ヴェーダーンタ勉強会九十九里
質疑応答
Q.
みんながたった一つの意識なら、どうやって今の世界情勢を見たら良いですか?
攻撃をする人=悪に見えてしまいます。
A.
今起こっていることにも、事実に目を向けられるように客観的に平等に物事を見ていくよう努力することが大切です。
このような中でも紛争地域で命を助ける人々がたくさんいることや、物資を届ける人々がいることを知り、その活動を支援することもできます。
思っていることをどんどんとアウトプットしていける場所と仲間で、できることを形にしていったり、自らNPO・NGO法人を立ち上げて声を上げていくこともできます。
純粋に祈り深い日々を過ごしていって下さい。
Q.
クラスで多くの気づきを得ることができました。
先日のメディアの話ように、不安や怒りを煽る情報の多い世の中ですが、穏やかに、落ち着いて、学びの日々を過ごすことができていて、この与えられた環境に感謝致します😌
そこで、私たちにできることを考えてみました。
・個人
物資、人的支援、事実の報道など
できる人はやる。NPOを設立して組織的な活動にするのも良い。
ただしダルマではないとただ巻き込まれてしまうだけなので、その場合は報道からはある程度距離をおく方が良い。
間接的だが、普段からやっているはずの平和維持活動を再確認する。例えば以下。
・SNS
ヘイトスピーチをはじめとする差別的、独裁的なコメントを許容しない環境を作れているか。そうすることを優先するようユーザーからプラットフォーム側に声を上げているか。
A.
日々のニュースに心が痛むことが多いですね。
小さな家庭での虐待、モラハラ、学校や会社、集団でのいじめ、パワハラから世界的な紛争まで、全ては同じ理由から起こります。
「自分はちっぽけで取るに足らない」という結論を持っていることが原因です。
自分を尊く思えない、自分を適切に愛せないことが、目の前の人に投影されていきます。
それによってカーマ、願望から執着、嫉妬が起こり怒りになり、衝動的な言動、態度、行動になり、全ての知恵は隠されてその人は崩壊します。
破壊的に生きるということは、その人の人格が崩壊しているということです。
それは、小さな日常にも現れます。
識別のない人たちが世の中を回すと、ダルマを圧倒してしまいます。
丁度、今ずっと学んでいるところですね。
ヴェーダーンタの世界でも人を助けるはずの司法、教育、保健医療福祉の世界でも同じです。
どれだけ長く学んでいても、教えていても、この結論に束縛されている人が、ダルマに生きて純粋に貢献してきた人、これから希望を持って貢献しようとする人に対して、嫉妬から怒りの衝動に駆られ批判する人もいます。
衝動的で人を傷つける行為を注意されると反撃に出て、逆に嫉妬されたと捉え批判して、仲間を自分の見え方に洗脳する場合もあります。
怒りが怒りを呼び集め批判に対して冷静に客観的に捉えられずに一緒に怒りと批判になる人たちによって集団ハラスメントも起こります。
それでも、人格はアートマーではなく、カーマ・願望もクローダ・怒りもアートマー・自分自身から離れたもので一時的なものです。
識別できるように指導教育され、続けていけば、歪んだ捉え方も考え方も、サットヴァである純粋な心に変化していきます。
犯罪者でも、自分で気が付いて識別の努力をすれば聖者にもなれます。
しかし、残念ながらどれだけ識別の努力をしようとも、変われない人もいます。
それでも真実は、誰もが同じたった一つの意識なのです。
幼い頃からの養育環境が本当に大切ですが、できるだけ早くからダルマと人生のゴールがあることや、命の尊さと生きることの大切さ、人の心を優しく包み込む思いやりの大切さを学べるように、祈りある行動に繋がっていけるよう、私も努力を続けながら、皆さんのご活躍を支えていきたいと思います。
しかし反面、メディアというのは、私たちのマインドをコントロールしてしまいます。
そして、そこには発信者の都合の良いように情報操作されていることも往々にして含まれています。
例えば、日本が激しい攻撃をされて国民の命が守られないことがあれば、その勢力を抑止するための抑止力として迎撃が必要になる可能性もあります。
それを攻撃されたとして、他の国のメディアが猛烈に日本批判をするとしたら、私たち日本に生まれ育った個人も悪者になります。
もし、バガヴァッド・ギーターのストーリーが、ドゥルヨーダナの陰謀によってメディアを通してアルジュナの様子を面白おかしく悪者として報道されたなら、ダルマに生きるパーンダヴァたちが非難の的になります。
そして、ダルマは圧倒され、アダルマの勢力に支配されてしまいます。
ですので、どのような情報も鵜呑みにすることなく、公平にどちらの言い分も理解しようと努めることが大切です。
少なからず、人を傷付けることに抵抗がない人はほとんどいません。
やらざるを得ない状況の中で、その場から逃げれば酷い仕打ちを受ける可能性もあり、悲しみに打ち拉がれながらせざるを得ない人もたくさんいます。
もちろん、その中で心も体も傷付けられて、生きる希望を失っていく人もたくさんいます。
攻撃された側では、その国が平常を取り戻すまでに多くの時間を要します。
基本的な生活の基盤を失い、生きることも困難な状況に陥ります。
そのような中で私たちができることは、どちらの命も分け隔てて見ることなく、その人たちへの人道支援や物資や経済支援、それに関わる人たちへの後方支援、寄付など、公平で客観的な立場で支援することです。
私たちには自分が知っていること以上のことは理解することができません。
そういうことが日常の中でのいじめやパワハラでも同じことが言えます。
それも踏まえて、攻撃する側の背景や、いじめる側の心の歪みも理解し、どうすれば将来その人たちが幸せに目を向けられるかを考え支えることが大切ですね。
Q.
今回メディアの取り上げ方によって、攻撃する人=悪というイメージ、対立構造の描き方によって攻撃される側だけが被害者という情報を鵜呑みにしすぎていたなと思いました。
今の世界情勢がなぜ起こるのか過去の歴史を振り返れば、西側による悲惨な目にあった過去があったり、約束を守らなかったりと、攻撃する側だけが悪いということは客観的に見ると言えないということを改めて学びました。
時代をさかのぼって、各国のトップがどのような判断をしてきたかの積み重ねで今があり、私達が今この瞬間取り上げられた記事だけを見て、それに同調したりSNSで拡散したり反応することは各国の政治判断にも繋がるため危険な状況にあると思いました。
今自分にできることとして、日本や世界各国がどのような動きをするか、冷静にウォッチし今後の選挙投票に活かすことも視野に入れたいと思います。
またどうして各国がそのような判断をするかは歴史を学ぶことで見えてくる部分も多いので、過去に起こった事実を冷静に学びなおしてみようと思いました。
A.
歴史的背景を日本でいくら学んでも、それは一側面にしかすきず、その複雑な絡みを知ろうとしてもきりがありません。
人々の命の尊さが守られ、生まれてきた意味と生きている目的を理解できる方向へ導かれることをお祈りすることも、目に見えない結果、アドリュシュタ・パラとなって全体へ影響していきます。
祈りがもたらす結果は大きいです。
限りのある命は、全ての人に平等に与えられている尊いものです。
その命に良し悪しをつけることなく、公平に平等に中立的に客観的になることが大切です。
私も、そのための国家資格を持ち、公然でお話しできる立場にあります。
必要があれば学校や企業、団体への命の平等や尊さの授業ができますので、いつでもお気軽にお声かけ下さいね。
人間にだけ与えられた自由意思を、いつでも誰もが愛と慈悲に使えますように、全ての人が平和で幸せでありますようにお祈りしています🙏