママ友に相談すれば、比較して自分がダメだからうちの子はこんなに言うこと聞かないのだと、また落ち込みます。

反抗期に何をしても言っても怒って言うことを聞かないのは、正常な発達過程です。

どれだけわがままを言っても暴れたとしても、それでも優しく受け入れてくれる母親の存在は、子供にとって絶対的な安心を得ることができ、子供自身が自分を受け入れていく自己愛を育むためには必要な時期なのです。

それと同時に、お母さん自身も、自分が幼い時に思い通りにしてもらえなかった不満を抱えていることもあります。子育てを通して、満たされたかった子供の頃の自分がどうされたかったのかを思い出し、子供にしてあげることで、自分の反抗期に十分に満たされなかったことを満たしていき、自己受容ができていくのです。

それがうまくいかないと、大人になって社会に出ても反抗期が続きます。

今の自分をいつまでも受け入れることができないために、小さなことや人の言葉に自己イメージを重ねて過剰に反応して、怒りや悲しみなどの感情に動揺し、人や社会に対して承認欲求を持ち、満たしてくれないことに怒りを持ち、反抗的な態度を取ってしまいます。

自分で自分を認められないことで、誰かに認めてもらうために誇大化し、傲慢な態度を取り、自分はすごいのだと見せかけ、自分に利用価値のある人には媚びて、利用価値のない人には徹底的に非難する人間性になる人もいます。

そう言う人が、社会で大人になってもいじめやパワハラ、SNSなどでの誹謗中傷をし続けるのです。

SNSの場合は、社会では良い人間を装って、優秀な人材として他者から認められようとする結果、ストレスが増大し、顔や素性が分からないネット上で、自己イメージをタレントなどに重ねて非難することもあります。

その結果、苦しむのはその人自身なのですが、それに気付かず、人や世界が悪く見え続けるのです。

そう言う大人にならないように、子供の時の反抗期を十分に受け入れてあげることが、適切な自己愛を育み将来的に自己受容でき、規範に従いながら人のために貢献できる自立した大人に成長するのです。

しかし、誰もが子育てをうまくできる親ばかりでもなければ、子供の個性が大きく影響しますし、反抗期を優しく受け入れてくれる存在がいるとも限りません。

子供の反抗期で自己受容のプロセスがうまくいかないと、小さな孤立した認められない自分観を持ち続け、いつまでも誰かに認められなくてはいけない自分という自己否定感を持ち続け、自尊心は低く、満たされない感覚を満たしてくれる人を探し続けるのです。

その時に、一番自分を受け入れてくれる最大の信頼できる存在は、自分自身なのです。

次回は大人の反抗期についてお話ししますね。

子育て相談、コーチングを受け付けています。

My助産師と共に、安心して子育てをしていきましょう。

依存

子供の反抗期に十分に絶対的な安心を得られなかった結果、大人になっても子供と同じように、甘えられる存在を見つけては理想の母親像を抱き、その理想が崩れ去ると、満たしてもらえないこと、思い通りにならないこと、認めてもらえないことを許せず、自分に対する怒りを持ち、相手のせいにして傷つける言動や行動に出ては、また満たされなかった自分に悲しみます。

人に満たしてもらえないことで自分の不完全さを相手に見て、まるで5歳児の反抗期のように、完全だと信頼していた母親が不完全だと言うことを知ったときの葛藤と同じで、自分の理想通りではなかったことを相手のせいにして、怒りの感情のままに言うべきでないことを言ってしまったりします。

怒りの感情のままにそれを言ったりすることは、自分の理想を相手に求めていたことをよく考えて自分の言動や行動を反省しない限り、いつまでも満たされない自分と満たしてくれない世界は続きます。

人のせいにしたまま自分の言動や態度、言葉をすぐに忘れてしまっていては、何も成長しません。

そしてまた次の自分を満たしてくれる、100%信頼をおけるお母さんを求め続けるのです。

しかし、本当の意味で完全に満たしてくれる人は、自分自身以外誰もいません。

相手の未熟さを受け入れて許していくことで、自分の未熟さも受け入れて許すことができ、相手の不完全さを見たのなら、相手を責めるよりも自分のできることを相手に手を差し伸べて支えることで、少しずつ成長していけるのが人間の素晴らしさです。

その人間の可能性と与えられている恩恵にいつでも喜びと感謝を持てると、心も豊かになり幸せに生きることができるのです。

保健室オンラインでは、精神心理療法・コーチングを行なっております。

子供の反抗期の記事はこちら

http://scentofbliss.com/子育ては自己愛と自尊心を育み自立した社会貢献/

子供の頃から自己愛を適切に育み自尊心を持っている人は、人のために自分の力を社会で発揮し、パートナーも社会での人間関係もお互いに尊重し合い受け入れ許し合い、ある程度満足に充実した生活を送ることができます。

しかし、子供の頃の様々な事情で満たされないまま抑圧された幼児性は、心の深い部分に潜んでいます。

子供の頃に十分に満たされなかった不満は大人になっても続き、自分を完全に満たしてくれる100%信頼をおける理想のお母さんを探し求め続けます。

恋愛や結婚でパートナーに対して理想のお母さんのように、何でも受け入れて許してくれて甘えさせてくれて、思い通りに自分だけを見ていてくれる相手を求め、パートナーに理想を重ねて、それが思い通りにいけば良いですが、違う環境で違う親のもとで違う生活を送ってきた相手と、全てが理想通りにいくとは限りません。

その時に、自分を満たしてくれないことへの寂しさと、幼い時に抱いた不安や緊張、恐れなどが怒りとなって、思い通りにならないこと、満たしてくれない相手にその怒りをぶつけてしまいがちです。

それも自分の行動や言動を振り返って未熟さを認めて反省できれば成長につながりますが、理想通りにいかないことを自分自身に観ず、その未熟な感情を自分で受け入れて許すことができず、相手ばかりを悪く見て責めてしまいます。

自尊心が持てないと、どうしても自分で自分を認められないがゆえに、誰かに認めてもらわないといけない人になり、誰にどう思われるかが行動の判断基準になり、誰かに認めてもらうために頑張り功績を残し、誰かに認めてもらうために理想の結婚・子育てをし、誰かに認めてもらうために幸せを演じ、誰かに認めてもらうために私は素晴らしいと自画自賛します。

最初の動機はそれでも良いので、その人間関係の中で様々な人との違いを経験し、相手の話を聞き入れ視野を広げて、共感性や理解力という知性を養っていくように成長していけるのです。

人間の成長発達段階では、社会に承認欲求を持つ時期がありますので、自分の体や思考などの能力を存分に使って活躍し貢献していれば、誰かや何かの役に立っていることで自分に対する存在価値を高めて自尊心を持つことができるので、それも正常な発達過程ですが、幼児性がうまく満たされないと、いつまでも誰かに認めてもらおうとして、また理想のお母さんを求め続け、理想通りのお母さんでなかったと落胆した時に、その相手を傷つけるような態度に出てしまいます。

また、幼い頃の満たされなかった心の葛藤が抑圧され、甘えられる存在を見つけた途端関を切るように、満たされたかった幼児性が現れてきます。それが一旦認めてくれないと思うと、自分の思い通りにいかないことが相手のせいになり、その視野の狭い小さなエリアから物事を見ている自分と、外の世界の大きさとのギャップに不安や恐れを抱き怒りを覚え、世の中や人や状況が悪いと言って、なんとかしようとまた行動します。

しかし、結婚や仕事などの社会生活は、お互いに不完全さを許して受け入れて、自分の許容範囲を広げて客観的に物事を受け止められるよう、精神的に成長し合うために存在してくれている人であり場所です。

わがままばかりを押し通して、子供の反抗期のように相手の不完全さばかりを責めていては、受け入れて甘えさせてくれるものさえも許してもらえなくなってしまいます。

パートナーがダメなら、今度は上司や先輩、同僚、後輩、先生、友人や知人に100%信頼がおける完璧な理想のお母さんを求め続けます。

そうやって自分の満たされない感覚、虚無感を持ち続け外側に解決を求め続けると、またその寂しさは埋まることなく一時的に寂しさを埋めるために、パートナー依存やアルコール依存、タバコ依存、薬物依存、性依存、甘いものやスナック菓子依存など、自分を寂しくしてしまう思考の癖から一時的に解放されるために何かに依存してしまうのです。

また、主観的な小さなエリアからのものの見方で、好き嫌い、合う合わない、心地よい心地よくないを基準に物事を選択していき、また好きな方や心地よいものばかりが選択基準になり、嫌なことから逃れよう避けようとして仕事を休んだり、約束通りに行動できなかったり、自分の思い込みで相手の意図することと違う解釈をして怒りで人を傷つけたり、言って良いことと悪いことの分別がつかずに感情のままに行動してしまい、社会性が保てなくなってしまうのです。

主観的な趣味嗜好のベクトルが同じであれば、好き、合う、心地よいとなり、その時のベクトルが違えば、嫌い、合わない、心地悪いとなるのです。

その違いで嫌ったり非難したり悪口を言ったりすることは、とても狭い視野からしか物事を見れず、相手を下げて自分を持ち上げて虚勢を張り、強く見せようとするのです。

結局、小さなエリアから物事を見ているだけなのです。

その小さなエリアの自分と本質の自分を分けてしまい、自分で自分を認められていないがために、相手に認められていないと受け止めた時に相手に対する不満を抱き、怒りがわき相手を責めてしまうのです。

その結果で傷つくのも辛いのも、最終的にはその人自身でしかありません。

歪んだ捉え方をして自分を小さく見下げてしまい、外側の世界が大きく見えて、小さなエリアの自分を圧倒してしまうように思え、馬鹿にしている、見下していると捉えてしまいます。

そして、怒りになり攻撃的になり人を傷つけたり、逃げたり避けたり無視したりするのです。

まるで臆病な仔犬がひたすら吠え続けるように、優しさや愛で声をかけ手を差し伸べていても、また噛み付いてくるように、間違ったものの見え方をしている人にとっては、愛も優しさも恐怖と不安に思えるのです。

誰も見下したりしませんし、馬鹿にしたりもしません。

その人の持つ自分観が自分を小さく見下げてしまっているのです。

それが良い悪いではなく、その人の生い立ちや前世までの記憶してきた思考の癖によるものです。

その歪みをその人自身が認識して間違いを修正していけば、自分観と外側の世界との隔たりはなくなっていきます。

そして正しく物事を観て理解すれば、あらゆる人も物も状況も出来事も、自分自身の認識によって起こっていることに気が付いていきます。

気がついた瞬間から人生は変えられます。

どれだけ人を傷つけてきたとしても、変わろうと意を決して努力すれば自分も世界も変わるのです。

誰にでも大なり小なりあることですので、それ自体が問題なのではなく、それで傷つけ合ってしまう行為を生み出す間違ったものの見方や捉え方を修正していくことが大切なのです。

客観的なものの見方を養い、視野を広げて相手も自分も理性的に関わり合う社会性を持つことが大切です。

 

医療現場で、いくら優秀な医師が手術をしたところで、本人のコンプライアンスが悪ければ、治るものも治りません。

出産も、助産師や病院が産ませてくれると思う人も多いですが、自分で産むのだという意思がなければ、陣痛の痛みから逃れようとしてパニックになり、痛みの感覚はさらに強まり、その結果で胎児にストレスがかかり、仮死状態になり帝王切開になることもあります。

内科的な治療も、患者さん本人が治そうとする意思がなければ、自暴自棄になり、免疫機能がうまく働かずに症状は悪化することもあります。

精神的な治療も、施術者が治してくれるものではありません。薬物療法で症状は軽減したとしても、根本的には自分自身のものの捉え方や解釈を見直して、正しい方向に修正していくことが必要なのです。

時々、依存性の強い人が施術者に対して恋愛感情を抱き、受け入れられない時に憎しみや恨みに変わることもあります。

施術者は、方法を案内しながら道標としてどこに向かっていくのかを導くことはできても、自分を自分で見ない限り、いつまでも不満足や虚無感を他の誰かや出来事、状況やものに重ねて、どうにかしてくれない外側のせいにし続けて、自分の考えの歪みから起こっているものの見え方を観る努力をせずに、また好き嫌い、合う合わない、心地よい心地よくないで選択を続け、何かに依存しては救われず、自分の小さな考えに苦しむことを繰り返すのです。

きちんとあるがままのことを観ることができれば、歪んだものの見方から解放され、すでに幸せであることに気がついていくことができます。

病気や死に直面した時に、それを受け入れるまでのプロセスを理論化したものがいくつかありますが、危機受容のプロセスでは、衝撃→怒り→否認→落胆→抑うつ→受容と言った経過を辿ることが多いですが、自己受容のプロセスも同じように、自分の未熟さを認めて、小さなエリアの間違ったものの見方を自分でよく見て、思考の癖に気づいていかない限り、自分を小さく見下げてしまう捉え方、自分で自分を認められない劣等感や自尊心の低さからは解放されないのです。

その過程で、自分に対する怒りが湧き認めたくない気持ちで否定し、そんな自分に落胆し抑うつ状態になった結果、結局は自分で自分を認めて、心の成長をしていき、最終的に人間の本質を理解することで完全なる自己受容に変わっていくのです。

一度自分で自分を成長させて、その小さな主観的な考えから自由になるという決意をして、もっと広い視野で客観的に自分で自分を見る努力をすれば、理解はスムーズです。

その思考を見ながら、思考を眺めている視点に気づいていき、次第に広いスペースにその思考が消えていくことを理解していくことができれば、幼い小さなインナーチャイルドたちは、自然と消え去っていくのです。

時間はかかりますが、自分の決意で意思を使っていかない限り、苦しさから解放されることはありません。

外側の世界は、決してあなたを見下したり馬鹿にしたり、攻撃したりはしません。

そう見えるのは自分が自分に対する自己イメージからそう見えるのです。

感情のままに行動していては、人を傷つけ自分も傷つけていきます。

感情を扱える知性を使っていくことが、人間にしか与えられていない機能であり、優しさと思いやりで人に手を差し伸べ、社会の役に立ち、自分を愛し尊ぶことが人間の成長であり精神的に大人になっていくことです。

自分を愛し尊ぶ人が、人を愛し尊ぶことができるのです。人を愛し尊ぶことができる人が、自分を愛し尊ぶことができるのです。

自分が満たされていることを知り喜べる人が、人を満たし喜びを与えることができるのです。人を満たし喜びを与える人が、自分を満たし喜ぶことができるのです。

物事をきちんと考えることで、感情的に行動に出てしまうのではなく、一旦それを引き戻して、どうしてそうなるのかを考えて行動できるようになると良いですよね。

他者に分かってほしい、理解してほしい、満たしてほしいという執着があるために、それが叶わない時に怒りがわき苦しくなり悲しくなり辛くなるのです。

その状況と向き合って自分の感情を観て、知性を使って扱う練習をして行かない限り、その苦しさからは逃れることはできません。

嫌いだと怒りが湧くことも、その人に対する愛の歪んだ形です。

欲求を満たしてくれるお母さんだと理想を抱いていたことが崩れることによって怒りが湧くのです。

憎しみも恨みも嫉妬も、結局はその人に執着しているということになり、愛の裏返しであり、外側に自分の足りない感覚、不満足を満たしてもらいたくて満たしてもらえない愛が、形を変え歪んだ現れ方をしているのです。

あるがままに物事を正しく観ることができれば、小さくしていた自分観と外の世界の隔たりは何もありません。

何を取って見ても全てが様々な愛の表現の違いであり、どのような人であっても皆愛そのものなのです。

考える力をどんどん養っていけば、言葉を正しく理解し、間違った解釈をせずに冷静に受け止めることができ、考える力がつけば文章の文脈も正しく読み取ることができ、さらに正しく物事の本質を理解できるようになります。

感情的に行動する人の中には、文章の構成が読み取れず、言葉の上積みだけを受け取って自分の都合の良い部分だけを採用して解釈してしまいがちで、本質が掴めないままになってしまう人もいます。

自分を苦しく悲しい人にさせているのは、自分なのです。

主観的なものの見方捉え方を自分で観ていけば、いつしか消え去り、主観と客観、自分と世界の隔たりは何もないことに気がつきます。

その隔たりを作っていたのは、自分の思考の癖だと理解できます。

あるがままに物事を捉えていけば、人の本質は誰一人何も変わらず、それぞれの主観が間違った捉え方をしている自分観と世界観に感情的になっている人が多いことに気がついていきます。

そうすると、自分にはそう見えていて、その人にはそう見えるのだと言うことが分かりますし、相手の感情もそれはそれですし、自分の感情も客観的に扱うことができるようになります。

そしてその成長が、小さな個人の力だけではないことに感謝をいつでもできるようになれば、自分の成長も楽しく観ることができ、さらに人のために何ができるかを考えて物事を選択していけば、自分の存在価値は高まり、生き方も充実していきます。

誰もが最初から大人で成長しているわけではありません。

傷つけてしまうこともたくさんあると思います。

今気が付けば、今から変わることができるのです。

 

保健室オンラインでは、精神心理療法を行っております。

辛さや苦しさをどうにかしたい、今の状況をなんとかしたい、うつ状態が続いている、など、今の自分の見え方を解決したいけど方法がわからない方は、ご相談ください。

幸せになるために誰もが生まれてきた

死にたいと思う人へ命の大切さと生きる意味について

日本の自殺者数は、世界から見ても驚くほどの多さです。

なぜ治安も悪くない、経済的にもそこまで貧困ではない、もし貧困であったとしても国で保障される豊かなはずのこの国で、生きることへの望みが持てなくなるのでしょうか。

今年は、例年に比べると春頃の自殺者数はCovidー19の感染拡大による自粛要請もあり、一時的には減少したかのように思えました。

しかし、自粛生活によって見えない先への不安や失業などの問題を抱えるストレスから、DVや虐待の増加で苦しむ人たちも増えています。

また、若い人気俳優たちの自死が引き金となり、後を追うように死を軽視してしまっているようにも思えます。

どうして生きようと思えないのか。

それは、きちんと物事を正しく見ようとしないことが一つの原因でもあります。

もちろん、それ以前にその情報がないことが言えます。

また、その人個人個人の抱える過去の背景が大きく影響しています。

私たち人間は、大切な命を授かり、受精することも胎内で成長することも、出生することも、全てが奇跡の連続でやっとの思い出生まれてきました。

そして、誰もが幸せを目指して生きていくために生まれるのです。

でも、どうやって幸せになるのかがわからないまま、見えない先のことばかりを不安に思い、生きていても意味が分からなくなってしまうのです。

必ず全ての人が幸せになれるのです。

それは、誰かにどうにかしてもらうことではなく、自分自身でどうにかしなければならないのです。

いくら死のうとしても、救命救急センターでは、命を助けなければならない。

煉炭で自殺を図っても、高圧酸素療法で改善しますし、出血多量でも大量輸血で救命します。

意識不明であっても、集中治療室でたくさんの機械を繋いで命を守ります。

たった一人の命でも、その命に何人もの人たちが関わり助けます。

もし死んでもまた生まれてきたときに、あなたの記憶を通した自己イメージと世界観は引き継がれます。

生まれた時から苦しむ生き方もたくさんの学びと精神的な成長になりますが、何よりも今をどう生きるかが大切なのです。

本当に信頼して聞いていただければ、必ず自己イメージも世界観も変わります。

死にたいと思う方はどうか一度、保健室オンラインでご相談をしてから、命の大切さを考えて頂けませんか?

そして、どう生きれば幸せになれるのかを長期的にご一緒に考えてサポートしていきます。

保健室オンラインでは、心理療法・コーチングを行っています。

保健師による命の大切さやストレスマネジメント・メンタルヘルスケアを企業や学校、団体様でもお話しします。

助産師による命の授業も承ります。

hokensituonline@gmail.com

オープンマインドでコミュニケーションスキルアップ

偏見というのは、決して全くなくなるというものではなく、生きてきた場所も何もかも人それぞれの培ってきた記憶が違うので、誰にでもあるものなのです。

例えば、医療現場で暴れたり罵声を浴びせる患者さんも少なくありません。医療者側は困り果てて厄介な人という偏見を持つこともあります。しかし、嫌だと思っていたとしても、病気や怪我をしている人をみないわけにはいきません。

嫌だから避けることや拒否することはできないので、その人には様々な背景があることを理解して対応することが、誰にでも同じものを見ることであり平等に接することです。

攻撃的な人に攻撃で返すと、余計に興奮しますので、あくまでも冷静に必要なことを伝え処置をして理解をしてもらうことなのです。

ある程度話を聞く姿勢を持つと、興奮している人であっても聞いてもらえることで安心することもありますので、ゆっくり落ち着いていきます。

そのような人でも、本当は自分を満たして欲しいという子供のような愛情表現であり、そういう方法しか知らないのです。

また、人間関係の中でも勝手な思い込みや偏見で陰口を言う人も多いですよね。

アメリカに10年住んで仕事もしてきた人が、「アメリカにいたときは」や「アメリカでは」と話をすることがよくありますが、それをアメリカかぶれとか、また自慢話と捉える人もいます。

しかし、それはその人にとってはアメリカでの記憶が話題のベースになるのは、今日本にいる私たちが日本の話をするのと同じです。

東大出身の人が東大の話をするのも、自慢ではなくその人にとっては東大しか知らないので当たり前のことなのです。

無愛想に見える人は、意外なまでに優しい人も多いです。

話してみなければわからないことはたくさんあります。

偏見を重ねて思い込みや自分の記憶を通してジャッジして決めつけたり、その偏見で人を傷付けたり避けたり、見当違いなことを言ったりしていては、自分自身の成長にはなりません。

私にはこう見えるけど、本当がどうかの真相を確かめるために、その人に確かめたりしてコミュニケーションを取りながら相手を知ることで払拭されていき、知らなかったことを知り新しい情報になっていくこともたくさんあります。

よく、オープンマインドと言いますが、自分の思い込みで見ていないかを、相手とコミュニケーションを取り話をすることで間違っていたことや、その人の考え方や記憶についても理解でき、視野が広がり、また一つ人の考え方を知る機会になり、自分の情報量も増えて想像力や共感力の素となっていきます。

嫌悪や苦手で避けたり感情的になる時というのは、概ね自分の思い込みや偏見が重なっていることがほとんどですので、その時に自分の考えをよく見ることが、視野を広げてより確かな方に理解を進めていくことができます。

自分を観るということを常に心がけていきたいですね。

まずは自分を観ることを繰り返して、自分の感情や考えを理解すれば、相手の感情や考えも理解するように努力することができます。

自分の考えをしっかり見てあげられるようになると、相手の話もしっかり聴くことができます。

未熟な自分を理解できれば、人の未熟な考えもよく分かりますから、共感して傾聴して理解することができるようになるのですね。

それでも人は皆考え方が違うので、話しても難しい場合もあります。

思考が閉じている人は、認知の歪みもあることが多いので感情的になりやすかったり、不機嫌にもなりやすいですし、自分を見ることよりも相手が思い通りにならないことへの不快感の方が先ですので、自分の知っている範囲内の理想通りの枠の中に入れたくて、相手を変えようと色々言う人もいます。

より気づいている方が冷静に穏やかに謝ることも必要ですし、その場を収めることができます。

自分で自分に気付こうと思える人は、まず相手の話を客観的事実として聞きますので、感情はあまり挟まないですし、挟んだとしても相手に顕にはしません。

客観的事実として聞くことで、視野が広がり情報量も増えていき、コミュニケーションスキルも上がっていきますので、是非感情が湧いた時には、自分の偏見だけで見てはいないかを自分で観察してみて下さいね。

そうは言っても、人間皆違いがあるのが関わりあいの楽しさであり、この世界の美しさですからね。

どんな人でも、認め合えると良いですよね。

喜びの質を変える行動変容

私たち人間は、生きてきた中で記憶されてきたことが条件付けになり、その時の言葉や色や形、音や感触やその人の特徴などが記憶されて、同じような条件になるとその時に抱いた感覚が同時に想起して、喜びや満足感、恐怖や不安を感じることがあります。

それが、人を支えたり社会の役に立ち喜び合うことに条件付けされていれば、心豊かに生活することができますが、反対に依存症や精神疾患や社会不適応障害などになる一つの要因です。

また、人のためになることでも、等身大でないと救世主症候群にもなりかねないので、ちいさなことでも努力と実力に見合ったことを提供すれば良いのです。

オペラント条件付けと言われ、パブロフの犬の実験でベルがなると同時に餌を与え続けることによって、唾液の分泌が増加するというのが言われています。

ベルが鳴るだけでは唾液の分泌にはならないのが動物の生理的現象ですが、そこに餌を与えるという条件を同時に付加することによって、その条件が習慣になっている犬にとっては、ベル=餌という条件付けがなされるのです。

一生懸命社会的で活躍できたとしても、ストレスを溜め込み、食習慣の乱れや間食や飲酒や喫煙が悪習慣となりやめられず依存傾向になる人も多くいます。

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砂糖やお菓子どの糖質や、お酒や好きな食べ物を食べる時には、これを食べると至福感が得られるという条件付けによって一時的な満足感が得られます。ドーパミンやエンドルフィンやアドレナリン、セロトニンなどのいわゆる幸せホルモンと呼ばれるものが分泌されることによって、快楽や満足感、喜びを得ることができます。

それがさらに条件付けとなって、これを食べると幸せ、喜びという感覚を得たいがために、依存的になる場合があります。

よく、食べた方が良いものばかりを摂り過ぎて、結果的に偏りや食べ過ぎになることがあります。

食べ物で調整する前に、30分でも朝早く起きて日光を浴び体を軽く動かして、ゆったりと深い呼吸を繰り返し、朝食を摂るという規則正しい生活が一番理想的ですよね。

ホルモンの働きを助けるためには、新鮮な野菜からビタミン・ミネラルを摂ることでホルモンの働きや全体のバランスを調和してくれて、不要なものを体外に排泄してくれる働きによって、体がきれいに保たれることで心の健康にもつながります。

日本の統計データから2019年の死因率を見てみると、

第1位悪性新生物、

第2位心疾患、

第3位脳血管疾患、

第4位不慮の事故(虐待や事件性のあるものも含まれています)

第4位肺炎、

第5位自殺

となっています。

いずれにしても、その人本人や周囲の意思によって防ぐことができるものも多く含まれています。

悪性新生物に関しては、その部位などにより原因は様々であり不明なことも多くありますし、その他疾患でも先天性のものや原因不明なものもあります。

しかし、心疾患や脳血管疾患の大半は、生活習慣が原因となっていることも多く、その生活習慣を変えることによって未然に防ぐことができるのが生活習慣病です。

現在の日本ではメタボリックシンドロームと言われる肥満が生活習慣病である脳卒中や心疾患、糖尿病を来たし二次的な機能障害、重症な障害を残す可能性もあります。

予防のためには行動変容が必要ですが、その人一人ではこれまでの習慣というのが条件付けされているため変えることは難しいのも、生活習慣です。

いつまでもその習慣を続けて、実際に倒れて半身麻痺や言語障害、腎不全や下肢切断などの二次的な障害を背負った時に初めて、その生活を後悔する人もいます。もちろん、それでも甘いものに依存をし続けて、人工透析を受け下肢切断し脳梗塞になり失語症で半身麻痺になってまでも、その習慣を変えることができない人もいます。

40代頃の発症では、一番社会で活躍している時期に、自分はどこも悪くないし元気だと高を括って、悪しき生活習慣を変えようとせずに、実際に脳卒中で意識障害を残し、働くこともできなくなり、幼い子供を抱える妻に介護をしてもらわなければならない生活を送る人もいます。

そうなる前に、早い段階で生活習慣を改善するための行動変容をすることが、生涯健康に心豊かに過ごすためには大切なことです。

皆様が考える目標というのは、理想が高いために実現不可能な目標や、一時的に無理して頑張ればなんとか達成できる目標ばかりを設定しがちで、継続困難なことが多く、返ってリバウンドをしてしまい健康診断結果で数値が悪化する人やストレスフルになる人もいます。

そのようなことが起こらないためにも、私たち専門職が設定する目標というのは実現可能であり、かつ継続可能な計画をその人に合ったプログラムで考えて評価しながら実践して頂いています。

目標を達成することによって喜びや満足感を得られるので、それもまた条件付けになっていきます。

小さな成功体験が喜びとなり条件退けとなって、生活習慣が変わっていきます。

行動変容というのは、何に満足や喜びを感じるかが大切であり、その目標がどこに向かっていくのかが問題であり、一時的な快楽などではなく、人間の本質的な喜びに向かっていくことが大切なのです。

生活習慣病の予防は、食事と運動療法で改善することが多いですが、根底には体を大切にすることに対して無頓着で、健康を害してまでも味覚を刺激して快楽を得続ける必要があるほどのストレスを抱えていることや、幼い頃からの満たされない感覚を一時的に満たすことに依存的にならなければいけない心の問題が潜んでいます。

実際、ちょっとしたことを実践すれば、生活習慣は変えられますし、変われたことで健康でいられることの大切さや喜びを実感する人も多いのです。

そこから、健康な体を持って行動でき、社会で思う存分活躍できることへの喜びや、やりたいことをやれること、人との喜び合いを感じながら生活をしていく中で、一時的な満足や喜びではなく、本質的な喜びを体験していき、小さな視野で見ていた物事が少しずつ大きな視野に広がっていくのです。

人のために活躍できる喜びは、視野を広げ客観性が生まれ、穏やかで満足しながら社会貢献できる喜びを感じて、人生を豊かに過ごすことができるのです。

中毒性のあるものに依存するのではなく、人の本質的な喜びを体験していくことで、幸せホルモンと呼ばれる脳内神経伝達物質も、安定的に分泌されます。そのホルモン自体も、全てが相互に働き合って全体の調和が取れて、体の機能そのものも整い健康になり、心も穏やかで喜びや満足の中で社会で活躍し、人生そのものが喜びになるのです。

マズローの6段階欲求でも分かるように、呼吸や循環や消化吸収、排泄などの基本的な身体的機能が保たれ、健康でいることによって睡眠や食欲などの生理的欲求が満たされ、衣食住が守られ安全の欲求が満たされ、家族や友人との関係の中で自分の存在を認められ社会的欲求が満たされ、仕事や社会で活躍することによって他者からの承認欲求を満たし、自尊心を持つことができ、やりたいことをやりながら活躍できる自己実現に至り、やりたいことが叶えられたら、あとは自己超越となります。

いくら物質的に豊かになったとしても、人の本質は精神的な豊かさが本当の幸せです。

自分を食べ物や物で満たしたところで、本当の満足は得られません。そこに気付くためには、ある程度社会貢献をして活躍し、豊かに生活してきた人が本質を求めて生きるようになるのが、成長発達段階です。

もちろん全てがそうとは限りませんが、人の成長発達段階によって、目標は変わっていきます。

人生というものを全体的に見ながら、先を見据えて今を大切に生きていきたいですね。

常に達成可能な目標をクリアしていくことで喜びや満足を得ながら、精神的な成長をしていけると良いですよね。

保健室オンラインでは、心理療法、特定保健指導、各種保健指導、コーチングやストレスマネジメント・メンタルヘルスケア講座を行っております。

企業や学校、団体様での保健室としてもご利用下さい。特定保健指導のご用命も承ります。

hokensituonline@gmail.com

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