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全ての罪を簡単に超える

全ての罪を簡単に超える

ヴェーダーンタ勉強会九十九里

Bhagavad-Gītā

अपि चेदसि पापेभ्य: सर्वेभ्य: पापकृत्तम: |

सर्वं ज्ञानप्लवेनैव वृजिनं सन्तरिष्यसि || ४-३६ ||

api chedasi pāpebhyaḥ sarvebhyaḥ pāpakṛittamaḥ

sarvaṃ jñānaplavenaiva vṛjinaṃ santariṣyasi 4-36

たとえあなたが全ての罪人の中でも最も罪深い人だとしても、ただその知識の船によって、あなたは全ての罪を簡単に超えるでしょう

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生徒

要約

・罪人がこの知識を得たら聖人になるのか?

罪人が過去の行いを反省し、態度を改め、聖人になることはあるかもしれないが、「私は罪人である」「私は聖人である」はどちらも行い手の観念がある点では同じである。この知識を理解することは、そもそもアートマー、つまり私は、罪人という行い手ではなかった、アートマーは全ての罪から既に自由であったと理解することである。もちろんこれは、罪人が自分の非を認めないという意味ではない。

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回答

客観的に見ると、罪人でも聖者になれるとギーターの中でも言われているところがあります。

但し、勘違いしてしまいやすいところなので注意しなければなりません。カルマヨーガを通してダルマがきちんと見えなければ聖者とは言えませんので、自分や他者を傷つけて怒りのまま衝動的な行動をして、傲慢な態度で理解しているという人もいますので、聖典の前半で言われていることを思慮深く丁寧に、主観的な間違いを識別して手放して落ち着いた平静さを得て、客観的で確かな情報で人の役に立つことだけを言う人になっていなければ、理解しているとは言えません。

どうしても短絡的にものを考える人や、歪んだ見え方から衝動性になり犯罪を犯してしまいますから、その一連の習性をよく見ていかなければモークシャは難しいですね。

また、犯罪を犯して捕まるなら反省の機会が得られ、自分への気付きになり考えや行動を改める努力ができますが、捕まらずに逃げ回ってその機会を逃し続ける場合や、罪の認識がなく人を傷つけ自己中心的な考えで暴力を振るう人も多いですし、グレーゾーンを利用して不正行為をする場合も多いですよね。注意や指導を受ける機会もなく気付けないままアダルマをしている人の方が世の中には多いですから、捕まって犯罪者のレッテルを貼られた人の方が反省し更生できるとも言えますね。

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生徒

単に見た目の態度や言動が改まったからといって、本当の理解になっているとは限りませんし、すぐにでも救われたいという気持ちで、わかったような気になってしまうことは避けなければならないですね。ギーターで言われていることを短絡的に理解しないよう気をつけます。

<感想>

アメリカでは精神科医やヨガ(エクササイズ)の先生が刑務所で教えるケースがあると耳にしたことはありましたが、ヴェーダーンタを学ぶことが出来れば、それこそが真の救いになるだろうと思いました。聖典にこの詩があることは、スワミダヤーナンダジが刑務所で教えていたことも、どちらの偉大な貢献にもとても驚き、感謝いたします。そうした場所が必要のない世の中であってほしいですが、社会の状況やその人の過去の経験や成熟度によってそうならざるを得なかったのならば、この教えの理解がその人の自由にもなり、世の中の平和にもつながりますね。

こうした話題はどこか重たく感じでしまって苦手だったのですが、過去の経験を通した成熟度によることであり、誰しも何かしらの過ちを通して学んできているのだと見えてきたことで、落ち着いて聞くことが出来ました。

また受刑者へのサポートという考え方は、日本だとあまり聞かないので、直接的なアプローチでなくても、社会の一人ひとりが成熟していけるよう、ヴェーダーンタの教えや先週の心理学の知見など、出来るところで生かしていきたいと思いました。

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回答

スワミダヤーナンダジのお話では、刑務所で聞く人たちが一番真面目だとおっしゃっていたそうですよ。

アメリカがどこまで進んでいるのかは把握していませんが、日本では一部で取り入れられています。

刑務所等では、医学、心理学、社会学、教育学その他の専門知識を有する法務教官が矯正指導の中で認知の歪みを修正していく心理療法を行っており、少年院では矯正教育と言われる、生活指導、職業指導、教科教育、保健・体育、特別活動のプログラムの中で、認知の歪みを修正し道徳観や倫理観を持てるよう教育しています。

その他、刑務所には医務室があり、そこに精神科医や看護師が常駐し、何か問題が生じたときに対応します。公認心理師、臨床心理士や心理カウンセラーが個別にカウンセリングに応じていたり、保健師や助産師が女子刑務所で更生プログラムとして親子の愛が歪んでいくことや、相互愛を回復することなど、心理・道徳的教育をしているところもあります。僧侶が説法を唱えることもありますし、芸能人の慰問はよく知られていますよね。

その後の社会復帰では、保護観察官による指導が行われ、地域では、保健所や市町村での保健活動として、薬物依存やアルコール依存の自助グループ会の主宰や、地域で仕事を持ち社会参加できるように職業訓練なども含めて取り組んでいるところもあります。

守秘義務がある公務員や国家資格保有者の態度として表立って公言する人はいませんから、あまり一般的には知られていませんよね。

そのような教育にあたる人たちがヴェーダーンタを学んで宇宙の秩序とは何かが理解できれば、人がなぜ道徳的に生きるのかということを指導教育するにあたり、より一層生きる目的と人生の目標が明確になり、今後の再犯率の低下にもつながるのではないでしょうか。

ただ、どうやっても反対の捉え方をする人や、言っていないことを付け加えて独自の解釈になる人、全然違う理解で今自分は理解したと短絡的な考えになってしまう人も多く、悪いことをしても償わなくて良いと勘違いする人も出てきますし、地に足のつかない歪んだ考えが妄想を起こし精神疾患を助長してしまう場合もありますので、誰にでも全員に教えられるものではなく、日頃から関わる専門職が秩序全体を理解し見極める必要があります。

犯罪を犯したからといって全てが悪いわけではなく、歪みを識別してそのプロセスも理解して修正していければ、それも法則でありイーシュヴァラですから客観的に捉えていき、誰もが同じ優しさと思いやり、愛と慈悲が自分の本質であると知り、間違った観念による束縛から自由になり、人として落ち着いていくことができます。

誰もが自分自身に対する無知によって、間違った自己認識を持ち、歪んだ考えによって間違った行動してしまいます。自分自身の知識を正しく理解できる手段によって、学びながら人として成長していけば、人間の本質が愛そのものであり、道徳的に社会規範に従って倫理的に行動し貢献できるようになります。

それを全ての人が理解できる社会になり、人の心が歪みなく平和であることを祈っています。

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