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手にすることを望むことが先になるのではなく、与えることが先にあり与えられるということ

ブランド物や旅行やお金を持つことが悪いことではなく、それを手にすることを望むことが先になるのではなく、与えることが先にあり与えられるということ

<生徒要約>

BhagavadGītā Capter5【VRESE20】

賢者は好ましい状況(プリヤ)で舞い上がりませんし、好ましくない状況(アップリヤ)でうろたえたりしません。その人は、好ましい状況があって幸せであり、好ましくない状況があって不幸せというのではありません。賢者にとってはその人自身の満足が常にあり、満足は状況に頼っていません。つまりその人にはアートマーの知識がしっかりと定着しています。しっかりとした知識は揺さぶられることはなく、スティラ・留まっています。この知識が完全に疑いから自由なとき、その人は全てのモーハ(妄想)から自由で、アートマーについて少しも思い違いがなく、アートマーをカルター(行い手)とも、ボクター(楽しむ人)とも思っていません。

ここでクリシュナは「ナ プラフルシェート  = 賢者は喜びませんように、舞い上がりませんように」と語尾に命令を含む動詞を使っていますが、勘違いしてはいけないのは命令したりルールを制定するような意図はありません。賢者にとって外側に影響されないことが習性になっているため、願望することではなく断言です。よって「ナ プラフルシェート」という文章であっても、「その人は舞い上がりません、うろたえません」と理解されるべきです。

【VERSE21 】

人が接触する感覚として体験されるものはスパルシャと呼ばれます。全ての音、形、触感、味、匂い全てを含む外側のものに関して巻き込まれない、考えが運び去られない人についての幸せが描写されています。

スカ・幸せはアートマーの本質です。まさにここで満ちていること、満足を意味します。スカは、賢者によって得られます。アートマーの中のスカは、色褪せないスカであり、使い果たされたり、消え失せたりしません。

好き嫌いから自由であればあるほど、私は小さなことを楽しむことができます。この人生の楽しみに気づくとき、人は考えの中にスカを得ます。たとえ何かを手放していてですら、その人はそれを全く寂しがりませんので、スカを得ています。

好き嫌いの束縛から引き下がることによって明らかにその人はスカを得ます。

<感想>

感じたこととして大きく2点あります。

まず1点目に、賢者が捉える幸せの意味から考えさせられることが多くありました。

賢者にとっては、いつもその人自身で満足があり、好ましい状況、好ましくない状況のどちらにもかき乱されることはないということ、またその人たちにとっての幸せの意味は、スパルシャに頼るものではなく、まさに今ここで自分自身によって満ちていること、満足を意味していました。

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回答

どのような状況でも、幸せである自分自身がベースにあることを知っている賢者にとっては、移り変わる状況には頼っていませんので、何が起ころうが自分は変わらない幸せと満足であることに落ち着いています。

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生徒

私はブランドものや服など、外側のもので自分を装ったり、旅行などで贅沢をしたりすることを幸せとしていましたが、きっと自分自身に不満足という結論があったので何をしても誰といても虚しさがありました。

本当に欲しいのは、文章にもありましたが、星を見ることが楽しい、子どものような純粋な考えです。

スパルシャに頼るのではなく、なんであれ今あるものでご機嫌であり、満足している、そのような穏やかな考えにこそスカがあるのだと思いました。そのような考えを準備することに努力を捧げたいと思います。

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回答

ブランド物や旅行に幸せを求めることも一般的なことですよね。それが間違っているわけではなく、まず最初に人のためにできることを与える努力をすることが先にあって、その後に収入がついてきて、良いものを買ったり異国の文化や情緒を楽しむことは何も悪いことではありません。

都会で働いていると自然豊かな環境を求めることもあります。自分のいる地に敬意を持ちつつ、他の地にも敬意を持つこと、その大地は一つにつながりこの地球が一つであること、互いに与えられた地を守り、協力があってその地に足を踏み入れることができることへの感謝を持ち、楽しむのは良いですよね。

自分のやっていることに見合ったものを得ることに問題はありません。

ブランド物が小さな自分を飾り、大きく見せるのは間違っていますし、今いる場所に不満があって一時的に旅行で満たされて、また旅行に行かないと満たされなくなると言うのは、いつまで経っても満たされないちっぽけな人のままになってしまいます。

高いものを持っていることが立派な人間に見られるというステータスを感じる人が多く、それを手にする欲望を満たすお金を得るために必死になる人も多いですね。それでは主観的な自分の見え方に支配され、ちっぽけな自分の人生が苦しくなる一方です。

ブランド物の値段が高いのは、そもそも貢献者として活躍している人が、品質の良いものを作っている人の丁寧な作業と労力やサービスに対して感謝と敬意を表し支えるためにお金を払うものです。それによって良い物の品質が守られることとその老舗ブランドの繁栄を願い、その高い能力を持つ職人をはじめ、そこで働く人たちとその家族が生活するのに十分な収入を得られることまで考えている人が貢献者であり良いものを持つ人の姿です。それが株式投資やこれから事業を始める人への投資も同じです。そう言う品のある行いが、社会的にも優れており見本にもなる人間性を持っている人が多いから、社会からも認められ、その人が持っているブランド物も良いとされるのです。

しかし、物にばかり目が行き、最初にある貢献やそれまでの努力や苦労を真似することよりも、物質ばかりを真似る人も多いですし、単にお金を手にする人たちも多く、金持ちだから見合ったものを揃えることで、何もない自分では自信を持てない人もまた多いものです。株式投資も、お金儲けが先になる人が多くなっていますが、その会社の成長を願って支援し貢献するものです。安心ではない自分の安心を得るためにお金を増やすことではありません。安心の自分が社会を支えるために投資し、その結果として投資した企業が社会に利益をもたらし株価が上がった時に配当されているのです。その株価上昇の結果に執着すると暴落した時に困ります。安心な自分が与える行いをするという基本を忘れずにいたいものです。

順番が違いますので、自分に見合ったものを選び、その背景まで理解し貢献できると良いですね。

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生徒

また2点目に社会生活を送る上でこの常識的な態度として、敬語が話題として上がっていました。当たり前の習慣として、目上の方に敬語を使っていましたが、なぜ使っているのかをきちんと考えたことがなく、後で調べてみると、使い方もところどころ間違っていました。

どんな相手にも敬意を持って示す1つの態度として、相手との関係性や社会的な秩序を保つために、それぞれの立場、場面に合わせて敬語を使うのですね。改めて意識したいと思います。

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回答

言葉を綺麗に自然に使えるのは、その人のあり方を表します。どの相手にどの言葉を使うのか、この言葉を使うときにはこう言う表現とセットなど、法則をよく知ることは大切です。日本語は敬語や謙譲語、尊敬語などTPOに合わせた使い方が昔からあり、こんなに簡単に辞書がネットで調べられる時代なのですから、常に自分に対する批判的思考を持って、合っているかな?と疑問を持ち調べて正していく習慣を身につけていくと、言語理解も正しくなり、余計な物が削ぎ落とされていきますよ。

そうすると、間違った言葉を使う人や表現がおかしな人はすぐにわかりますので、教養のなさは理解力のなさでもありますから、色々と見えてきます。それによって的確に判断して、その人に必要な支援ができるようになるのです。

そういうことの繰り返しで、おかしなことを言っている人には惑わされず、正しいことを言っている人の言い分は吸収し、秩序に従える綺麗な考えになっていき、落ち着いて安心した自分自身こそが何にも影響されることのないアートマーであることが理解できます。

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生徒

先週の感想でお話しした、悪口を言う人についての態度もそうですが、自分の今いる場所が当たり前となり、コンフォートゾーンとなってしまうと、悪口を言うことも時に仕方ないのかなと思ってしまったり、敬語の意義について考えることもなかったと思うので、考えるきっかけを下さりありがとうございます。

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回答

悪口や不満ばかりの人の言動は不愉快にもなります。見えないエネルギーも澱んでいますから、サットヴァ・清浄な世界は見えません。しかし、その人にとっては自分の行いを修正する方が辛く苦しい行いに思えてしまいます。それが犯罪者の思考でもありますし、体に感謝を持てず食べ物やお酒で生活習慣病になる人も、薬物依存になる人も、誰かに依存して自分を見失う人も同じです。外側の物質に頼って一時的に未熟な自分の考えによる不幸から逃れる方が幸せだと勘違いしています。その方が心地よいから直せないのです。それでその人は幸せになりますか?誰か幸せになりますか?

正しいことを見て喜びや幸せであることがわかっている人なら、それは自分が苦しくなるだけだよ、それは自分の見え方だよ、本当はこうだよと優しく教えてあげられます。そう言う人が目の前にいてくれたら、その人も、これからその人の周りにくる人も、少しでも幸せの方に目を向けることができるようになりますよね。

それでも未熟な人は、すぐに相手のせいにして不満や悪口に花を咲かせ、離婚だ、仕事辞めたい、相手や環境や状況を変えたいなどやり続けます。それでも、何も知らないよりも、それをやり続けて苦しくなったときに、正しいことを言われたことに気がつく時がきます。

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生徒

自分の態度を見直し、自分の中で感じた違和感を大切にしながら、ダルマの方へ行動できるよう努めたいと思います。

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回答

違和感がアダルマであり、それに気がついていくことでダルマに修正できますよね。

正しい考えを持って正しい行いをしている正しい言動の人がたくさんいる社会に自分の身を置くことはとても大切なことです。同じことをしていても考えは異なる人もいますが、見習えるところを吸収して、自分の考えを綺麗にしていきましょう。

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生徒

ありがとうございます。

良いものを得ることや楽しい経験をすることについて、その行為自体が悪いということではなく、それをするその人の想い方や考えに問題があり、まず与える努力ができる人であるかということが大事なのですね。

先生がおっしゃっていた、良いものを持つ人の姿勢として、対価を払う際に、そのブランドの作り手や会社の繁栄までを願うことができる人とあり、大変勉強になりました。

決して自分を満たすためや誇示するために買うものではなく、まずは人のために惜しみなく努力をできる人間性があってこそ、収入がついてきて、その収入で応援したい場所に対価を払ってと…循環していくのですね。

逆に安いものだからといって、過酷で劣悪な労働環境があったり、消費者も安さゆえに使い古してすぐ捨てるといったことがあるようなので、しっかり背景まで考えてどこにお金を使うかを考えられる人でありたいと思います。

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