肉体的性別もマイノリティも多様化も属性を増やして枝分かれした名前と形で本質はたった一つ
ヴェーダーンタ勉強会九十九里Q&A
Q.
文明の発展や環境、社会生活の変化により、いろんなことが多様化してどんどん変化していく中で、そういった真実とは異なる世界に生きる方がもしヴェーダンタを学ぶとしたら、どのように導びかれ寄り添っているものなのかもしあれば教えていただければ嬉しいです。
愛の授業を通して、真実、この世界の起源を知れば知るほど、変わらないものに気付く一方で、現代で変わっていくものにも神経質になっていることに気付きました。
それが悪いとか良いではなく、この変わった現代を見て創造主はどう思うのだろうとか、、
的外れな考えだったら正して欲しいのですが、例えば今日の愛の授業であった、オスとメスの対を生み出しシャタルパーの罪悪感により子孫繁栄が行われてきて、そうやって世界の創造がなされてきたとありましたが、現代でいうと、男性が男性に魅力を感じたり、女性同士のパートナーなど、その形は多様化していたりもします。
自分の友達にもそういう性の価値観を持っている方がいて、もし自分がそういう立場だった場合、この真実を知れば生きづらくなったりするのかともふと思ったのですが、、
A.
ジェンダーについては、何度も生まれ変わりを続けてくれば、女性の生まれもあれば男性に生まれた過去世は誰にでもあります。
プラジャーパティが最初は一つだったのが二つに分かれたことを知れば、元々は男女は一つのプルシャであることもわかります。
グラハスタ・アーシュラマが必要だと言っているのは、人間が互いに不完全さを補うため、互いに心の成長を養うためでもあり、そうして共にモークシャを目指して二人で一つの儀式を行っていく時期が、人間の成長の中にはありますということです。
男性女性という性を超えたパートナーであっても、互いの不完全さを補い、心の成長を養えるのであれば、同じことが言えます。
しかし、そこには同性同士の場合は子孫繁栄がありませんので、子育ても儀式ですが、それが夫婦の心の成長に必要な儀式である場合もあれば、必要ない場合もあります。
それは、男女であろうと同性であろうと同じことが言えます。
子育てを必要としなくても、パートナーを必要としなくても、心の成長をすることができる人もいますし、それはその人個人のプラーラブダカルマ、今世の生まれを作り出したカルマによって異なります。
最終的には、ヴェーダーンタの知識を理解して、肉体と考えを超えた存在であることが分かれば、今与えられている肉体の分類が性別というナーマ、ルーパ、名前と形に過ぎず、どちらにせよ、今与えられているものを大切に扱うことであり、それを使って与えられた役割をこなすということだけです。
子孫繁栄を必要とする人もいればそうでない人もいて、結婚する必要がある人もいればそうでない人もいるので、その人の人生に必要なものが与えられていることを理解して受け入れることなのです。
また、自分を否定し認められず受け入れられない、小さな体や考えを自分としている間違った自己認識を持ち、その自分を否定する場合にも、自分の肉体的性別に対して嫌悪を抱く人もいます。
そういう場合は、間違った自己認識を取り払っていくことで自己受容ができると、与えられた肉体も性別という役割も、全てがありがたい恩恵であることへの感謝を持てるようになり、男であっても女であっても、その役割に落ち着くこともできます。
性別を超えた存在であることを理解しながら、この世界で与えられている役割を演じきることができるようになるのです。
そのようなジェンダー問題やマイノリティの差別をなくすための活動を、リプロダクティブヘルス/ライツと言い、助産師も含まれますが、そのような場で活躍をする方々も、是非ヴェーダーンタを学べると良いと思いますし、間違った認識で偏見を持ち差別することからも自由になれることを願っています。
A.
多様化しているように見えるのは、人々が本質はたった一つであることに気づくことよりも、もっともっとと物質的なことや、喜び満足を限りあるものに求め続けているから、どんどん枝分かれして属性を増やしていっているだけのことです。
その中で、本質に目を向けられるのは、心が成熟しているからですよ。
人が幸せになるためにはどうしたら良いのか、その根本的なところがわかってくれば、あらゆる物質的な物事は最小限でも大丈夫ですし、今与えられているやるべきことをこなす中に、イーシュヴァラの恩恵、デーヴァターが働いていることを見ていくこと、そこに感謝を持って視野を広げていくことが大切です。
変わらないものが大切だと気づき、変わりゆくものに神経質になっていたことにも気づけたことは、それだけでも人生の意味を大きく変えていき、本当の幸せに向かって進むことができるようになります。
移り変わる世界に何が増えても減っても、本質は何も変わりませんので、そこを見ていくことが何よりも大切なことです。