Bhagavad-Gītā第7章を6月25日から始めます。
現在第6章進行中。Ātma Bodhaḥのクラスも始まったばかりです。
ぜひご興味ある方はご参加下さい。
kamala0yoga@gmail.com
こちらでは、文章の読解力や要約力を身に付け、物事を正確に分析できる能力を養い、具体と抽象思考を上手に使え、正しく言葉を使い文脈を読み取れるようにしています。
最初は助詞が全く使えなかったところから、言葉と言葉、物事の主従、依存関係を正しく理解し、主語と述語を明確にしてどちらの言葉がどちらに掛かっていて受けているのかをしっかりと理解できるように指導しています。
母国語を正しく理解し使えなければ、それ以外の何を学んでも隈なく正確に真実を理解することはできません。著作権など、法律で禁じられていることに関してもお伝えしています。
句点も全然違うことろに打つ、単語が間違っている、接続詞が使えない、「私ゎ」「もぉ」などを目上の人にも使うなど、言葉遣いも日本語もかなり未熟だったところから、きちんとした言葉を使えるように成長してきた方々もいます。
そして、ダルマ(正義)が押し付けだと思っていたところから、自分自身を知りたい願望が優位になり、ヴェーダの教えに沿った生き方をしたいと変わってきた方、どんどん理解が進む方もいます。
要約などの提出で難しさを感じている方も多いので、最近は、早稲田大学大学院博士課程まで進み生態学を研究してきた方が一緒に学んで下さっているので、文章構成やルールなどの助言をお願いしています。具体と抽象思考を鍛えるグループワークも、ご有志で積極的に開催して下さっています。言ったことをそのままその場で全て理解でき、要約して質問や感想を述べて下さる論理的で分析能力の高い、尚且つ純粋で素直で全く歪みのない、至極普通の人間らしさを備えた方にお任せしています。
ぜひご一緒に知性を高めていって下さい。
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生徒
ディスカッションテーマ
・文章のまとめで工夫していること(メイン)
・時間の使い方や日常での優先順位の付け方(お時間あれば)
今回も再リクエストいただいている文章まとめについてがメインです。
ご参加の方と当日ご相談ですが、まとめ以外にもいくつかテーマをご用意しておりますので、ぜひお気軽にご参加くださいませ。
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Dialog:
生徒
先日ご相談したサマダルシャナハ、全てに同じものを見るためにはどうしたら良いのかについて、アドバイスをありがとうございました。最初の一歩としては、新年度の目標設定と絡めて、まずはチーム内でひとりひとりの業務紹介をし合うことにしました。淡々と業務のことだけを話すのではなく、それぞれがどんなことを大事にしているのか、そのために何に取り組んでいて、どんなところに課題に感じているのかなど、インタビューの練習として互いに聞き出し、整理しています。突き詰めて行くと、人間らしい温かい部分が共通して見えてきて、まだ全員分は終えていないのですが、やってとても良かったですし、メンバーからも好評でした。ありがとうございました。
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回答
仕事でもこの学びを生かして他者への共有を試みることは、ヴェーダーンタを密室で怪しげな団体のように学ぶことではなく、社会から引退しなければ理解できないものでもなく、実践的に今この瞬間を生きる思考能力のある人々がなすべき知恵であり、人類全てが知るべき知識だからこそ、基本的なことから浸透させていくことが大切ですよね。
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生徒
現役で活躍している方こそ学んで実践に生かせる知識だなと思いますし、私自身が日々助けられています。いつも高い視座と広い視野でご指導くださり、ありがとうございます。
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回答
日常に生かしていることが本当に素晴らしいです。ご自身が研究されてきたことと全てがリンクするからこそ、研究の大切さと繋げてヴェーダーンタの理解ができるのですよね。
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生徒
そしてGita15章は本当にあっという間に終わってしまい、わずか20の詩で伝えられていることに驚きます。最終回では、無知を落とすことが何よりの浄化であり、プルショーッタマの知識は最も価値あるものだということ、本当にその通りだと思いました。
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回答
無知を識別できなければ、いつまでも小さな個人の考えに支配されて惑わされ、人生は苦しい方向に歪んで見えてしまいます。本人は気づかなくても、周りを巻き込み傷つけていきます。単純に識別ができて無知が落ちれば、あとは学んでいれば視点はひっくり返って全てがアートマー、この宇宙を支えているブランマンがマーヤーを使って繰り広げている世界であることが、謙虚な姿勢で理解できるものです。しかし、識別ができない人が圧倒的に多く、高慢になり人を見下げたり、全く違う理解で怒りに任せて自分の間違いを投影して文句を言う人たちがかなり多いです。本当に日常で余計な考えなく分析的に物事を見ていくことと、相手の立場になった気持ちで考え行動することが大切だとつくづく思います。
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生徒
様々な研究がなされていますが、探している人が探されている人であるという視点の転換はそうそう出来ません。6章の方でも出てきた創造・維持・解消が繰り返されているこの世界について、ちょうど生物多様性の観点で福岡先生の記事があり、よろしければ共有させてください。
福岡伸一 青山学院大学 教授 生物多様性とは地球の動的平衡 ーオイコスの美ー
https://www.aeon.info/ef/midoripress/jp/column/20121112_post_5.html
生命とは動的平衡であると仰っていて、そのように考える人が研究者には多いと思うのですが、その動的平衡を支えているのが私であるという次のパラダイムシフトを起こしてくれる教えに出会えたことに、とても感謝いたします。
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回答
このような科学と結びつけて、ヴェーダーンタが言っていることと科学を正しくつなぐことができる人たちが必要ですよね。
研究してきた上で仕事をしている方々がどんどん理解して、科学の先にある真実の知識をわかりやすく伝えられる、止揚の考え方ができる人たちが社会を牽引していく必要があると強く感じています。
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生徒
ヴェーダの文化が希薄になってしまっている今の状況では、仰る通り、科学と結びつけての理解が早いのかもしれないですね。
科学の先にある真実の知識について、先生のような方が教えて下さっていることに感謝いたします。
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Citation & References:
TAITTIRĪYA UPANISAD By Swami Paramarthananda Transcribed by Smt. Madhuri Rajyasri & Sri V. Badrinath. 2008, P109-138.
Śīkṣāvallī
Anuvāka 11
Dharmaśāstraは、非常に分量が多く555の讃辞からなりBrahmasūtraのほぼ4倍です。athāto dharmajijñāsāで始まっています。数多くの格式の高い儀式からなる、非常に洗練されたものです。人生、自分の体、家族、この創造物に対して、私たちがどのような態度をとるべきか、雨、太陽、月、地球、そして昆虫をどう見るべきかが書かれています。Bṛhadāraṇyaka Upaniṣadは、健康、富、力、そして蟻に対しても、私たちがどのような態度をとるべきかを論じています。倫理や道徳は、dharmaśāstraの第三の構成要素を形成しています。このように、儀式、態度、倫理の三つの要素からなるdharmaśāstraは、Jaiminiによってmīmāṁsā sūtrāṇiを通して分析されています。dharmaśāstraを習得した後にのみ、人はBrahmasūtraを学ぶに相応しい存在となることができます。これは学士号がなければ大学院の学位が得られないのと同じです。Taittirīya Upaniṣadsは、11th anuvākaでdharmaśāstraを要約しています。
Dharmaśāstraをいつ学ぶべきか。人生の最後のほうで何もできないときにこれを勉強しても意味がないのでしょうか。
Dharmaśāstraは準備のための学問ですから、Vedāntaの前に学ばなければなりません。学校や大学の学生たちは、Vedāntaを学ぶ必要はありませんがdharmaśāstraは学ぶ必要があります。彼らにVedāntaを教えることは逆効果であり、危険でさえあるかもしれません。子供たちはjīva-Īśvara aikyamのための準備ができていません。彼らはĪśvaraがswāmi(マスター)であり、自分たちがしもべであることを教えられる必要があります。Upaniṣadは、dharmaśāstraをbrahmācarya āśrama・学生生活の中で勉強されなければならないと述べています。なぜなら、人は活動で忙しく、勉強に対して質の高い時間を費やすことができないからです。さらに、gṛhastha・家庭人は生活の中でdharmśāstraを適用しなければならず、激務をこなしているうちに学ぶことが難しくなってしまいます。勉強にはリラックスした心が必要で、責任があればストレスや緊張が生じます。ストレスのない責任を負うことができるのは、jñānī・知識を得た人だけです。したがって、すべての学問は、gṛhasthāśrama以外のāśramaで行うよう定められているのです。Sannyāsīは人間関係を持たないので、brhmacāriのような責任を持ちません。したがって、sannyāsāśramaもまた、学問をするための理想的な条件を備えています。
ऋणानुबन्धरूपेणशुपत्नीसुतालयाःऋणक्षयेक्षयंयान्तितत्रतापरिदेवनी।
Ṛṇānu bandharūpeṇa paśupatnī sutālayāḥ; ṛṇakṣaye kṣayam yānti tatratā paridevanā
कुशलात्नप्रमदितव्यम् – kuśalāt na pramaditavyam – 自分自身の幸福をないがしろにすることがありませんようにと幸福を祈ります。社会に奉仕するという名目で、自分の個人的な利益をないがしろにする必要はありませんし、そうすべきでもありません。Vedaは、あなたが断食して他の人に食べ物を与えることを勧めてはいません。社会に対する義務があるように、自分自身の体に対する義務もあります。ですから、食事や休息など、まず体を大切にしなさいということです。
世界への奉仕の名目で、自分の身体をないがしろにしたり、苦しめたりする必要はありません。Bhagavānは、mokṣa・自由を達成するために、このmanuṣya janma・人間の生まれを与えています。肉体は、単に社会に奉仕するために与えられているのではありません。社会への奉仕は、あなた自身の成長・cittaśuddhiの一環として行われます。Cittaśuddhiを獲得した後は、社会奉仕からも手を引くべきです。もし、あなたが生涯に渡り社会に奉仕するつもりなら、いつになったら自己認識を得られるのでしょうか?奉仕の名目で、自分に対する義務を忘れてはいけません。Jñāna・知識とmokṣa・自由を得た後でのみ、自分自身に対する義務がなくなります。mokṣaを得た後、あなたは再び社会のために全生涯を捧げることができます・loka-sangrahaḥ。Ātmajñānam・自分自身の知識を得るまでは、自分自身に対する義務があります。自分の利益を追求することは悪いことではなく、他人を犠牲にして利己的になることだけが悪いことです。自分と家族の幸福を第一に考えることがあなたの義務なのです。
宗教生活と倫理の間には、調和が必要です。倫理観に従う人は儀式を批判し、儀式にしか従わない人は倫理観をないがしろにします。Upaniṣadはどちらも等しく重要であると述べています。
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Kaori Kamala訳
参考文献
・TAITTIRIYA UPANISAD, By Swami Paramarthananda, Transcribed by Smt. Madhuri Rajyasri & Sri V. Badrinath, 2008, P109-138, Published by : Arsha Avinash Foundation.
・TAITTIRIYA UPANISAD, Teachings of Swami Dayananda, ARSHA VIDYA RESEARCH AND PUBLICATION TRUST,2016.
・TAITTIRIYA UPANISAD, By Swami tadātmānanda sarasvati, arsha Bodha center, https://arshabodha.org/teachings/taittiriya-upanishad/.