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自分自身の本質である愛そのものを知るために人は生まれてくる

自分自身の本質である愛そのものを知るために人は生まれてくる

質疑応答

Q.
かおり先生は助産師をしながら、人が生まれてくることに対してどのように捉えられているのか、教えて頂きたいです。

A.
人間が生まれてくることは、愛と祝福で満たされています。
母親として限りなく無償の愛を持ち、こんなにも心の底から愛おしさと優しさと喜びが溢れてくるのは、これ以上ない祝福です。

なぜなら、その姿が自分自身の本質が綺麗に現れた姿、アーナンダ、満足と喜びだからです。
そしてそれが限りのない幸せ、アナンタの意味であるアーナンダを理解するためにも大切な要素です。

子供を愛することは自分を愛するため、夫を愛することは自分を愛するためです。

人を愛することはその本質的な愛そのものの自分が現れ、子どもによってそれを知ることができると言うことは、人生のゴールであるヴェーダーンタの結論を理解するためにも大切なプロセスです。

そこにああして欲しいのにこうしてくれない、もっとこうして欲しい、こうなったらいいのに、といった要求が多くなり、思い通りにならないことを変えようとして不満や苛立ち、怒りとして現れ、あんなにも愛おしかった人が、嫌いになったり憎しみになり歪んだ愛に変わってしまうのです。

その体験を通して私たちは学ばなければならないことがたくさんあります。

一番支えてくれるのは家族でありながらも一番思い通りにならないのは、夫または妻や子供です。その相手の不完全さや未熟さを受け入れて許しながら理解し受け入れ、互いに支え合い手を差し伸べることによって自分と相手が成熟していくことが結婚や子育ての意味であり、私たち人間に与えられている成長の機会です。

だから、助産師という仕事は、この上なく祝福で満たされた仕事なのです。
お母さんを無償の愛で支え、お母さんが不安や心配から解放されるように、お母さんを深い愛で支えながら、赤ちゃんをこよなく愛する態度や言葉掛けや動作などなどを助産師自らの言葉や態度で教えていく、愛そのものを教えるそういう職業です。


また、そのような仕事をすることによって、人間の本質をいつでも体験することができ、無償の愛を理解できるように成長させてもらえる仕事です。
もちろん助産師でも未熟な人もたくさんいますし、個人の問題を解決したくてこの職業につく人もいますが、多くは元々の資質として愛情深く、おおらかで大概のことを受け止めて理解できる人間性の人も多く、お母さんたちがお母さんになるためのお母さんの役割が助産師でもあります。

また、お母さんをお母さんにしてくれるのは赤ちゃんであり、助産師を助産師にしてくれるのも、そして無償の愛を教えてくれるのも、お母さんと赤ちゃんたちです。
人が生まれてくるということは、親を無条件に愛することができる赤ちゃんによっても、そして赤ちゃんを無償の愛で抱きしめて支えたいと思うことも、教わらなくても備わっている自分自身の本質であることを知ることです。
それが難しいと思うのは、様々な過去の体験を通して記憶してきた考えを基に自己イメージを持ちますが、例えば母親が父親に対して怒りをぶつける言葉が、小さな赤ちゃんにとっては自分が怒りの原因であり母親を苦しめている存在のように捉えてしまい、親に愛されなかったと思う言葉や表情や態度が自分を傷つけていき、自分が自分を嫌いになってしまい、純粋な愛を表現することが難しくなっていきます。
例えそうであったとしても、子供を育てる過程で子供を愛することを少しずつ学んで純粋な愛そのものの自分を取り戻し、将来的に自分自身が愛そのものであることを理解していくことなのです。

子供が泣くとどうしたら良いのかわからず不安や怒りが湧くこともありますが、子供はそれ以外に自分の要求を伝える手段がありません。それを理解して、お母さんもそこに自分の力不足や孤独感が起こることもありますが、頼る必要のある時には支えてくれる人を頼ることも必要です。
それでも思い通りには行かないことばかりです。そういうことを繰り返していき、自分が成長させてもらい乗り越えていけるのが人生です。

満たされていない時、満たされていない人の愛は、外側の世界に満たしてもらおうと依存するばかりで、孤独感や嫉妬や怒りや憎しみにまで変わりますが、子どもを守り支えたいという無償の愛は、人間の本質的な愛です。

どのようなことでも、そこに自分を満たそうとする欲求が起こり、満たされない時に相手や周りのせいにして嫌ったり否定したり優越を付けて自分を優位にし周りを蔑む、または逆であったりしますが、どちらにせよ自分対世界にして隔たりを作ってしまう考えの癖があります。それを超えて相手や周りや状況や環境に対する感謝や敬意を持ち、そこに手を差し伸べられる優しさや愛を持っていられることが祝福であり幸せです。

心無い虐待のニュースに心が痛みますが、どのような人も生まれてくることは祝福です。
人間として生まれ、人生のゴールを目指すように成長していけることが、祝福なのです。
そして、生きながらにして歪んだ間違った主観から解放され、あるがままに愛そのものの自分自身を理解し、その自分にとどまりながら残りの人生を幸せに過ごすことが、生きている意味であり目的でありゴールなのです。

ですから、誰もが人を純粋に愛することを理解し、自分の欲求を相手に叶えてもらう依存的な考えを、自分自身が自立して幸せであることを理解していけるように見え方や捉え方の転換をし、自らが幸せの源として生きられることを願い祈っています。

その人たちを支えることができることもまた、幸せであり喜びなのです。

誰もが気が付いて幸せでありますように。

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