ヴェーダーンタ勉強会
質疑応答
Q.
日本人のダルマのお話がとても納得できました。
昔、海外旅行をした時に電車やバスの時間があってないようなものだったり、車の車線が線を無視して何列にもなっていたりするのをみて、日本は何と整っているのだろうと思いました。その時は、法の力で統制されているからだろうと思ったのですが、今日の先生のお話しを聞いて、それだけでは無いのかもしれないと思いました。
A.
規律正しく真面目で勤勉な日本人だからこそ、ヴェーダーンタの結論が理解できる人も多いのではないかと思います。
反面、想像力が働かない人、常識が分からない、約束事が守れない、衝動的な行動をするといった人も多いのが今の日本の現状です。
常識に従えない人は心理的圧迫があることも学んできましたね。
規律に従うことが自分の心にとってやましさや罪悪感から自由になりますよね。
悪いことをしてはいけない、すれば嫌な気持ちになるのも、結局自分自身に対して忠実でありたい、それに反すると自分自身にやましさがある、そんな自分を認められないからですよね。
日本は生まれた時から神道の儀式を知らぬうちに行なっている人もたくさんいます。
八百万の神、あらゆるものが神であることを教えてくれていますが、ことあるごとにお祈りする人も多いですよね。
お宮参り、初節句、お食い初め・・・お正月、節分・・・・。
建物を建てる時には地鎮祭で大地の神を宥め鎮め、作物を育てる時にも、五穀豊穣を祈る。
常に太陽の神、火の神、水の神、土の神に祈り、私たちが安全に豊かに生活できることをお祈りしていますよね。
何事にも豊かでいられ、好ましい状況でいられるのは、そうした自然の力によって守られているという理解がある人も多くいますよね。
そして、神社にお祈りに行く時、誰もがお賽銭を入れて鐘を鳴らし手を合わせてお祈りすると思います。
その先に御神体とされている鏡があるのは、神とは自分自身であり、その祈りは自分に祈っていることを教えてくれていますよね。
お賽銭も、五円玉ができた当時の価値は30万円くらいで、自分の後に続く人たちが豊かに生活できますようにという祈りを込めて入れるという説も聞いたことがあります。
自分の財を他の人に分け与えることなのですね。
6世紀頃に入ってきたとされる仏教も、昔は神仏一体で、神は全て同じに見て分けて考えることはないということから、神も仏も一つとして宗教行事が行われていたようですが、明治時代に神仏分離令が出されて別々になったそうです。
もともとはお釈迦様もヴェーダの文化に生まれ育ってきた王子とのことですから、神は自分自身であり、全てはたった一つであるという考えは、神仏同じだったのかもしれませんね。
そうして生きてきた人が多い日本では、何事にも真面目に取り組み、心豊かな人も多いですよね。
宗教があろうがなかろうが自然は元々あります。
それに対して感謝と敬意を持った祈りを守っているのが宗教行事です。
大手企業などでも、お庭に大きなお社があったり神棚があったりして、自分達が発展してこれたことを毎日感謝し祈っているところも多いですね。
その気持ちを忘れずに生きてこれた日本では、ダルマに生きる人が多いからこそ、これだけ煩雑な社会が円滑に回っていられるのではないでしょうか。
祈る先は何であれ、形も何であれ、その祈っている時には心穏やかで純粋な自分自身がありますよね。
いつも心穏やかに過ごせますように。